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(2005.01.26読了)(2004.10.02購入)
京都の木曾義仲を攻めることになった。大将は、源範頼。率いる軍は8千騎。義経率いる別働隊は、千騎。「義経は、伊勢、伊賀をまわり、間道を通って宇治に進出する。」「迅速こそ、勝利である。と言うのが、義経の原理であり、彼にとっては信仰のようなものでさえあった。」宇治に着いたら、宇治大橋は、橋板がはずされており、対岸にいるのは150騎程度であった。川の比較的浅いところを探し、対岸に渡り、一気に蹴散らし、京都へ攻め上り、木曾義仲を破滅に追い込む。
この後も、戦いにおいては優れた働きをして、平家を滅亡に追い込むのではあるが、頼朝に対する意思疎通がうまく行かず、都を追われ、九州に逃れて再起を期そうとするのであるが、嵐にあい、・・・。司馬さんの義経は、ここまでで終わっている。勧進帳もないし、弁慶の立ち往生もない。
当時の戦の常識もなく、勝つためにどうしたらいいかを考え実行する。世間知らずで、純情で、好色な人として描かれている。司馬さんにとって好きな人物ではなかったらしい。
●三種の神器
「三種の神器は、古い時代から皇室に伝承されている。崇神帝の時、その神器を分散して神体として祭った。のち鏡は伊勢神宮に、剣は熱田神宮に、神璽(勾玉)は宮中に、と、それぞれ奉安した。そのため、模造品をつくった。この模造品をもって皇位継承のしるしである「三種の神器」とし、宮中に置き、それを持たぬものは天子としての形式が備わらない。」
●義経の合戦
坂東武士が言う合戦とは、あくまでも敵の中の「個人」との格闘であり、そういう各個の格闘の数々を寄せ集めたものが「合戦」と言うことになっていた。
が、義経は違う。敵味方を対立する組織として義経は見ていた。義経は合戦をそのように捉えた最初の人物であろう。そう捉える以上、戦術を工夫し、戦術を持って見方を動かし、敵を突き崩した。
☆関連図書(既読)
「義経(上)」司馬遼太郎著、文春文庫、1977.10.25
(「BOOK」データベースより)amazon
義経は華やかに歴史に登場する。木曽義仲を京から駆逐し、続いて平家を相手に転戦し、一ノ谷で、屋島で、壇ノ浦で潰滅させる…その得意の絶頂期に、既に破滅が忍びよっていた。彼は軍事的には天才であったが、あわれなほど政治感覚がないため、鎌倉幕府の運営に苦慮する頼朝にとって毒物以外の何物でもなくなっていた。
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内容紹介
悲劇の最期をとげた源義経は、軍事の天才ではあったが、政治の力学にはまるきり鈍感であった。それが破滅へと彼を導いてゆく。歴史小説の巨匠が描く斬新な義経像
内容(「BOOK」データベースより)
みなもとのよしつね―その名はつねに悲劇的な響きで語られる。源氏の棟梁の子に生まれながら、鞍馬山に預けられ、その後、関東奥羽を転々とした暗い少年時代…幾多の輝かしい武功をたて、突如英雄の座に駆け昇りはしたものの兄の頼朝に逐われて非業の最期を迎えてしまう。数奇なその生涯を生々と描き出した傑作長篇小説。 --このテキストは、文庫版に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
司馬遼太郎 大正12(1923)年、大阪市に生れる。大阪外国語学校蒙古語科卒業。昭和35年、「梟の城」で第42回直木賞受賞。41年、「竜馬がゆく」「国盗り物語」で菊池寛賞受賞。47年、「世に棲む日日」を中心にした作家活動で吉川英治文学賞受賞。51年、日本芸術院恩賜賞受賞。56年、日本芸術院会員。57年、「ひとびとの跫音」で読売文学賞受賞。58年、「歴史小説の革新」についての功績で朝日賞受賞。59年、「街道をゆく“南蛮のみち1”」で日本文学大賞受賞。62年、「ロシアについて」で読売文学賞受賞。63年、「韃靼疾風録」で大仏次郎賞受賞。平成3年、文化功労者。平成5年、文化勲章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、文庫版に関連付けられています。
本の感想(オフィス樋口Booksより転載、http://books-officehiguchi.com/archives/4733965.html)
この本は昭和40年代に連載されていたものを本にしたものである。
上では、冒頭に藤原長成(通称:一条長成)という中年で、出世の見込めない貴族の話から始まる。この中年の貴族と義経の母となる常盤御前との出会い、幼少期に遮那王として鞍馬寺に預けられた頃の話、奥州藤原氏のもとに行く話へと展開されている。
下では 、源平合戦の一ノ谷の戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦いにおける義経の活躍、梶原景時との対立が描かれている。軍事的に天才であるが、政治的感覚が鈍く、悲劇に巻き込まれていくというストーリーである。
大河ドラマのストーリーと同じであるという印象を受けるが、昭和40年代から義経の人物像が定着したのだろうか。その点が気になる。
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義経は政治的には無知蒙昧に過ぎるが、父・義朝の仇を討つということに関しては合目的的な行動をとっていく。頼朝に断りなく官位を受けたり、後白河法皇から平家討滅の院宣を受ける。今で言う「天然」な性質なのだろう。その後の運命を思えば悲劇のヒーローのように考えがちだが、彼は生きたいように生きた幸せ者だったと言えるかもしれない。彼の性格では、頼朝に取って代わって天下を治めることはできなかったろう。本作では義経の最期となった衣川の戦いには筆を割かれていず、少し残念。