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ボルヘス、オラル みんなのレビュー
- ホルヘ・ルイス・ボルヘス (著), 木村 栄一 (訳)
- 税込価格:2,200円(20pt)
- 出版社:白馬書房
- 発行年月:1987.11
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紙の本
奇跡的な書物
2001/02/27 22:14
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書はボルヘス晩年の講演録。どうしてこんなに簡潔で平易な表現のうちに、これほどの内容をもった「思想」を盛り込むことができたのか。私は本書を読み返すたびに、しばし眩暈を覚える。もしかするとこの本は、噂の「砂の書」の物質世界における具現物だったのかもしれない。以下、この奇跡的な書物に収められた「不死性」から、その一端を抜き書きしておこう。
ボルヘスは「死ぬ時は完全に死にたい、つまり肉体だけでなく魂も死にたいと考えている」と語っている。自我などは取るに足らぬもの、あらゆる人間のうちに内在する共有物である。だから「個人的」な不死性(「地上の出来事を記憶していて、他界にいても地上のことを懐かしく思いだす魂」)ではないもうひとつの「一般的、全体的」な不死性こそが必要なのであり、私は宇宙の不死性を信じていると。
《たとえば、ある人が自分の敵を愛したとする。その時、キリストの不死性が立ち現れてくる。つまり、その瞬間、その人はキリストになるのである。われわれがダンテ、あるいはシェイクスピアの詩を読みかえしたとする、その時われわれはなんらかの形でそれらの詩を書いた瞬間のシェイクスピア、あるいはダンテになるのである。ひと言でいえば、不死性というのは、他人の記憶のなか、あるいはわれわれの残した作品のなかに存続しつづけるのである。(略)重要なのは不死性である。その不死性は作品のなかで、人が他者のなかに残した思い出のなかで、達成されるものである。(略)音楽や言語に関しても、それと同じことが言える。言語活動というのは創造的行為であり、一種の不死性になるものである。わたしはスペイン語を使っているが、そのわたしのうちには無数のスペイン語を用いた人々が生きている。(略)われわれはこれからも不死でありつづけるだろう。肉体の詩を迎えた後もわれわれの記憶は残り、われわれの記憶を越えてわれわれの行為、行動、態度といった歴史のもっとも輝かしい部分は残ることだろう。われわれはそれを知ることができないが、おそらくはそのほうがいいのだ。》
この最後の言葉を口にするまでにボルヘスは霊魂と肉体、不死性をめぐる哲学の歴史を手短に振り返っていて、そのなかでインドの「前生」の思想を取り上げている。われわれの生が前生に依存しているとすればその前生はもうひとつ前の生に依存しており、以下無限に過去へと遡行してゆくことになるけれど、時間がもし無限であるとすれば無限にあるもののひとつがどうして現在にまで辿りつけたのか説明できない。
このパラドクスに対してボルヘスが与えた回答は、無限の空間に関してパスカルが述べたと同様のものだ。すなわち、時間が無限ならばその無限の時間はすべての現在を含むはずであり、したがってわれわれはいかなる瞬間においても時間の中心にいることになる。
《今この瞬間は背後に無限の過去を、無限の昨日をひきずっており、その過去もまた今この現在を通り過ぎていると考えられる。空間と時間が無限であるとすれば、いついかなる瞬間にあっても、われわれは無限の線の上の中心に位置しているはずであり、無限の中心のどこにいようとも、空間の中心にいるはずである。》
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