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4003001710 134p 2005・4・5 63刷
○本格的に古文を勉強するにはもってこいの教材でしょう。
❌解説は少しありますが、口語訳がありません。
古文に普段から触れてなければ口語訳を側に置いて読みましょう。
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和泉式部は私が憧れる女流歌人ベスト3に必ずランキングです。他の二人は額田女王と与謝野晶子。3人に共通しているのは、世間の批評を気にせず、自由奔放に熱い愛を語るってとこかな。カッコいいな。
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中古文学を読むのは久しぶりなので
意味を理解するのに骨が折れました。
文章の美しさは中古文学が素晴らしいと思いますが、
読みやすさは中世以降の文章が読みやすいです。
冷泉院の第三皇子である弾正尹為尊親王と死別し
その弟である第四皇子、太宰帥敦道親王(帥の宮)との
恋の始まりから同居までを記した日記です。
日記とはいっても歌物語的な
自伝的小説といってもよい内容です。
和泉式部はふとした切っ掛けから
帥の宮と恋仲になります。
他の男性とも関係を結んでしまう
和泉式部を独占したくなった帥の宮は
自邸の南院に和泉式部を引き取り
同居を始めます。
南院には正妻である
小一条大納言藤原済時の中の君(次女)が
同居していましたが、
和泉式部が来たことで
南院を出て行ってしまいます。
その様子を和泉式部は本意ではないと
記していますが
帥の宮の思いには逆らえないと
帥の宮との恋に耽る
といった内容です。
和泉式部には
和泉守橘通貞という夫がいましたが、
弾正の宮と恋に落ち、
弾正の宮が亡くなったら
その弟である帥の宮と恋に落ちてしまいます。
旦那の橘通貞は赤染衛門と恋仲であったかに
見受けられる歌の贈答があります。
この当時の貴族の恋愛は
現代の感覚では理解不能です。
和泉式部と帥の宮の恋については
当時でもよくは思われていなかった様子ですが……
和泉式部は帥の宮の死後
娘の小式部内侍ととおに
中宮彰子に仕えることになります。
その時の同僚には
紫式部、赤染衛門、第貳三位、伊勢大輔などが
います。
中古文学(王朝文学)を読むのは
久しぶりです。
学生の頃はもっと読めたはずですが、
ほとんど読めなくなっています。
たまには読まなければならないと感じました。
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彼女の歌をみて、やりきれない、ひとの性をみた。
自分といふものをひと一倍頼みにしながら、その実、誰かを求めずにはいられない弱さを同時に抱へて生きてゐる。それは、生れてきてしまつた以上、避けられないこと。ひとは、さうあることをやめられない。自分以外を生きることも、自分以外になることも、できない。
哀しいままでゐることも、幸福だけでゐることもできない。どんなに悲しくても、喜びはやつて來てしまふ。幸せであることは、もう別れが始つてゐるといふことでもある。明けない夜がないといふことは、希望でもあるが、同時にどうにもならない、ひとの在り方への絶望だ。
夢よりはかなき世といふのは、単なる男女の仲だけではなく、それ以上にひとがひとであるといふさうした性への自覚とため息だ。
日記でありながら物語の形式をとつてゐるのは、書いた人間が、ただただ流れていく世界の中にあつてどうにもならない哀しみをを静かにとどめやうとしたからではないか。それが和泉式部本人であるか、他の人物であるかに興味はない。しかし、そのやうに人生を見つめ続けた人間がゐたといふ事実に変りはない。
幸か不幸か、彼女は歌を詠むことに長けてゐた。彼女は書くといふこともまたできた。どうしやうもなくあふれる気持ち(こころ)に押しつぶされないでいたのは、並はずれて書くといふことができたからだ。何かに形を与へるといふことは、それ自体が慰めである。
忘れないといふことはひとにはできない。知つたからには忘れ、忘れたからには、知ることができる。どんなに悲しくても、いつかはまた喜びを知る。さういふことを繰り返しても、ひとは生きていけてしまふ。
そんな人生の中にあつて、少しでもさうした哀しみを語ることのできるひとといふものを求めてしまふ。孤独を紛らはすとか、経済的な支援だとか、さういふものはどうでもよく、ただただ、そこにゐてほしいのだ。どこまでもひとりだから、わかりあへないから、一緒にゐたいのだ。そして、さうした大切な誰かを待ち続ける一日一日が、千年にも等しい程に苦しいことも。それでも、誰かを求めてしまふのだ。
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『和泉式部日記』と呼びならわされているものの、日記というよりは日記の形式をとった恋物語というべきもの。語られている期間も長保5(1003)年の4月10日あまりから、同年の12月18日までのわずか8ヶ月間に過ぎない。為尊親王を亡くし「夢よりもはかなき世の中を嘆きわびつつ明かし暮ら」していた和泉式部が、親王の異母弟の敦道親王の恋を受け入れ、南院に入るまでを描く。雨の午後、月の夜、雪の朝と、折につけ恋の歌が交わされる。感情が言葉によって形成されるのならば、何という細やかで複雑な恋の感情が語られていることか。