紙の本
「この話はおとぎ話ではありません」。宮沢賢治の真意を理解しているのか?
2005/12/26 03:24
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ニッキ - この投稿者のレビュー一覧を見る
素晴らしい作品ですがあえて苦言を呈してもよろしいでしょうか。
世界の誰よりも強い竜が釈迦になる話。現題は「手紙一」。人の生きる道を立派に説いている。
作品はともかく新聞の書評やこの絵本の末尾の解説に疑問を感じます。
何かの一つ覚えのように「子供達に強い優しさを!」。
では同じ宮沢賢治の「よだかの星」はどうですか。あれは決して強い存在ではないはずですが。強く優しく。すべての人がそうであれば人間がいびつである意味はないのでは?
宗教。「金や名誉や虚しい色恋沙汰より尊きは愛!正義!」
…本気で親と話し合ったことがあります。「貧乏、地位なし、愛されないを馬鹿にするなと言いながら道徳心の乏しい人間は要らぬ?テストでいい点を取るのと同様優しい心や厳しい道徳心も能力でしょう?能力のない人間を神は棄てるのですか?」「本当に価値のあるものは持たなければならない。神が認めるのは当然」…私は宗教を棄てました。
宮沢賢治の「ひかりの素足」。わけもなく「地獄行きだ」と鬼どもに責め立てられ神のごとき存在と思われる「光の足の人」すらも救い上げながら「お前たちは罪人」と断言。しかし納得の行く理由は何も書いていない。「強く優しく」。あの子供達はそうあるための生贄だったのでは。
アンデルセンの「人魚姫」も私は好ましく思えません。原作では「泡になって天国に行って終わり」ではない。彼女は死後何百年も人間の子供達に尽くし続けます。「いい子を見つけると彼女はもっと早く天国に行けるのですよ」と説いているのだから良書。しかし彼女がなぜそのような苦しみを与えられねばならない?「人間でないから普通は天国に入れてもらえない」らしい。
アンチ人魚姫とも取れる「赤い蝋燭と人魚」を書いた小川未明に敬意を表します。電車が走り始める。線路が泣いている(負傷した線路と月)。人間中心の世の中に変わって行く日本を憂いていたようです。そして赤い蝋燭と人魚では人魚の方が人間より『人の心』を持っており…破壊的結末を迎える。破壊したかったのはあくまで愚かな発想であり人間や村ではないでしょう。
強い優しさ。それを保つ代償に罪なき存在を貶めるのであればそんなものはいりません。
「小さいうちにこういうことを教えておかねば社会に迷惑をかける人間が育つではないか」。その通り。結局教えるしかない。しかしちょっとお尋ねします。
あなたたちが必要としているのは「社会に貢献できる道徳的で優しい人間が育つこと」ですか。社会の役に立たぬ無力な人間を排除する無慈悲な者達とあなたたちとの決定的な違いは何か教えて下さい。
優れた人格や豊かな精神優しさ…それも所詮能力としか思えません。必要です。ただしカネや学力と等価値くらいで。
まともな優しさや道徳にすら時に無慈悲さや愚鈍さを感じます。
宮沢賢治談「この話はおとぎ話ではありません」。この言葉の意味を考えてみて下さい。名作童話に「くだらない子供だまし」など存在しません。彼自身子供のために尽力し数々の童話を書いた。それでもあえて「これはおとぎ話ではない」と言う真意は?
私は「子供達に強い優しさを!」と書評を書く人々は誤解している、いや穢しているとさえ思います。
道徳や優しさは何のためにある?社会のためであればなんと虚しきことか。
※自サイトレビューより加筆修正
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甥っ子に読み聞かせ。
恐竜っぽいからよく選ぶのだろうか。まだ内容は難しいようだが。
ところで私はなぜこれを買ったんだっけ?
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宮澤賢治のお話を
独特の絵で楽しませてくれる戸田幸四郎さんが作った絵本。
竜が主人公のはなしで、
ちょっと不思議なストーリー。
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宮沢賢治氏は「自己犠牲」や「捨身の心」を底辺に据えて描いている作品が多くある。それは彼の生命観、倫理観、宗教観の現れであると思うけれど、私たちが人として生きる上で決して歪めてはならない基本的な姿勢がそこにあるようにも思います。
この『竜のはなし』(原題:手紙一)の大きなテーマは「捨身の心」だという。彼の作品の『よだかの星』や『銀河鉄道の夜・サソリの火』でもみられるテーマです。児童文学者の花岡大学氏は次のように説明しておられる。この国の教育が、長い間喪失している「あるべき精神」=「捨身の心」、いいかえれば「やさしい心」。その「やさしさ」とは、「優美なやさしさ」ではなく「強靭なやさしさ」つまり「自」を「他」に投入していさぎよく「死」に、いささかも、「はね返ってくるもの」を求めないといった、凄まじい精神のことだと云う。
う〜ん。わからないことはないが,そうした精神を求めようと立ち上がることは容易なことではない。私はこの「強靭なやさしさ」を求める前にやらなければならないことがあるなぁと、独り善がりに感じたことは、心から悔いる事、宗教用語をあえて用いるなら、悔い改め・悔悛-かいしゅん-というのだろうか。全く心を改めること(全くの方向転換)が必要ではないかと...。
「この竜はあるとき、よいこころを起して、これからはもう悪いことをしない、すべてのものをなやまさない、とちかいました。」
この一文の誓いにブレがあれば「強靭なやさしさ」はもとより、多くの苦難に耐え得ることはできないのではないかと思いましたし、ある意味「やさしさ」とは、困難や苦難に耐え、越えてこそ生まれるものなのだろうと感じました。
戸田幸四郎氏が描く絵が迫ってくる...。目に飛び込む赤々さが、わたしの心を抉ってくる...。絶対的な「やさしさ」の前に只々、畏怖を覚える。今の私にはこの「強靭なやさしさ」を持つことは正直、難しい。身を裂くほどの苦痛に耐えられそうにないから...。頑な心の今の自分ではあるけれど、いつしか竜のように「生き方」を見つめ直しながら、「強靭なやさしさ」を追い求めていくことができたらと思う。
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力がひじょうに強く、かたちもたいそうおそろしく、
それにはげしい毒をもっていた竜。
あるとき、「すべてのものをなやまさない」と誓った竜は・・・
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捨身。宮沢賢治の理想とする生き方なのね。私は遥かに愚か者だから、自分が漁師だったら、本当はあの竜は生きていたんだと教えられて一生悔やんで自分を呪い、敬意を持って竜のお弔いをしたい。でも、竜は何も言わない、これぞ捨身なのですね。絵がまた文章に強い力を与えています。
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他者のために自らの身を捨てる竜。
おしゃかさまになった、とかまことの道というくだりは、賢治の仏教観が私としては少し鼻につくのですが、シンプルで骨太な絵が民話的雰囲気ですくわれるかも。
力あるものの孤独より、みんなのこころに生きる幸せを選んだと読み替えればいいのでしょうか。
(じゃすみん)
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表紙を開くと
「このはなしはおとぎばなしではありません。賢治」
ということばからはじまる絵本
戸田幸四郎さんの力強い油絵と
「生きものを愛し自然を愛し、まことの道のために、生きつらぬいた賢治の思想の大事な一面を
端的に浮き彫りにしている」(戸田幸四郎さんあとがきから)
文章に私も引きつけられました
まことの道のために生きるに必要な“強さ”
力強さをとても感じる絵本でした。
【amazon出版社からのコメント】
多くの出版物のある賢治童話ですが、この作品の絵本は唯一これのみという珍しい作品。
壮絶なまでの“強靱な優しさ”を前に、子どもが釘付けになったという読者からの お手紙を多くいただいていります。
賢治世界の象徴的な一篇です。
本物の感動を。
【覚書】
かたちもたいそう恐ろしく強い毒をもった竜があるとき、よいこころを起して、これからはもう悪いことをしない、すべてのものをなやまさない、とちかい、どんな苦難にあおうとも
痛さや苦しさ、悔しさ心さえ起こさず、そしてやがて死んでしまいます。
死んでこの竜は天上にうまれ、後にお釈迦様になったというおはなし
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あとがきを花岡大学さんが書いている。それを読むだけでも非常に価値がある。なよなよした優美なやさしさではなく、強靭なやさしさ。自を他に投入していさぎよく死に、いささかもはね返ってくるものを求めないといったすさまじい精神のことだ。そうした教育の中心を、賢治はやさしく描き切っている。
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とても大きく、毒を持っている竜が今までの行いを振り返り、もう殺生はしないと誓った
大人しく寝ていた竜はヘビと間違われきれいな皮を剥がれてしまう
そして小さな虫に食べられて死んでしまいました
竜は天上に生まれ、後にお釈迦様になりました
ちょっと宗教色がつよいかも
読み聞かせ時間は4分位です
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子ども用の絵本なのかと衝撃を受けたが、読めば読むほどほど味わえるようになった。
一言では表せない感情が心にしみた。
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本を開くと、
このはなしはおとぎばなしではありません
賢治
とあります。
あるとき、毒竜が、これからはもう悪いことはしない、全てのものを悩ませない、と誓います。
そして、その言葉の通りに、その身を漁師や虫たちに与えるのでした。そして、死後天上に上りお釈迦さまになったといいます。
子どもの頃に、
お釈迦さまが飢えたとらにわが身を与えた、というお話を読んだ時、衝撃を受けるとともに「私には無理だなぁ」と思ったことがあります。それから何十年も生きてきましたが、「捨身」はやはり難しいですね。
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改心した竜が捨身の心でおしゃかさまになる。
優しさとは捨身というわけではないと思う。自らの体を差し出してまで悪い心を捨てる必要はあったのか。
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「日本の名作を重厚な油絵で描いた、戸田幸四郎の名作絵本シリーズ。
このお話は宮沢賢治の世界を象徴する名作なのですが、絵本化されているのは本作のみ、という賢治童話の中でも珍しい作品です。
人や動物から恐れられる一匹の竜。ある時「もう、悪いことをしない。」と心に誓います。
許すこと、受け入れること。自分の命さえ投げ出すような、壮絶なまでの竜の優しさは、読む者に「優しさ」の意味や本質を問いかけてきます。
竜の心の内が伝わるような重厚な油絵も、絵本の世界をより深いものにしています。
小さなお子さんには難しい内容にも感じられますが、竜の姿を前に、子どもが釘付けになったという読者のお手紙も多くいただく本作。子どもたちの心に、深い余韻をもたらすでしょう。」
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オスカー・ワイルドの『幸福な王子』と同じ自己犠牲の物語。しかし、この竜はだれかを助けているわけではない。それどころか数多の欲望の犠牲になっている。
強さとはやさしさである。
このやさしさというものは無償の愛とも言える。
あとがきにあるように、小さな子供に何度も読み聞かせ、語り合い、語り継ぐお話である。