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長州武士の誇りが晋作を突き動かす。 日本の夜明けは、もう目の前だ。
2022/04/14 10:15
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投稿者:mitu - この投稿者のレビュー一覧を見る
「わしは一生、困ったと思ったことがなく、口に出したこともない」ーーその晩年、高杉晋作は述懐した。
まわりの仲間たちも、晋作が困ったという言葉を吐いたのを見たことがないという。
仲間を糾合し、異国の代表と堂々と渡り合い、あらゆる敵から変幻自在にその身を隠し、次の時を待ち、時を作る。
明治維新の出発点ともいえる奇兵隊を創設しながら、そのリーダーの座におさまることなく、あっさりと人手に渡してしまう権力への淡白さ。
しかし、誰よりも長州武士であることに誇りを持って行動していた晋作。
その立ち振る舞いや胆力は、奇想天外にして縦横無尽。そして、激動の時代の本質を見極めながら、舵取りをしていく。
謹厳実直な師匠・松陰に、自由闊達な弟子・晋作。対照的なこの師弟に共通するのは、汲めども尽きない圧倒的な人間力。ヒューマニズムだ。
師が志半ばで見ることができなかった日本の夜明けまであとわずか。
時代の申し子・晋作はいかに行動するのか。
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長州藩はコメディの舞台となる
2002/01/26 08:09
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投稿者:フォックス - この投稿者のレビュー一覧を見る
激動の時代に翻弄されて、人々は冷静な判断力を失いがちである。その様子は周りから見ると滑稽であり、まるでコメディを見ているような感覚にとらわれる。そのコメディの堂々たる主役を務めるのが高杉晋作であった。
吉田松蔭の死後、その遺志を受け継いで後の伊藤博文、井上馨、山県有朋といっしょに、武士の身分の高低を超えて一丸となって革命へと突っ走るのである。司馬遼太郎は、当時の幕府の制度、藩という統治機構について現代との比較を例に挙げながら丁寧に説明をしている。幕末の政治制度全般に対する深い理解が得られるだろう。
高杉晋作は決して聖人君子では無く、この物語に登場する妻、お雅との関係は、現在の基準に照らせば気の毒な部分も多い。それでも健気に高杉を支えるこの女性の存在は、高杉を取り巻く人物のなかでもひときわ気になった(とても美人だったそうである)。
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松蔭と晋作の違い。
2001/11/16 02:48
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投稿者:LR45 - この投稿者のレビュー一覧を見る
松蔭は思想中心であったのに対し、晋作は理想実現のためには実力行使が必要であると考える。下関で連合艦隊と戦ったのも、そのあらわれである。
話はずれるが、松蔭編から晋作編に移り、少し粗野な感じが目立ち始め、わかりやすくいうと少し面白くなくなってきた気がする。
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明治維新の功績者といふと誰を思ひ出すだらうか。
私の場合は、薩摩の西郷隆盛、土佐の坂本龍馬、長州の桂小五郎、そして幕府では勝海舟といつたところか。
この作品では、吉田松陰とその弟子の一人高杉晉作の人生が描かれてゐる。
吉田松陰は「松下村塾」で維新の志士を育てた人物だし、高杉晉作は長州で奇兵隊といふ身分を問はぬ軍隊を作つた人物だ。
私はその程度の認識しか持つてゐなかつた。
吉田松陰は思想家である。
その思想とは、簡單に云つてしまへば、日本の國は天皇が治めるべきだといふことだ。
つまり倒幕派の思想的バックボーンである。
この當時、勤皇派はすなはち攘夷派であつた。
これは當然のことながら幕府の方針とは相いれない。
それゆゑ吉田松陰はいはゆる「安政の大獄」で處刑された。
そして、大老・井伊直弼は、幕府が天皇の意向に逆つてまで開國した爲に、攘夷派の志士達に殺されたのである。
その弟子はたくさんゐる。
そのなかで、最も思想的に松陰を受け繼いだのが久坂玄瑞であり、それを行動に昇華させたのが高杉晉作であつた。
長州はその當時、急進派と穩健派との間で搖れ動いてゐた。
高杉晉作の功績は、その長州に革命を起こしたことだ。
世界の中における日本といふ視點からものを考へ、日本を變革させる手段として長州を變革させた。
彼がいなければ長州は倒幕に團結することもなく、したがつて明治維新が實現したかどうかもわからない。
彼は、時代がその存在を求めた、一世一代の風雲兒であつた。
もし彼が結核で亡くなることがなく、明治政府のなかで重要な位置を占めてゐたら、日本はどのやうになつたのだらう。
そんなことを想像させられた。
高杉晉作に較べれば、桂小五郎(のちの木戸孝允)や伊藤博文は人物がひとまわり小さい。
山縣有朋にしても高杉のカリスマ性に較べれば小さい、小さい。
でも、もしかすると西郷隆盛のやうに政治からは彈き出されてゐたかもしれない。
さういふことまで想像すると、高杉晉作とは時代が與へた役割を果して、そのまま舞臺から退いたのだと云へるだらう。
辭世は、
「おもしろき こともなき世を おもしろく」で、
わづかに27歳8ヶ月の生涯であつた。
2004年12月21日讀了
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すっかり吉田松陰の物語はなくなって、高杉晋作、井上聞多(のちの井上馨)、伊藤俊輔(のちの伊藤博文)が中心というか、裏方というか、各自奔走したり、留まっていたりと、三様なわけですけども、物語としては、非常に見所ありどころなストーリーだったりします。
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十一番目の志士を読む前に世に棲む日日を読み終えておくべきだったな…。
聞多やら狂介やらが出て来て楽しい。癇癪起こすと論理的ってなんだよ(笑)
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Kodama's review
「広い世界にちょうし(長州)が無くば、やがて世界は闇となる」
「動ケバ雷電ノゴトク、発スレバ風雨ノ如シ」
(06.10.17)
お勧め度
★★★★★
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3巻は急に井上馨から始まりますw やっぱり高杉は激動期になってから自分が何をすべきか知ってて、それでも激情家だから時々松陰のお兄さんとかにこっそり弱音吐いてる辺りがきゅんとします。
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幕末の長州藩の物語。いよいよ長州藩が歴史の舞台に飛び出し、攘夷戦争を開始する。幕府の動きに日本の役人体質はこのころから変わらないのかと感じる一方、晋作の英国との講話でのやりとりは晴れ晴れとする。
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どの時代でもどの国でも、お役所というのはこういう姿だからこそ安定した。
そしてそれを屁とも思わない人間が「革命家」と呼ばれた、まぁ後の時代になってみればだが。
成功したから「革命家」だけど、
何かがひとつ間違って失敗に終わってたらただの「アタマおかしいヤツ」だ。
間違わずにどうにかやり遂げた、という時点でそういう運を味方にするチカラも込みで「革命家」なのかもしれないが。
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革命だと言いながらダラダラ集まって藩のお金で酒を飲み芸妓と遊び。なにやってんだ!やってることはヤンキーと変わらないじゃないか!
と思えた前半。晋作自身も自分 をゴロツキと呼んでいる。
そして後半になって目まぐるしく自体が進行する。結局世の中の流れが変わるのは、一部の有識者がああだこうだと声高に叫んでいる時じゃなく、ひとりでに沸き起こるものなのかもしれない。
後半から伊藤博文と井上馨がグッとクローズアップされる。特に井上馨が面白い!この人を取り上げた本があったら是非読んでみたい。
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ちょっと飽きてきたな、、、
この作家特有のリズム感はやはり肌に合わないんだなぁ、当方には。くどくて綺麗でない文章、実は同じことを違った角度で繰り返し語っているだけのような気がするんですが。
まぁあと1冊、読み切りましょう。
ところで結局吉田松陰の扱いは何だったんでしょう?このなおざり感もこの作家の特徴ですか。
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「わしは一生、困ったと思ったことがなく、口に出したこともない」ーーその晩年、高杉晋作は述懐した。
まわりの仲間たちも、晋作が困ったという言葉を吐いたのを見たことがないという。
仲間を糾合し、異国の代表と堂々と渡り合い、あらゆる敵から変幻自在にその身を隠し、次の時を待ち、時を作る。
明治維新の出発点ともいえる奇兵隊を創設しながら、そのリーダーの座におさまることなく、あっさりと人手に渡してしまう権力への淡白さ。
しかし、誰よりも長州武士であることに誇りを持って行動していた晋作。
その立ち振る舞いや胆力は、奇想天外にして縦横無尽。そして、激動の時代の本質を見極めながら、舵取りをしていく。
謹厳実直な師匠・松陰に、自由闊達な弟子・晋作。対照的なこの師弟に共通するのは、汲めども尽きない圧倒的な人間力。ヒューマニズムだ。
師が志半ばで見ることができなかった日本の夜明けまであとわずか。
時代の申し子・晋作はいかに行動するのか。
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司馬遼太郎の名作の一つ。
幕末の長州に生まれた短命の天才高杉晋作。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し…。」
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
魅力に取りつかれむさぼり読んでしまいました。
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この巻では、いよいよ本格的な動乱が始まって、長州藩が幕府からも外国船からもボコボコにやられていく。藩論も、勤王になったり佐幕になったり、日々目まぐるしく変わり続ける。革命期の、もっとも激しい時期と場所を舞台にした巻だ。
アーネスト・サトーを通訳とする四カ国連合軍に、高杉晋作が長州藩の代表として和平交渉に行き、日本書紀や古事記から天地創造の演説をするところは、特によかった。もし、この場に臨んだのが晋作ではなく、保身を考えるただの役人だったら、イギリスの言うがままに彦島は割譲されて香港のようになり、下関は九龍のようになっていた可能性は大きい。
奇兵隊の幹部である山県狂介に、晋作が会いに行くシーンもよかった。議論や説得をしようとせずに、短い言葉を突きつけて、相手から立ちのぼる気の動きだけを見る、というのは任侠映画を見ているような場面だ。
登場人物の中では、井上聞多(馨)と、伊藤俊輔(博文)の、歴史への関わり方というのは、とても面白かった。普通の世であれば、まったく出世の見込みなどなかったこの二人が、たまたま絶妙のタイミングで絶好の場所に居合わせて、晋作と行動を共にするという決心を固めたことによって、歴史の中心へと引き寄せられる流れに乗るというのは、当人たちにもまったく予想出来なかったことだっただろう。
高杉晋作のスゴさというのは、こういう時期にあってもまったく軸がブレずに、遥か先までのビジョンが常に自分の中にあるところだ。何回死んでいてもおかしくない行動ばかりしているけれど、そのぐらい飛びぬけた行動をしているからこそ、逆に、誰もその存在を無視することが出来なくなり、殺されずに、藩からも重用されることになったのかもしれない。
(こんな若者だったのか)
と、晋作は近づいてくる徳川家茂の騎馬姿をながめて意外な思いがした。存外、可愛げではないか。
ひとびとはみな土下座し平伏している。が、晋作だけは顔をあげていた。
「いよう。」
と、この男は、花道の役者に大向うから声をかけるように叫んだ。
「征夷大将軍」
といったとき、さすがに連れの山県狂介らも顔色をうしなった。家康以来、天下のぬしに対してこれほどの無礼の挙動をとった男もない。そういう事件も、徳川三百年間、一件もなかった。もしあったとすれば、ただの刑では済まず、鋸挽きの刑にでも処せられたであろう。(p.47)
井上と伊藤は、藩の攘夷をやめさせねば。
と、それだけの理由でイギリスを去ることにきめた。みずからそれを決定した。他の三人の藩学生は、
外国で技術を学ぶべきではないか。
と制止したが、この両人はきかなかった。かれらの留学は中途半端におわった。しかしかれらはそのために日本の歴史に参加することができ、とどまった者は単に西洋仕込みの知識人というだけにおわった。この両グループのその後の人生の道すじは、このときに分岐したのかもしれない。(p.155)
この井上と伊藤とが帰国したときは、まだ幕府から最終回答が出ておらず、しかしながら各国軍艦はすでに薪炭を満載し、戦備をととのえ、いつ命令が出ても横浜港を出港できるよう待機中��あった。二人は危機一髪の時期に帰ってきた。すでに劇的であった。歴史が緊張するとき、きわめて高度の劇的状況を現出するものだが、その劇的状況下で劇的そのものの帰り方で帰着したかれらは、当然、英雄たらざるをえない。英雄とはその個人的資質よりも、劇的状況下で劇的役割を演ずる者をいうのである。かれらは本来、無名志士にすぎなかった。しかしこの瞬間から英雄の座へかけのぼるのである。(p.159)
古今東西の革命家のなかで、晋作ほど機略縦横の男もすくないが、これほど権力に淡白な男も、絶無といってよかった。革命であれ乱世における政権奪取であれ、軍隊をにぎらなければ牙のない虎にひとしい。
「高杉という鳥は天を飛翔しているが、梢にとまって巣を作るということをしない」
と、この時代の長州のたれかが言ったことがある。奇兵隊総督という位置を、創設数ヶ月で晋作はかるがると捨てた。その性格上の理由はいくつか考えられるにせよ、一つにはかれは藩における上流者の子で、元来、権力という泥くさいものに執着するところがなかったのであろう。その性癖はこのあとしばしば出る。逆にこの淡白な性癖があればこそ、雷電風雨の発想と行動ができたのかもしれない。(p.247)
夜になって、山県がこっそり二階へあがってきた。
「藩の天地は、俗論が満ちている」
と、晋作は言い、いきなり、
「やるかね」
と、言った。人を説得するにしても、晋作という男は鳥の声ほどの短さでしか言わない。あとは相手の目をじっと見、その精神から立ちのぼる気のうごきを見るだけである。(p.248)
この時期、奇兵隊士は二百人ほどであった。山県は、わずか二百人で、全藩士を向うにまわしてのクーデター戦争が出来るとはおもっていなかった。山県は、そのことを言った。
「なるほど」
晋作は、さからわなかった。かれはその生涯で一度といえども他人を説得したことがない。相手に気がなければそれでしまいさ、とつねにあっさり割り切っている。それに、藩論が佐幕に傾いた以上、いまさら二百人で決起したところでひとびとはついてくるまい、とも思っている。その点、山県と同意見なのである。ただ山県が、
死物狂いでやってみましょう。
と気を動かせれば、その気をひっさらって雲をよび、雷電を鳴動させてみるつもりはあった。が、あきらめた。(p.249)