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「人間である前にキリスト教徒であったりユダヤ教徒であったりするのでしょうか。」寛容を説いた18世紀ドイツの戯曲

2006/10/11 11:37

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 18世紀ドイツの啓蒙主義思想家レッシングの書いた戯曲。 舞台はエルサレム、サラディン王が支配し、十字軍と戦っている時代である。ユダヤ人のナータン、ナータンに育てられたキリスト教徒の娘、イスラムの王サラディンとその兄にそっくりな十字軍の神殿騎士などが登場し、最後にはそれぞれの関係が明らかになってめでたし、めでたし、となる劇進行は、テンポも良く、笑いもあり、どこかシェークスピアの喜劇を見るかのようである。作者自身の関係した宗教論争の中から生まれた作品で、宗教に互いを認める寛容を説いたものであるが、お説教じみておらず、なかなか楽しい。
 サラディン王に「最もよしとするのはどんな信仰か。」と質問され、その窮地(自らの属するユダヤ教といえば王の宗教を否定する、王のイスラム教と言えば改宗を迫られる、うんぬん)を脱するのに用いられる[「三個の指輪」のたとえ話はボッカッチョの「デカメロン」から借りられたものだそうである。この話を使って賢人ナータンはサラディン王の謎かけの窮地から逃れる、というところで作者はこの作品の主旨である「ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の三宗教に互いを認める寛容」を説く。どのように説くのか、がお話の一つの山場である。「デカメロン」に載っている話を知らなくても大丈夫。知りたい人にはもとのあらすじも「解説」に書かれている。
 著者はただ「みな平等」と理念的に説くばかりではない。ひたすらに「キリスト教徒に生まれたのだから、キリスト教徒であらねばならない」と説得し、養父を捨てさせようとする侍女を評して「愛する余りに私を苦しめる善くって悪い人」と娘に何度も言わせるところなどは、自分の正しさだけを押し付けることで生じる悲しい出来事がいくらもあること、それをも人間であることを思い出させて胸が痛くなる。
 作者はナータンに「皮膚の色、衣服、姿形の違いは大したことではない」「宗旨が違っても人情は一つ」などと何箇所かで言わせている。書かれた時代を考えると、宗教の違いはない、ということを通し、人びとの平等を説いたのだろう。書評のタイトルにしたのもナータンの台詞である。
 作者自身の身辺的な事情かもしれないが、キリスト教の悪い部分ばかりがかなり強く書かれていることなど、気になるところがないとは言えない。それでも、この時代にこんなことを書いていたのか、と興味深く、しかも楽しく読める戯曲である。始まりを同じくする一神教である三宗教については「皆平等、どれが正統かを争うことはない」と作者は説いたのだが、多神教や、物質論的無神論にはどのように答えただろうか、ちょっと意地悪にも聞いてみたい気もする。
 この三宗教の間でも人びとの争いは今もまだ終わってはいない。なかなか皮肉なものである。

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2012/12/30 17:25

投稿元:ブクログ

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