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とても良い本だったと記憶しているが、本屋で見かけないので寂しいと思う。
この本で描かれている、神父の葛藤は、人間にとって、とても普遍性のある葛藤ではないかと思う。根拠を説明できるほどではないが、そう感じた。
田舎の教会に忘れられたように取り残される怖さと、老いの怖さと、何年(何十年だったか)、神父としての仕事を務めても、教会に通う人は同じ間違いを犯し、同じ質問を繰り返し、救われない他者と救えない自分を認識する。仕事の誇りは、年月のうちに、風かなにかに削り取られるように、なくなっていく。そのようななかで、神父は自問自答を繰り返す。そのような内容の本だったと記憶している。
自分がこの神父の友達ならば、神父を辞め好きなように生きる事を強く勧めるが、宗教的な慣習にほとんど無縁で生きてきたからそう思うのだろうか。
私は、この神父は、宗教の犠牲者だと感じてしまう。しかし、神父を犠牲者だと表すならば、現代に生きる多種多様な人間も、生まれた地域や、かかわった家族や文化の、いろいろな慣習やタブーに振り回されて何らかの形で犠牲者になっているといえるだろう。犠牲者であることがアイデンティティーとなってしまっても、逆にむしろそこに生きる意味や救いを見出せといいたいのだろうか。神父本人は犠牲者とは思ってはいないのか。