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読後 こんなに不愉快で絶望した本は初めてで
長い間思考がぐちゃぐちゃで平静心保てなかった
自分の道徳観とか良心とか破壊されそうになった
性の衝動 死の衝動
ふたつは紙一重で
行き着く先は
作者の世界観......。
最後の回想からは日常を感じる部分もあって
さらに苦しい 泣きたい
人間の潜在意識 醜い 卑しい 怖ろしい ...美しい...
あ--- いやだ---
人間なんてえらそうなこと言ってるけど
なんだかんだで 動物やん
共鳴できない けど......何か考えずにいられない
08/12/17
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【下ネタ有】
著作集第1巻。風俗業界とかで聖水プレイとかって言われるプレイや死姦(に近い)プレイの描写やら、ちょっと壮絶を絶する小説だった。そりゃ、こんなの書いていたら地下出版だよなぁ、バタイユ。。よく分からないのもあるけど、それ以前に眼球譚は、体が受け付けなかった。そういう趣味はないし。訳者の解説読むと、フムフムとなってくるが、確認のために読み返したくない苦笑
他の全集読んだら、戻ってこようかな…。。
これほど自分は評価する側に回るに値しない事が自明な本は始めて。。
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読みたい当日に予約をし、図書館で借り、その日に読み切るというテンポの良い体験は恐らく初めてだ。
本の内容については、正直よくわからなかったというのが本音だ。
所構わず自慰したり、おしっこをしたり、更に人を殺したり、臓器を見せて性的に興奮したり…
たくさんの要素が詰め込まれて(しかも一つ一つがかなり濃いのだ)、煮込み崩され、ぐちゃぐちゃになったものという感じだ。理性ではとても理解し難く、かといって感情でその世界についていくこともできなかった。
主人公とヒロインの行為には痛快感が伴っていた。タブーが存在してないわけではない。逆に、厳しいタブーがあって、それを強く意識して背徳行為を何度も行ったように思える。さらりと読めるが、読後には疲労感が襲う。
ニーチェとか、キリスト教とか、退廃文学とか。キーワードは色々あるみたいだが、個人的にはその中に上手く落とし込めなかった。ただ、眼球―玉子―牡牛の睾丸といった連想は感覚的に新鮮だった。
再読は少し怖い。
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全く預かり知らない世界の話だった…。
眼球と"玉子"、"卵"じゃないところに翻訳者の意図を感じる。
それともフランス語では明確に分けられてるのかな?
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巷で「エログロ小説」と言われていて気になっていた本書。どれだけ眼に憑かれているかを語る、フェチズム的な本なのかな?と思いながら読んだ。
以下twitterより。
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p60の時点:
もっと耽美な、もしくは濃厚なエロシーンが羅列してあるかと思えばそうでもない。
自慰の見せ合いや精液、尿のかけっこ。
オーガズムのない遊びがずっと続く感覚。
グロもまだ無いが、「卵を落す」が「目玉を落す」になったのが予兆かも。
しかし小便は臭いし、後始末が大変そうだ。
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読了後:
エログロというより冒涜小説の印象。
この小説が書かれた時代、キリスト教の倫理観が今よりはまだ生きていた時代には、まさにエログロだったのかもしれない。
目玉をくり抜いたあと、まさか眼窩姦を…?と思ったがそれは無かった(なんとなくなりそうな気がした)。
シモーヌは穴より目玉に憑かれていたので、眼窩には興味がないのかな。
闘牛の描写
「白色や、バラや、薄ねずみ色の、穢らわしい色彩の臓物の束を足の間から漏らすとき。張り裂けた膀胱が突如、砂の上に馬の小便の水溜りをぶちまけるとき…」
について、張り裂けぶちまけられるのは臓物じゃないのか、と意外に思う。
散々小便について描いてきて、ここにきてもまた尿なのだ。
飛び散る血のイメージを省略して、この激しさを小便に託すというのは、いかに小便に対して強迫観念があるかというか…、小便じゃないとだめなんだろうなあ。
ラストの
「私は見たのだ、シモーヌの毛むくじゃらの陰門の中に、マルセルの薄青色の眼が小便の涙を垂らしながら私を見つめているのを」
には脱帽。
これはシモーヌがくり抜かれた聖職者の目玉を自分の中に入れてしまうという描写だが、フロイトやシンボルについての記事で読んだ女性の陰門への恐怖、「あそこはなんでも飲み込むブラックホール」というのが頭に浮かんだ。
こっちは飲み込むんじゃなく、見つめるアソコである。しかも小便の涙を流して!
うーん、半端ない。
最後の章「回想」で、なぜこういうものを書くに至ったかの経緯説明があるのだけど、むしろこの章を主人公とシモーヌの背景として描かなかったのはなぜなんだろうか。
物語描写から離れたところで書く事が必要だったのか?
本編を、作者の白昼夢のようなものとして書きたかったのかなあ。
この章はまだ途中までしか読んでない。
ブログ:
http://haiiro-canvas.blogspot.jp/2015/08/blog-post_4.html
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ハイデガーが「フランス最高の頭脳」と讃えたバタイユの1冊。
飛びすぎ
【長崎大学】ペンネーム:うんち
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実に久しぶりに再読。『眼球譚』は、バタイユの小説としての第1作。瀆聖と性、生と死、光と闇―そうしたものが、対立するのではなく、いわば止揚するのである。エロティシズムという点では、バタイユの小説中この作品が1番だろうか。
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なんというか、とにかくエロい、グロい、そしてシュールで、理解不能。
そんな感想がどうしても前面に出てきてしまう。
感情の交流ではなく、ただ身体の欲求だけでつながる人間関係。
それは読み続けるのがかなりつらい文章であり、何を伝えようとこの作品が書かれたのかが、なかなか読み取れないのであった。
目玉であり、卵であり、それは太陽でもあり、世界でもある。
垂直に移動〈成長〉する植物と、平行に移動する動物。そして直立歩行することによって動物〈平行〉でありながら植物〈垂直〉をも体内に宿すに至った人間。
松果体―頭頂にある第三の目。
フロイトが読んだらなんというのかはわからないが、とにかく肛門の話。
地球の肛門が活火山なのだそうだ。
そして父殺し。
こんなモチーフが、手を変え品を変え何度も何度も出てくる。
それをどう読み解いたらいいのか、一度読むのを中断すると再び読み始めるのに大変な力を必要とする、私のなかの拒否感。
哲学は嫌いじゃないんだけど、フランス文学は嫌いだ。
それはもう子どもの頃から。
しんどい、しんどいと思いながら、それでも一生懸命読みました。
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【オンライン読書会開催!】 読書会コミュニティ「猫町倶楽部」の課題本です
■2021年10月22日(金)23:00~23日(土)00:45
https://nekomachi-club.com/events/921dd429f109
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最初に河出文庫の「眼球譚」を手に取ったものの、さっぱりだったけどこちらのは訳が柔らかくてスムーズに読めた。
比喩が多すぎて、変態過ぎて部分的にしか理解出来なかったけど、再読を繰り返すにはおすすめ。
玉子=眼球
という、河出文庫では球体フェチシズムというのが全面に出ていたのがこちらでは勿論それもあるけれど、背徳行為に駆り立てられていくシモーヌの変貌が目覚しく分かりやすかったように思う。
次は光文社文庫の中条省平訳を読む。
読み比べをするのが楽しいのが「眼球譚」。
他はこちらもよく掘り下げないと、そのまま読むと全くの意味不明になるのはよく分かった。
「地球…すなわち男性的シンボル=男根だ」
寝て起きて働くの連続が男性器を表している…らしい。