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1747年に出版され、性急な唯物論が宗教の否定と見なされ著者の迫害を招いた書物。
しかしこんにち読んでみると、ごくふつうの、常識的なことが書いてあるだけ、という感触だ。意外と著者は冷静であり、人間は動物の一種にほかならず、「魂」と呼ばれるものは脳の機能の一部に過ぎないことを、生理学的な観点から論証してゆく。
もちろん当時の自然科学的知見は誤りも多いが、大枠において科学的である。おまけに動物→人間という、進化論の片鱗も見せる。
しかし「魂」は独立したものであり、「人間」は動物とはまったく異なる特別な存在であるという、当時の宗教的・哲学的前提がこうした自然科学的論法と対立したわけだ。
とはいえ、「魂(心)」は物質としての脳の「属性」に過ぎない、という言い方は、やはり言い過ぎではないかと私には思われる。モノと、モノの機能によりうみだされるものとの違いは、厳然たるものだからだ。この区別の上にたちながら、心身二元論を乗り越えるのが正しい行き方ではないだろうか。
ド・ラ・メトリのこの本が、科学史上どんな役割を果たしたかはわからないが、西欧の「近代」の思考の流れの中で、重要な意味を持っていることは間違いない。
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当時の汎神論者等を批判しつつ、医者・哲学者・無神論者として人間はいかにして産まれたかを説く。
時折しも産業革命時代の黎明期、生物と機械を同一視する機械論が再び持ち上がるのも肯ける。
デカルト等の先駆者が居たとはいえ、これまでのキリスト教的生命観を脱し、生物学へのパラダイムシフトを起こす嚆矢の一つと思って良かろう。
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医師のラ・メトリの著書。人間の身体の構造は機械的で、他の、キリスト教的に
いえば低級な地をはう虫と変わらない。生殖のしくみも成長の仕組みも変わらない
し、神様が作ったと考えてもいいけど物理で説明できてもおかしくはないだろう
というお話
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101冊、のつもりで間違えた。
101冊はノーバート・ウィーナーのほうでした。
人間は動物とかわらない、人間が精巧な機械であるといって何が悪いのか!という風な趣旨だと思います。
なんで思います、かっていうと、苦手なんだよ文体が!
時代的なものかもしんないんだけどまわりくどくて比喩も多くて一文も長いしで、わりとさらーっと流して読んじゃいました。
300年近く前の本だし、キリスト教徒じゃないので、別に衝撃を受けるでもなく、ああそうよねーって感じでしたが
「脳も筋肉である」っていうのはやっぱりちょっとびっくりした。
脳も繊維だ脂肪だタンパク質だ(なんかちょっと間違ってるかもしれない)っていうのはそれこそいろんなとこで聞いてるんだけど、そのたびにちょっとびっくりします。
これはわたしが脳を信仰してるってことなんかなあ
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人間はただ人間性を含むだけの、機械的な作用で動作するものであり、本質的には動物となんらか変わりがないことを述べている。
今からすれば至極当然のことだが、当時からすればとてもセンセーショナルな論であっただろう。