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とっても恥ずかしい「青春の一冊」の中の一冊。こういうのを読んでるのがカッコイイと思って、背伸びして読んでたんですよ、正直なところ。でも、実際面白いことは面白い。「在る」という事を考え始めたきっかけになった本です。
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予想外にめちゃめちゃおもしろかった。。。
もっと小難しくてわけわからんことを得々と書いてるもんだとばかり思ってたけど。。。
哲学書に対する偏見が氷解した瞬間でした。
これは面白い!!
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人間は深淵に架けられた一本の綱である。
渡るも危険、途上にあるも危険、後ろを振り返るも危険、身震いして立ち止まるのも危険。
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ツァラツゥストラの「栄華の巷を低く見た」態度が壮快。
思わず噴出してしまうような台詞もありました。
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意外と読みやすい。小説っぽいというかなんというか。
かっこいい生き方です。
壁にぶち当たっている人に勧めてみると良いかもしれません。
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【Wikipediaより引用】
ニヒリズムとは、今まで最高の価値と人々がみなし、目的としていたものが無価値となった歴史的事態のことを言う。「神が死んだ」後、私たちは科学という新たな神に未来を期待したが、第二次世界大戦は科学の恐ろしさを、あるいは科学進歩が必ずしも私たちの未来を明るくするものとは限らないということを証明した。心理学者を自認するニーチェによれば、ニヒリズムは上記のような「精神状態」で、2080年ごろまで続くことになるが、このニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けて2つある。
すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、能動的ニヒリズム)。
何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、受動的ニヒリズム)。
ニーチェは前者を肯定し、永遠回帰の思想の下、自らを創造的に展開していく、鷹の勇気と蛇の知恵を備えた「超人」になることをすすめた。社会的には、どんな事態でも傍観する姿勢から、ある種の攻撃性があると考える。
ハイデガーによれば、ニヒリズムの温床は、現実や現世からの超越を主張する形而上学的立場だとされる。したがって「ニヒリズムの超克」という視点は、「超克」ということにおいて、それ自身がニヒリズムとされ、ニヒリズムの克服を主張したニーチェは「最後のニヒリスト」と見なされる。「ニーチェの最も過激な門人」と評されるユンガーは、現代世界は、ニヒリズムの境界を通過したと言い、ハイデガーとニヒリズム論を交換している。
『感覚は感じ、精神は認識する。それらのものは決してそれ自体で完結していない。ところが感覚も精神も、自分たちがすべてのものの限界であるかのようにあなたを説得したがる。』
『あなたの思想と感情の背後には強力な支配者、知られざる賢者が控えている。それがほんものの【おのれ】というものなのだ。あなたの身体の中に、彼は潜んでいる。』
『思考と行為とは別物。さらに行為の残す心像は別物。これらは因果関係で結ばれているわけではない。ひとつの心像が彼を青ざめさせている。かれがその行為をあえてしたとき、彼にはその行為をやってのける力があった。しかし、行為をなし終えた時、彼はその心像に耐えられなくなった。それからはかれは常に、自身を犯行の行為者と見るようになった。わたしはこれを錯乱と呼ぶ。彼は例外をおのれの本質と考えたのだ』
『上に上ればわたしはいつもひとりぼっちだ。誰も私と話を交わす者はいない。孤独の冷気は私を震えさせる。高みに達して、わたしはいったい何をしようと言うのだろう。私の軽蔑とわたしの憧れは相伴って成長する。わたしが高く上ればのぼるほど益々私はその高く上る私を軽蔑する。』
『自己を維持する必要上、人間が事物の中に、はじめて価値をさしいれたのだ。』
『あなたがたはあなたがた自身から逃げ出して、隣人のところへ行くのであり、それを美徳にしたいと思���のだ。しかし私はあなたがたの【無私】を見抜いている』
『あなたがたはあなたがた自身に我慢ができないし、また、自身を十分に愛してもいない。そこであなた方は隣人を愛へと誘惑し、隣人の錯誤によって自分自身にメッキをかけようとするのだ』
『最も遠い未来をあなたの今日の原因としなければならぬ。あなたの友の内部に、あなたはあなたの原因としての超人を愛さなければならぬ』
『【結婚】と私が呼ぶには、当の創造者よりもさらに勝る一つのものを創造しようとする二人がかりの意志である。そのような意志を意志する者として、相互に抱く畏怖の念を私は結婚と呼ぶのだ』
『もし私たちがもっと自己を喜ばすことを習得したら、それは、人を悲しませたり、有難迷惑なことを考え出したりするのを最もよく忘れさせる道であったろう』
『恒常不変の善と悪、そんなものは存在しない。善と悪は自分自身で自分自身を繰り返し超克しなければならない』
【総括】
神の否定。真理の否定。
人間が生きる意味を見出すことは、自分でそれを逐一塗り替えていくことでしか出来ない。
ただ、人間の善悪の基準とか進むベクトルはさして神思想と変わらないと思った。そこにぶら下がるのではなくて、自分で作り出せという意味では納得。
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高校時代の先生からの手紙。
「ニーチェ風にいうと『獅子の時代』を生きている君」
意味をずっと考えている。
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言わずと知れたニーチェの著書
日本人が読むためには、欧米の背景にキリスト教が深く根付いていることを
理解してこそ、理解できる本だと痛感した。
読めば読むほど、引き込まれたのも事実である。
以下2点著書より抜粋
・自己超克
→善悪において創造者とならなければならない。
まず、破壊者となり、もろもろの価値を壊すのだ。
最高の善意には最高の悪意が必要である。
こうした最高の善意こそ創造的な善意である
・贈り与える徳
→最高の徳は贈り与える徳である
ありふれておらず、実用的でなく、光を放ってその輝きは柔和である
栄光を得ようとするものは、よい機会に名誉に別れをつげ、ふさわしいときに逝く
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20代の頃にとても影響を受けた本。
その後ニーチェの「道徳の系譜」「権力への意志」「悦ばしき知識」「人間的な、あまりに人間的な」などなど読んでいったが、なにが書いてあるのか、読むのに一苦労しながら、時には意味が分からないながらも、一生懸命言葉と意味を自分なりに解釈して考え続けてた時期が、少なからず自分の思考の土台になっているように思う。
そこで得た「人間は架け橋である」という言葉から、超人であるよりも人間として人間らしく生きたいと思うようになった。
「世界は解釈する像である」というような意味が、現代アートの世界の解釈による多様性と創造性へと結びつく。
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上下巻。神は死んだ! で始まる、有名な書。超人、永遠回帰の思想が語られる。ニーチェの思想は現実に対する強烈な肯定があるのであって、中途半端な拒否ではない。
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人間の「限界」を体現してくれている本。
そのため「これ以上面白い本は存在しない」と思うことになる。
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哲学書というより物語性の強い本だから読みやすい。ニーチェの思想と同様に文体も非常に力強くヒロイックに溢れている。
もちろん哲学者のニーチェも優れているが小説家としての才能もピカイチなんだな。
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世間での評価も高い歴史に名を残している名作であるという認識もあったが、8年くらい積読にしていた。
で、読んでみたが、なかなかおもしろい。
「強者と弱者」「尊敬と軽蔑」「人間の上下」といった人間の「力」に関わる問題についてよく考える人には惹きつけられる記述が多いように思う。
「弱者を救済する福祉」「平等」「大衆」といったものを軽く見ている記述もあるが、読んでいて嫌な気分にはならなかった。
下巻では超人思想はあまり出てこなくて、永遠回帰に関する記述がよく出てくる。
「ツァラトゥストラ」は新潮文庫のより、この岩波文庫の方が読みやすくてお薦めです。
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もっと早くに読んでおくんだった。どんなスピリチュアル本よりも、いいですね~。でも、いまだからこそわかるっていうのもあるかな。
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目次
第一部
ツァラトゥストラの序説―超人と「おしまいの人間」たち―
ツァラトゥストラの教説
三段の変化
徳の講壇
世界の背後を説く者
身体の軽蔑者
喜びの情熱と苦しみの情熱
蒼白の犯罪者
読むことと書くこと
山上の木
死の説教者
戦争と戦士
新しい偶像
市場の蠅
純潔
友
千の目標と1つの目標
隣人への愛
創造者の道
老いた女と若い女
蝮の咬み傷
子どもと結婚
自由な死
贈り与える徳
第二部
鏡を持った幼な子
至福の島々で
同情者たち
聖職者たち
有徳者たち
賤民
毒ぐもタランテラ
名声高い賢者たち
夜の歌
舞踏の歌
墓の歌
自己超克
悲壮な者たち
教養の国
汚れなき認識
学者
詩人
大いなる事件
預言者
救済
処世の術
最も静かな時