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自分にとってベトナム戦争は歴史上の事件を脱するものではなかった。生まれた頃には既に過去のものであったのだから仕方がないのかもしれない。ゆえにベトナム戦争に対する認識というものも知識としてのものを脱しなかった。サイゴン陥落という重要な局面を当地で迎えた近藤氏によるこのルポタージュはどうしても白黒にしか見えないこの戦争に色を付けてくれた気がする。事実を述べるだけでなく、サイゴンの市民に対する視点がさらにその内容を豊かなものにしていることも指摘できる。いずれにせよ、サイゴンの湿気をともなった暑さを読みながら感じさせる一冊であり、一度この本を手にしてサイゴンを訪れてみたい。その際は是非マジスティックホテルに泊まりたい。
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サイゴン陥落の迫真のルポであり、かつ興味深いベトナム生活記(またこれが普通の海外体験を超えてるし)。
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近藤紘一の本はすべて好きです。人間味あふれてて、スマートで。産經新聞社の特派員としてサイゴンに駐在していた著者のベトナム戦争終戦を迎えるまでのルポです。
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近藤紘一氏の存在を知らず、本屋でさりげなく手にとって入手した。ベトナム戦争終結時に、ベトナム国内で報道に関わっていたジャーナリスト。現地に居る人間にしか分からなかっただろう出来事をつづっている。秀逸。
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サイゴン陥落 1975年4月30日
著者はこの日、現地に居てひとつの国(南ベトナム共和国)が崩壊、雲散霧消する瞬間に立ち会った。
その時の描写は、あの戦争を知らない世代であっても、息を詰まらせるものがあった。
開高や小田、その他多くの文筆家やジャーナリストがこの瞬間を書いているのだが、これほど冷静に
精緻に描写しているものはなかった。
ますます、ベトナムに行きたくなった。
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近藤さん34歳のときの処女作であり、1975年4月30日のサイゴン陥落前後約40日間を詳細にたどるルポルタージュです。緊迫した状況の中、そこに悠々と暮らす人々の姿が優しく楽しく描かれており、一方で微笑ましくも、一方で熾烈な当時のサイゴンの状況がありありと浮かんできます。
日常勤務のかたわら、2週間で脱稿にこぎつけたという奇跡のような作品。文庫本のためのあとがきを読むと、近藤さんがいかに紳士で、自らの仕事に厳しいかが分かります。
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『キャパになれなかったカメラマン ベトナム戦争の語り部たち
上・下』もベトナム戦争の際の人間ドラマを描いたものだった。
こちらはベトナム戦争の報道に関わった人たちを題材にした作品
だったが、本書は著者の伴侶がベトナム人女性ということもあり、
ベトナムで生きる人々のサイゴン陥落前後の生活を描き出した名著だ。
取材で顔見知りになった南ベトナムの政府高官、パリ協定後に南に
駐留した北ベトナム軍の関係者、ベトナムに残る伴侶の家族、屋台や
露店で商いをする人々。
戦争という異常な状態にあっても、人間はたくましく生きている。
海外メディアという高みの視点ではなく、ベトナム人の視点で書かれて
いるような生活臭がある。再読でもやはり温かい気持ちにさせてくれる。
ルポルタージュやノンフィクションは、どんな良書であっても絶版に
なっていることが多いが、1985年に文庫版になった本書は未だ版を重
ねている。嬉しい限りだ。
さて、ヴェトナム戦争につきもののアメリカの悪口を。
「現実に、米軍は、自分がかき立てた戦火も鎮めず、しかも大量の
北ベトナム軍の南駐留を放置したままこの「協定」によって、
南ベトナムから雲をかすみと逃げた。少なくとも多くの南ベトナム人が
そう思い、この”裏切り”に激怒した。」
好き勝手に他人の国を荒らすな、アメリカ帝国。
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臨場感のある文章。
死がすぐ近くにある感覚。
そんなに遠くない過去だけれど、もう随分前のようにも感じられた。
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近藤紘一の本を続けて読む。
「サイゴンから来た妻と娘」「目撃者」、それと、この「サイゴンのいちばん長い日」の3冊。
近藤紘一は、サンケイ新聞の記者だった。
ベトナム戦争中のサイゴン(今のホーチミンシティ)に記者として滞在し、そこで知り合った子連れの女性と結婚、サイゴン駐在が終わった後は家族で日本で生活。その時のエピソードなどは、「サイゴンから来た妻と娘」にまとめられている。
「サイゴンのいちばん長い日」はサイゴンが陥落した1975年4月30日前後に特派員としてサイゴンに滞在していた近藤紘一のサイゴン陥落レポート。
近藤紘一ご自身は、残念ながら46歳の時に、ガンで亡くなられている。
以下、近藤紘一の本とは離れる部分が多いけれども、ベトナムに関しての、僕自身の雑感・雑記。
ずいぶん以前、もう20年くらい前の話だけれども、一度だけニューヨークに行ったことがある。
せっかくなので、ということで、ブロードウェイのミュージカルに連れて行ってもらった。その時に上演されていたのが「ミス・サイゴン」だった。
筋はほとんど忘れているのだけれども、主人公のベトナム人女性がベトナムに駐留していたアメリカ人と恋仲になるが、サイゴン陥落を前に、そのアメリカ人は大統領府からヘリコプターで脱出をするというところで、第一部が終わっていたような気がする(全く違うかもしれないけれども)。
更に細部になるけれども、そのヘリコプターで脱出するとき、サイゴンでは市街戦が戦われており、ヘリコプターでの脱出は「命からがら」というものであったような記憶があるのだ。
しかし、それは間違いであることを「サイゴンのいちばん長い日」を読んで知った。
サイゴン陥落前には、サイゴンではほとんど市街戦が戦われていないのだ。
北ベトナム軍のサイゴン入城は、ほとんど無血入城であったというのが、実際のところであったのだ。
1975年というと、今から37年も前のことであるが、ベトナム戦争というのは、当時、(僕の感覚では)イデオロギー的に、ひいては東西陣営の代理衝突地点として世界中の注目を浴びていた出来事であったようだ。
近藤紘一の本を読んでいると、北ベトナム軍がサイゴンを「解放」した、すなわち、サイゴン陥落はベトナムにとって良いことであったというのが日本のマスコミの主要な論調であったようだ(近藤紘一自身はそれに対して全く賛成していないが)ということを読み取れる。
サイゴンには2回行ったことがある(もちろん、最初に行った時には既にホーチミン・シティと名前は変わっていたが、ここでは話の流れ上、サイゴンで通してみる)。
1回目は、上記のニューヨークで「ミス・サイゴン」を観た足で、日本に戻らずに訪れた。従って、同じく20年くらい前の話だ。「解放」により、共産主義国家となったベトナムは、カンボジアでの内戦への介入なども足かせとなり、長く経済的には停滞していた。「ドイモイ」政策と呼ばれる「開放」政策が導入されたのは、ちょうど、僕が最初にベトナムに行った頃ではなかったか、と思う。
初めて訪れたサイゴンは貧���いが活気に満ち溢れた街だった。中国の「開放」政策が全体的にはともかく、少なくとも部分的には急速な経済成長を促したように、ドイモイ政策がサイゴンを、ひいてはベトナムを豊かにしていくのだろうな、と思っていた。
しかし、ベトナムは中国ほどには経済政策を上手に運営出来なかったのだろう。
2回目、2009年に訪れたサイゴンは、20年前に訪れたサイゴンと印象はあまり変わらなかった。活気のある街であることは確かであったが、豊かさは(というか貧しさは)20年前とあまり変わらないように僕の眼には映った。それは上海等の中国の大都市が訪れるたびに都会になっていくことに驚くのと、対照的に思えた。
中国もそうであるし、タイもそうであるし、東南アジアの国一般がそうであるのだが、これらの国の経済のテイクオフは基本的に外国資本を呼び込むことから始まっている。タイには、そのためだけの役所があるくらいだ。
2009年にベトナムを訪れた時には、いくつかの工業団地を訪問した。ほとんどが外国資本の会社であった。それなりに外国企業の誘致には成功しているようではあるが、まだまだ絶対数が少ないだろう、と感じた。自分自身がベトナムに投資をするか、という目で見ると、インフラを考えると二の足を踏まざるを得ない。それは道路であり、港湾であり、電気をはじめとする用役といったハードばかりではなく、法律や制度といったソフトも含む。それらが、大きな投資をするには、とても危ういものに思えたのだ。
サイゴンには無血入城が出来たが、ベトナム戦争自体は悲惨な戦いであった。戦争終結後も、ボートピープル等の悲惨な人たちを生んでいる。
別に経済が絶対であるとは思っているわけではないけれども、これだけの悲惨な体験をしている国は、少なくとも経済で成功するくらいであって欲しいと思うが、そういう国家運営をまだ出来ていないように感じ、戦い等で悲惨な目に会った人が浮かばれないのではないか、という感想を持つ。
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1975年3月30日のサイゴン陥落前後を、まさにそのサイゴンで過ごした近藤紘一さんのルポ。ベトナム戦争ってあまり知らないし、そんな自分が植え付けられてきた知識というと、枯葉剤とかベトちゃん・ドクちゃんだったり、ボートピープルだったり、あるいは「プラトーン」「7月4日に生まれて」のようなとにかく悲惨としかいいようのない世界なのだけど、現代のベトナムの様子を見たり、そしてこの近藤さんの本を読むと、決してそうではないのだろうと思えてくる。
近藤さんの筆は、いわゆるニュースな話もあるのだけど、緊迫したなかでもしたたかにその日を生きるサイゴンの街の隅の様子を、普通の人の姿までを書いている。それは、記者やジャーナリストであると同時に、生活者であり、妻をはじめ縁者をベトナムにつくり、亡き先妻との思い出の地としてベトナムをとらえている近藤さんならではだと思う。
今のベトナムや社会主義の崩壊を知る身としては、やはり当時の空気って反共ムードだったのかなと思わせる記述もわずかに感じられたりする(ま、そこがまた面白いんだけど……)。そういう点を除けば、市井の目線から書いている強みとして、時代や体制の変化を経ても、あまり古さを感じない。
「この国での日常生活を通じ、着実に自分の中に何かがよみがえってくるのを感じ続けた。それは、けして人生へのいきごみとか、希望感とかいうものではなかったが、少なくとも、ときおり、ふと自分の軌跡を振り返ってみても、以前のような力が萎える崩壊感覚に襲われることはなくなった。」(p.83)
先妻を自死によって亡くしていた近藤さんは、自責の念を抱いて苦しんでいた。そんな思いをほどき、生き直す気力を与えてくれた国がベトナムだ。そんなベトナムに縁ある近藤さんの筆致はやさしく愛にあふれている。もちろん職業柄、厳しく冷静な筆もふるうのだけど、仕事と割り切っていたり、ベトナムを嫌悪したり、無感情で書いたものとは違うウェットさがあって、そこがとても読み心地をよくしているのだと思う。
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1975年4月30日サイゴン(現在のホーチミン市)の陥落を持ってベトナム戦争は終結する。
著者は新聞社の特派員としてその現場に居合わせた。
時代の転換に直面した庶民の生活、対応がユーモラスに描かれている。
サイゴンの市民は困窮の中でもしたたかで粘り強い。それに比べて
政治家・軍首脳の無能だった。
こんなところが 開高健をして 顔もあれば眼もある本と評させたのか
36年も前のサイゴンの風景だが、一昨年私が行ったホーチミンとあまり変わっていないのではないかと思えた。
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ベトナム戦争というと、小学生の頃の記憶しかないが、遠い国の出来事ながらとても不安な気持ちになった事を思い出す。あのころは、とにかく反共産主義というキーワードしかなく、当然ベトナム戦争もその概念でのみ語られていた。そういう意味では、サイゴン陥落というのは衝撃的であり、子供心に世界はこれからどうなってしまうんだろうと不安になった事を思い出す。そういう気持ちで本書を読むと拍子抜けする。ここに描かれているのは、サイゴン陥落という大事件の中でも逞しく、図々しく生きていく庶民の姿であり、ある意味明るい姿である。サイゴン陥落でベトナムは共産主義国家になったと一般的には解釈されているが、実態は必ずしもそうではない事が分かる。北と南に別れていても同一民族であるし、逆に同一民族にもかかわらず、必死に生きた北に対して、アメリカに甘やかされた南、という構図もある。あれから30年以上もたって、やっと自分が抱いてきた漠然とした不安が、少し和らいだような気がする。返す返すも、著者が早くに亡くなられた事が悔やまれる。
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(1989.04.03読了)(1987.03.11購入)
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「一国の首都の陥落前後という決定的な時期が日を追って克明に記されている。登場人物たちの生彩がそれにまたとない肉や果汁や香りをつけている」。開高健氏の評だ
☆関連図書(既読)
「サイゴンから来た妻と娘」近藤紘一著、文春文庫、1981.07.25
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はじめて近藤紘一を手に取ってみた。なんでこんなにいい本を今まで知らなかったのか!ベトナムの人々の生活。ひたひたとやってくる革命の足音を耳にしつつ、窓に花を飾るところにベトナムらしさを感じました。
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サイゴン陥落40年にあたり再読。何度読んでもこの本はいい。著者はあとがきで文の拙速さを悔やんでおられるけど、僕はそれも含めて好き。この時まだ35歳ぐらいであったそうだ。優しい人なんだと思う。早逝されたのが悔やまれるジャーナリストである。