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タイトルのとおり、永遠平和を現実的に実現するためにはどうしたらいいかをカントががんばって考えた1冊。現代人の考える平和とは平和の定義が若干異なりますが、平和を説く入門書、といった感じでしょうか。
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今日ひろく読み直されている、ということが頷ける著作である。国際連合の提唱や他国の体制への実力行使による介入の無益さなど、確かにアメリカの振る舞いに否を突きつけるものであろう。共和政体の国同士では戦争が起こらないという議論などは、まさに今日のDP論(デモクラテック・ピース論)を先取りしており、カントの慧眼に驚かされる。
しかしケーガンの『ネオコンの論理』が言うほどに、現代のアメリカがホッブズに依拠し、ヨーロッパがカントに依拠していると言いうるだろうか。ヨーロッパは千数百年にわたって「キリスト教世界」であったこと、アメリカは大統領選において信仰深さを懸命にアピールしなければならないほどの「キリスト教国」であることを、軽視するべきではない。特にアメリカの「実力行使」をもって「自由」や「民主主義」を世界に押し広めようとする態度には、ラインホールド・ニーバーの神学が大きく影響していると言えよう。
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世界の恒久的平和はいかにしてもたらされるべきか。
カントは、常備軍の全廃、そ国家の民主化、国際連合の具体的 提起を行い、さらに人類の最高善=永遠平和の実現が決して空論にとどまらぬ根拠を明らかにして、人間ひとりひとりに平和への努力を厳粛に義務付ける。あらためて熟読されるべき平和論の古典。
(本書より)
いやー、おもろいこれ!
でもちょっとむずい!苦笑 ほんと、永遠平和のための、軍備とか、国家、国際法のありかたを提言してて、その論理的根拠までちゃんとある。うーん、すごい。世界平和に興味ある人は必読と思われる。
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カントの言わずと知れた名著(らしい)。民主主義による平和理論と国際連合の提唱など確かに、1700年代後半に書かれたとは思えない先駆性ですね〜。まあ、それ以外は特にないけどね。但し、まあリベラリズムたるもの、リアリズムであれという印象は受けますね。彼なりに理想を現実にしようと頑張っていたわけですね。
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初めて手に取ったのは、中学3年のとき。テレビの旅行番組で「カント」の紹介がちらっと出ていて、その時代から平和について考えている人がいたんだ!という感心に駆られて購入。
通学電車内で読んだものの、ほとんどさっぱりわからなかった。
2度目に読んだのが、大学1年の語学関連授業での個人発表のとき。悪戦苦闘したが、それでも3〜4割くらいしか理解できなかった。
思えばこの本をきっかけに今の専門に進んだような気もする。
カントは国際関係の思想においては、理想主義者として捉えられがちだが、その思想をまったくのユートピアであると切り捨てることはできない。むしろ、現実と照らし合わせながら、平和創造がどれくらい大変なことかを考えるに役立つでしょう。まるごと受入れることはできないが、批判的に読むことによって得られるものは多い。
同著者のほかの著作のほうがよく知られているが、こちらも古典名著といってよいでしょう。実際に彼の考え方はいまの「グローバル市民社会」の思想にかなりの影響を与えているからだ。
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純粋理性批判などで有名なカントの著書
タイトル通り世界が永遠的に平和であるために国家間ではどのような関係を気づくべきかなどが書かれている。
現在の国連のもととも言える。
驚くのはこの著書が18世紀に書かれていることだ。今になっては当たり前とも言える内容だが、国家間での戦争が頻発していた当時にこれだけの内容を考えていたことはすごい。
例えば、
第一条項
将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはけない。
第三条項
常備軍は時とともに全廃されなければならない。
第六条項
いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。
など。
どれも現在でも問題として存在しており、未だに解決されていない。人間は本質的にそれほど進歩していないのではないかと思ってしまう。
国連や平和に興味のある人におすすめです。
条項部分だけなら20ページくらいなのですぐに読めます。
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1章2章および第1補説を読めば、カントの主張は概ね理解できる。決して難しくない文体で書かれているため読みやすいが、内容は少々抽象的である。
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俺が発表担当だった学志会第一回課題図書。
基本的には新訳である光文社古典新訳文庫のほうが優れているように思われるが、
予備条項最後の原注である、純粋理性の許容法則があり得るかについての部分は少なくともこっちの訳の方がわかりやすかった。
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カントという哲人の偉大さを感じさせる一冊。永遠平和は義務であり、それは人間の理性によって保障されている。理性は道徳として生活で現れ、政治として国の制度になっていく。よって永遠平和は政治によっても保障されなければならない。
都合のいいときに道徳を持ち出す政治家には平和は作り出すことは出来ない。錯覚してはいけないのは、他との間に軋轢がない状態が平和なのではなく、お互いが積極的に理性の導き出す方向に進んでいきながら平和が創出されていく。理想論であっても私達が忘れてはいけない定義だと思う。国家とは個人に極めて似ている性質があると感じた。
09/1/18
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その昔、哲学科卒の叔父が、小さかった私の枕元で読み聞かせをしていたものと聞いて読みましたが、叔父さん、これを2歳やそこらのガキによんでやってもわかんないよ。
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面白くは無いよ。
ひとつの、永遠平和を目標に据えた際のなすべき事の、
極めて一般的な一つの考え方として。
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へーゲルやエンゲルスが、カントを否定していましたが、そこまでひどい内容だとは思いませんでした。
むしろヘーゲルとカントは補完関係にあるような気もしました。
「具体的な示唆」を与えたのがカントで、「抽象的な理論」を与えたのがヘーゲルと云った感じでしょうか。
カントは政府が存在することで、人間の利己的な心に均衡をもたらす。のようなことを云ってました。これは理解ができます。
ただ、国際政治の場では、その国家の代表になる人物は、利己的な心を持ち合わせているのでしょうから、「国際政治の場では、道徳的な心を持たねばならない」とするカントの言い方は、少し無理があると思いました。
また「人間の理性にそぐう体制は共和制。なぜならば、国民の理性の意志を代表する国家であれば、戦争の負担をする直接背負う国民は、そのような大博打にはでない。」とするカントですが、ワイマール共和制からナチズムへ転化した事実を、どう説明するのでしょうか。国民は容易にイデオロギーに感化されてしまう存在なのかもしれません。
ただ逆に言えばカントは、「国民は馬鹿じゃダメだ。(理性を獲得するために)学べ。」と示唆しているのかもしれません。
民主主義ですからね。
またカントは、商業を奨励しました。「平和でなければ商売はできない。」というのがカントの言い分でしたが、彼は「死の商人」や「帝国主義段階」を予見できなかったのでしょうか。そこも理性があれば克服できると考えていたのでしょうか。
一見当たっているように見えて、よく考えると「?」と思えるところが少なくありませんでした。
但し、「政治的な道徳家」は存在しない、や、「哲学者に耳をかたむけるべきだ。しかし哲学者が王になってはならない。」といっているところは、言い得て妙であると感じました。
「自然が人間を平和に仕向ける」というのは、どうなんだろうとも・・・。
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世界平和の実現は可能なのか。可能ならばそれはどのように達成されるのか。この問いに哲学者カントが出した一つの答えが本書です。カントの哲学は難しいという思いがあって、私も手をつけてはいなかったので、本書は私にとっては初めて読むカントの著作でしたが、意外と分かりやすい論理構成だったように思いました。
「永遠平和」実現のためにカントが設定したのは予備条項4項目と確定条項3項目の計7項目。とくに有名なのは予備条項第3の「常備軍の段階的廃止」と確定条項第1の「あらゆる国家において共和的体制を担保すること」でしょうか。しかし、なかには予備条項第4のような面白い条件も付与されています。これには「戦争に関わる国債発行の禁止」が記されていて、殲滅戦を回避するための現実的な方途として今でも通用しそうな気がします。そして確定条項第2の「国際的な連合体制の樹立」にいたっては、カントは実は予言者だったのではないかという邪推までしたくなるほどの説得性を持っているようです。
これらの条項を考えたカントの中にあったのは、「自然状態」にある人間はそのまま放っておくと殲滅戦に突入してしまうという人間観だったようです。本書を読んで私は、こうしたカントの思想にホッブズの社会契約論ととても近いものを感じました。永遠平和の実現のためには、人間とその属する国家すべてが「法的状態」とならなければならないというカントの主張は、まさに「リヴァイアサン」の目的そのもののように思えます。さらにカントは、倫理学から導き出したこのような工程表が政治家に受け入れられる可能性についても論じています。実際に、本書をヨーロッパの歴代政治家が真剣に読んでいれば、20世紀の世界大戦も回避できたのでは、と思うと、人間にとって「戦わない」ことがいかに難しいことであるかと痛感されられるようです。
驚かされるのは、本書の書かれたのが18世紀末であるということでしょうか。まさか、フランス革命の渦中にあったヨーロッパでこのような先見的な主張がなされていたとは。それどころか、本書の掲げる7つの条項は、そのまま現在にも適用できるような気がしてきます。将来、この世界に永遠平和の訪れる姿が、鬼籍に入って時間という束縛から解かれたカントに見えていることを、願うばかりです。宇都宮芳明訳。
(2009年3月入手・11月読了)
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【内容】
世界の恒久的平和はいかにしてもたらされるべきか。
カント(1724‐1804)は、常備軍の全廃、諸国家の民主化、国際連合の創設などの具体的提起を行ない、さらに人類の最高善=永遠平和の実現が決して空論にとどまらぬ根拠を明らかにして、人間ひとりひとりに平和への努力を厳粛に義務づける。
(以上、アマゾンより引用)
【感想】
ヘーゲルやエンゲルスが、カントを否定していましたが、そこまでひどい内容だとは思いませんでした。
むしろヘーゲルとカントは補完関係にあるような気もしました。
「具体的な示唆」を与えたのがカントで、「抽象的な理論」を与えたのがヘーゲルと云った感じでしょうか。
カントは政府が存在することで、人間の利己的な心に均衡をもたらす。のようなことを云ってました。これは理解ができます。
ただ、国際政治の場では、その国家の代表になる人物は、利己的な心を持ち合わせているのでしょうから、「国際政治の場では、道徳的な心を持たねばならない」とするカントの言い方は、少し無理があると思いました。
また「人間の理性にそぐう体制は共和制。なぜならば、国民の理性の意志を代表する国家であれば、戦争の負担をする直接背負う国民は、そのような大博打にはでない。」とするカントですが、ワイマール共和制からナチズムへ転化した事実を、どう説明するのでしょうか。
国民は容易にイデオロギーに感化されてしまう存在なのかもしれません。
ただ逆に言えばカントは、「国民は馬鹿じゃダメだ。(理性を獲得するために)学べ。」と示唆しているのかもしれません。民主主義ですからね。またカントは、商業を奨励しました。「平和でなければ商売はできない。」というのがカントの言い分でしたが、彼は「死の商人」や「帝国主義段階」を予見できなかったのでしょうか。
そこも理性があれば克服できると考えていたのでしょうか。
一見当たっているように見えて、よく考えると「?」と思えるところが少なくありませんでした。
但し、「政治的な道徳家」は存在しない、や、「哲学者に耳をかたむけるべきだ。しかし哲学者が王になってはならない。」といっているところは、言い得て妙であると感じました。
「自然が人間を平和に仕向ける」というのは、どうなんだろうとも・・・。
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○6つの条項
1.将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条項は、決して平和条約とみなされてはならない。
2.独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)も、継承、交換、買収、または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない。
3.常備軍は、時とともに全廃されなければならない。
4.国家の対外紛争に関しては、いかなる国債も発行されてはならない。
5.いかなる国家も、他の国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。
6.いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。たとえば、暗殺者や毒殺者を雇ったり、降伏条約を破ったり、敵国内での裏切りをそそのかしたりすることが、これに当たる。
○第1補説
・理想的な存在者は、全体としては自分たちを維持するために普遍的な法則を求めているが、しかしひとりびとりはひそかにそれから逃れようとする傾向がある。問題は、そうした理性的な存在者の集まりに秩序を与え、体制を組織することであるが、その秩序とは、たとえ彼らが個人的な心情においては互いに対抗しあっているにしても、そうした心情を互いに抑制し、公の行動の場では、そうした悪い真情をもたなかったのと同じ様な結果を生ずる、といった秩序である。