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飢餓とは天災ではなく人災である。
「食糧」は時に戦争の火種となり、武器となる。
開発の名の下に行われる農業改革の行き着く先には、伸びゆくGNPの影で大量の食糧不足を引き起こし、多くの栄養失調、餓死を生んできた。
世界の食糧を握っているのは誰なのか?
世界の情報をコントロールしているのは誰なのか?
人間はもう後戻りできない状況まで追いやられている。
変わらなければならないのは第三世界ではなく、
私たちである。
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世界で生産されている食糧は、世界に生きている人々を満たすには、十分な量が生産されている、という。
それでは、なぜ世界に飢餓がなくならないのか。
本書は、約40年前に書かれたものだが、そこに書かれている状況は、現在と大きく変わっているようには思えない。
飢餓の原因は、急激な人口増と、それに追いつかない食糧生産、という単純な構図で説明できるようなものではなく、
先進国と開発途上国との関係、大資本の問題、貧富の格差や特権階級などによる労働力の酷使などなど、数多くの問題が織り重なる上にある、ということが、主な主張。
飽食を享受している我々にも、その責任の一端はある、と感じる一方で、
その解決の一端には、やはりダチョウ肉(オーストリッチ肉)も貢献しうるのでは?と思う。
穀物依存率が低く、繁殖力、成長、飼料効率いずれも高いダチョウ肉生産は、
現在、食肉生産に回ってしまっている穀物のある程度を、人々の食卓に戻すことができるのではないだろうか。
それがダチョウ肉、という可能性を秘めた食材を扱う自分のNoblesse Obligeなのでは?と再認識した。
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数字やデータが多く、読むのには時間がかかった。
なぜ第三世界の人たちが飢えるのか。
天災のせいでも、食料が本当に足りていないわけですらない。
多くのデータをもとに、先進国の資本家たちが何をしているのか示した一冊。
世界はこんな風に仕組まれているんだなぁ、と思った。
世界をこんな風に仕組んでいる人たちの、頭の良さと、第三世界の人間が数多く死んでも自分たちの利益を優先できるその決断力に、自分は絶対勝てないなぁ、と思った。
だけどこのままでいいとは思えない。
自分に何ができるか。
こういう状況を知ってしまった以上、やっぱりそれを考えなければ、自分だって加害者なんだ、誰かを殺しているんだ、と思った。
多くの人に読んでもらいたいなぁと思う。
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本文の序文のなかにある「_貧しさや飢えは不可避な現象ではなく、われわれの力の及ぶ範囲の、明確な要因によって生じたものである。」
について詳しく書かれた本です。ソ連崩壊以前の時代に書かれた本ですが、いまでも続いていることが多々あると感じます。TPPを考えるうえでも参考になるとおもいます。
第三世界の国々にやってきた農業多国籍企業(アグリビジネス)がどのように、その国の農業を破壊し収奪するかについて詳しく書かれています。具体例をたくさんあげて書かれています。
決定権を持つ人物たちの言葉もいろいろ出てきます。
世界銀行の取り組みの問題点や、また社会構造そのものの問題にもふれています。アメリカなどの西側諸国よりも中東アラブ諸国のほうが困窮した国々への支援に寛大であることなども知らなかったです。読んでいない方は読まれることをおすすめしたいです。
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随分古い本なのに現代の弱肉強食のグローバリズムの世界を批判している良書。筆者の綿密な理論に舌を巻く。
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【由来】
・「種」ビジネスの話について森先生と話してて教えてもらった。
【期待したもの】
・この手のトピックの中では基本書の一つっぽい雰囲気を感じた。まずはそこそこ読んでみる。
【要約】
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【ノート】
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戦後なぜ給食にパンと牛乳(脱脂粉乳も)が導入されたのかなど、アメリカをはじめとする食糧メジャーのしたたかな戦略に知らずにのってしまっている私たちのシステムに気づける本。
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消費者教育というより地球市民として成熟するために、自然科学からのアプローチを考えたい。同時に農政経済的なアプローチとの両輪でなければ世界を動かせない気持ちがする。さて、「あなたは今何をしているのか聞かせてほしい。」という著者、あるいは世界からの問いになんと答えようか。