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陶芸家であり、希代の食通、北大路魯山人の書です。
内容は、科学調味料批判や、納豆は何回かき混ぜたら美味しいかなど興味深い内容です。
特にフランスの鴨料理の名店に行き、醤油とワサビで食べたエピーソードが面白い。
破天荒な、魯山人ならではのエピソードはとても面白い。
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料理への意識、食への意識をかえてくれる魯山人さんの手記です。
器とのバランスを考えて食事をするようになりました。
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「碌でもない平凡な俗事に頭を煩わす」わたしに、
魯山人のような生き方は、到底、無理だと思う。
最高の食材を、細心の注意で手をかける、
化学調味料にまみれた暮らしからは、程遠い人。
すべてが正しいか、それは判断に苦しむけれど、
まがいものではなく、本質を求める姿勢にはひかれた。
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一つのことをある程度やり続けていると、そこにその人らしさが出てくるのは確かではあるけれど「仕事上の失敗と人格的な欠陥を一緒にしない」というのが理性的な考えの原則だ。しかしこの人の場合は「料理がうまくないのはその人の人間性の問題である」とばっさり言ってしまっている(気がする)あたりが頑固親父っぽくて面白い。
しかし料理をやっているうちに皿まで作っちゃうって、水曜どうでしょうなら笑いのネタになっちゃう話ですよね。面白いしすごいけど家族だったら鬱陶しそうな人だ。
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魯山人先生、大概怒ってます。「噴飯ものである」「まことに笑止千万」「低級」「出鱈目」「恥知らずの言うことだ」(笑)エトセトラエトセトラ。でもこのキツイお言葉は主にテレビやラジオで料理の薀蓄をひけらかしている輩について述べたもので、実際その後に続く先生の意見は至極真っ当で納得させられます。なんですが、それでもつい、こういうイチイチ小さなことが癇に障る人生って大変だろうなあ、と思わずにはいられない。
私はその土地固有の料理それぞれに興味があるので、彼の有名なトゥール・ジャルダンでの山葵醤油事件なども、ちとポイントがずれているんじゃあ、という気もするのですが、まあ、こういう人がいても面白いのも事実。料理の良し悪しを決めるのはほぼ食材だ、というだけあって、和食の食材に関しての記述はとてもわくわくします。
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読むご馳走って帯にそそられた。
北大路魯山人先生が食について綴ったエッセイって肩書きだけど
これは食っていうフィルター越しに覗く彼の人生訓です。
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魯山人翁の辛口のコメント集。ぴしりぴしりと美食のあるべき姿を語る。
料理の本だと思ったのに、「材料9割」「まずいものは、どうしてもまずい」と一刀両断。
山椒魚を食べた話には驚いてしまったが、とても楽しい一冊。
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「moto808」おすすめの一冊
(http://bookbookokitama.wordpress.com/2014/06/03/yorimichi014/)
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美食家として知られた、北大路魯山人のエッセイ集。表現が極端な箇所が散見され、目に麗しい文学作品とは決して言えませんが、食と美的感覚に対して妥協しない姿には清々しさを覚えます。
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新作狂言・食道楽のために読む。◆新作狂言・食道楽自体は、今一どころではない。う〜む。今年の万作を観る会に掛かるが、やめとこかな。◆◆道は次第に狭し◆◆料理の第一歩。考えることも大切だ。聞くことも大切だ。それと同じように、実行することは、もっと大切なことだと私は思う。◆◆個性。◆◆良寛「好まぬものが三つある」歌詠みの歌と書家の書と料理屋の料理。◆◆◆料理の美味不味は、十中九まで材料の質の選択にあり。◆◆残肴の処理。
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===qte===
挫折時にひもといた魯山人 松浦弥太郎 常に立ち返る仕事の哲学
2024/2/10付日本経済新聞 朝刊
20歳の頃、「これを読むといい」と、メンターにしていた方から渡された北大路魯山人の『魯山人の料理王国』(文化出版局)。
ページを開くと、べっ甲の丸メガネをかけた恰幅(かっぷく)の良い男が笑った写真があった。無邪気でにくめない顔が印象に残った。当時、食や料理のことはたいして関心が無かった。本棚の隅に何年置いていたかわからない。
取り組んでいた仕事がうまくいかずに挫折したとき、助けを求めてメンターに会った。「魯山人の本をもう一度読みなさい」と言われた。まだ読んでいないと言えず、家に帰って本に手を伸ばした。
巻末の略歴から目を落とした。京都生まれ。生家が貧しく養子に出され転々とする。日本画、書を独学。書道教授となり、篆刻(てんこく)を始める。東京・京橋で美術骨董店を創業。その後、自ら料理をする星岡茶寮を開き、使う食器を作り始める。トラブルで茶寮を追われ、陶芸に尽くす。晩年に欧米を巡遊。76歳で死去。
優等生ではなくいわばアウトロー。豪快ながら自己の美学を追求した魯山人という人物に興味を持った。この人の書く言葉に耳を傾けようと思った。
エッセイ集だが、やさしいものではなく、どちらかというと耳に痛い読み物だ。本当のことが書いてあるから仕方がない。
おおまかに言うと、食と料理を通じて、仕事とは何か、学びとは何か、美しいとは何か、おいしいとは何かを、深く哲学し、読む者を笑わせ、叱り飛ばし、やさしく諭すような魯山人節とも言える語り口が魅力の一冊だ。
考えることも、聞くことも大切。同じように実行することはもっとも大切だ。こうしたいああしたいと思っても、何もしない人があまりに多い。難しいことは何もない。ただちに実行すること。道はいつも一番手近の第一歩から始まる、と魯山人。理屈をこねて実行に欠けていた自分が恥ずかしかった。仕事がうまくいくはずがなかった。
料理をする心がけとは何かと問われ、「親切と真心を欠くな。それを現せ。それを現すためには工夫せよ」と魯山人は答える。
いわく、仕事とは、親切と真心の技術であり、その工夫と実行である。この理解に、当時仕事に悩んでいた自分がどれほど救われたかわからない。そして、今に至っても立ち返るべき仕事の基本になっている。
食いしん坊も楽しめる本でもある。「お茶漬の味」という章で紹介されている数々のお茶漬けは、つばが出て困るくらいだ。
(エッセイスト)
===unqte===