投稿元:
レビューを見る
エリオットは批評において批評家の個性より伝統の意義を重視する。だがそれは必ずしも無前提に伝統を賛美するものではない。過去は不変の実体としてそこにあるのではなく、過去を見つめる現在の関心に照らされて初めてその姿を顕わにする。したがって「現在が過去によって導かれると同じように過去が現在によって変更される。」
ここには一種の循環があるのだが、現実の自己と他者がそうであるように、現在も過去と対話しながら、他者としての過去を問い直し、同時に自己である現在を新たに形作る。そこに批評精神があり、真の創造がある。過去(他者)と切り離された真空空間における個性などというもの自体が抽象の産物なのだ。
だからエリオットは個性を賛美したロマン主義の意義を認めないし、個性が捉えた印象を「あるがままに表現する」ことを批評の使命と考えた印象批評(例えばウォルター・ペイター『 ルネサンス (中公クラシックス) 』)を否定する。「詩は情緒の解放ではなくて情緒からの逃避であり、個性の表現ではなくて個性からの解放である。」逆説的な言い草だが、伝統との対話の中で自己を問い直す者だけが独りよがりで狭窄な自己の限界を超えられるということだろう。
だがエリオットはすぐ後でこう付け加えてもいる。「個性と情緒を持っている人たちだけが個性と情緒からのがれたいとはどういう意味かわかるのだ。」伝統の重圧を感じることができるのも個性である。その重圧と格闘する中で抽象ではない真の個性が磨かれる。そして伝統もまた新たな生命力を獲得する。