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当たり前ですが最近の村上春樹の作品とはかなり違っていて、かなりラフな感じがします。
昔は酒や音楽にそれほどうるさくなかったようです。
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タイトルは大江 健三郎「万延元年のフットボール」から来たものか?
「風の歌を聴け」で登場する「僕」と「鼠」のその後が書かれている物語。不可解な出会いとさらりとした別れがいつもの村上の小説らしい。そして物語は三部作の「羊をめぐる冒険」に引き続けられていく。
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ジェイと鼠と僕。
配電盤の話は、結構好き。
双子に囲まれた生活は、春樹さんの願望なのかしら・・・?
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何なんだよ、だからどうしたっていうのよと私が思ってしまう……思い出話なら誰にだって書けるわよという類の本。それが売れるところが力量なんだろうけど私には何がいいのか分からない。彼って関わりあう女の子と必ずsexするのね。'91
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読むのは2度目だったので、今回は物語全体の雰囲気に浸らず、少し主人公の動向に注意を払ってみたのだが、そうすると『風の歌を聴け』の2番煎じではなく続編であるということが理解できた。主人公の変化という点で。
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今を去ることながら15年前位、高校生のときに、私が初めて読んだ村上春樹作品。確か「進研模試」の国語の問題で取り上げられて、その一部を読んだだけなのにすごく魅了されて買って読んでみたのだと記憶している(ベネッセ(当時福武書店)さんありがとう!)。取り上げられていた場面は、今でもちゃんと覚えているが、あるアパートの1階の(公衆?)電話の横に主人公が住んでいて、アパートの2階に住んでいた女の子に電話を取次ぎ、その女の子はその電話によって田舎に帰らなくてはならなくなり、その時主人公と女の子との間で小さいがちょっと深いコミュニケーションがあった、という小説の本筋とは余り関係のない(そもそもこの小説に、テーマはあっても、「本筋」なるものがあるのかわかりませんが)場面だったと思う。
当時田舎の高校生だった私は、村上さんの言葉遣いの繊細さと、ちょっと乾いたせつなさ、みたいなものに魅了され、その少し前にベストセラーになっていたけど、どうせちゃらい小説だろうから絶対読むものかと思っていた「ノルウェイの森」も読んだのでした。今までに30回くらいは読み返したと思います。いまでも本棚の奥でみつけるたびに、ぱらぱら開いて読みます。好きな女の子に貸したりあげたりもしました。それくらい好きです。
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双子との不思議な生活がとても印象的。「風の歌を聴け」よりもその後の村上作品の特徴が出てきたと勝手に感じている。倉庫でのピンボールたちとの対面の描写は、鮮やかにイメージに残っている。?
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第2作目。「風の歌を聴け」と同じ主人公と相棒“ねずみ”がはまったジェイズ・バーにおいてあるピンボールをめぐる物語。思春期の多感な時代を思い起こさせる一冊。
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前作「風の歌を聴け」の続編的作品で、「僕」の章と「鼠」視点の章のふたつが交互に語られる。ふたつの物語に明確な互換性はないが、少しずつキーワードで繋がってるという、非常に面白い構成となっている。「僕」と双子との生活の描写は、暖かく、穏やかで、心の奥の一番柔らかな部分を揺さぶられる。
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「確かに彼女は彼女なりの小さな世界で、ある主の完璧さを打ちたてようと努力しているように見受けられた。そしてそういった努力が並大抵のものではないことも鼠は承知していた。」この記述になぜかすごく共感。こういうこと書ける作家が今も作品を生み出し続けているっていうことはとてもすてきで心強いことです。
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「風の歌を聴け」の続編。突然この本から読むより、「風の歌を聴け」の後で読むと◎私は幼い頃に某スーパーのゲームセンターでピンボールで遊んでいたので少し懐かしかったです。
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鼠が恋をする。ジェイズバーからさよならする。鼠が悩みながらも前進しようとする姿が印象的。
「僕」は心に引っかかっていたピンボール台を探し求める。
鼠も僕もそれぞれの人生を歩き出した。
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再読。5月の風の中で読むには少しばかり暗いけれども。一番好きなシーンは双子がゴルフ場にクッキーの空き箱を残していくところ。
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何故だか村上春樹再読ブームが私の中に到来!
大学生の頃以来、実ははじめての再読。 懐かしい。
思っている以上に懐かしく感じた。
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初期三部作のセット・アッパー的作品。
70年代が来ることを想定出来なかった僕が、やはり時代にコネクト出来ない予定調和が描かれている。
柱時計の振り子は行ったり来たりの往復運動を繰り返すだけだが、時計の針は確実に時を刻む。
時も場所も得ない僕が羊を巡る冒険に出ざるを得ない状況を暗示している。