紙の本
”救い”はないのか
2002/06/07 12:13
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投稿者:クリーム - この投稿者のレビュー一覧を見る
「信じる者は救われる」というフレーズを知っている人は多いだろう。しかしこの作品には、全身全霊をかけて信じても救われない人々の姿が、淡々と描かれてゆく。
ひたすらに神を信じ、拷問にかけられてゆくキリシタンたち。しかし神は救いの手をさしのべない、沈黙を続けたままなのである。
なぜここまで信じることができるのだろう? 見返りを大前提とした「神頼み」などというものは信じるということではないんだなぁ。ということを教えられた気がした。
ただ信じるということの難しさ、そしてその意味、考えさせられることの多い作品。
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中学あたりで夏休みの感想文宿題の為に読んだ本で最初は退屈でした。でも、読み進み、最後まで読み終わると、いままで宗教(信仰心があまりないので)について思っていた疑問の答えを少しだけ見ることができました。遠藤さんはすごい方だと思う。
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神の沈黙に対し宣教師はどうするのか。
宣教師は自分がキリスト教を捨てないせいで信徒が死んでいくのに対しただ祈ることしかできないのか…
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神の沈黙
私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。
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徳川家光の時代、日本に基督教を布教しようと、ポルトガルから長崎へ潜入し、掴まれば拷問を受ける恐怖と闘いながら隠れ切支丹を救おうとしたポルトガル人司祭の壮絶な一生を描いた作品。
映画の『パッション』を思い出した……。
キリストが捕まり、拷問を受ける様子を延々2時間近く見せられる気分の悪くなる映画。
あれは、自分の信仰を貫き通すため、自らの肉体的苦痛に耐え死に至った。そっちのほうがまだましだ。
日本人の奉行たちがやったのは、他の百姓たちの拷問を止めたいなら、お前が転べ(=棄教)と迫ること。
否応なしに他の命まで背負わされ、精神的にも追い詰められる。
形だけでいいから、踏絵に足をかけてくれ、そうすればみんなが助かる。全能なるデウスは、慈悲の心を持っているんじゃないのか、と。
そうして強制的に転ばせ、外国人司祭を一生監視下に置き、日本名を与え和服を着せ、妻や子供をあてがい、基督教を批判する文書を書かせる。
救いはない。ただ生かされているだけ。
わたしは無信心者で、信じる神も持たないけれど、これは惨い仕打ちだと思った。
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(1985.10.29読了)(1979.11.18購入)
第2回(1966年) 谷崎潤一郎賞受賞
内容紹介 amazon
島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。
☆遠藤周作さんの本(既読)
「イエスの生涯」遠藤周作著、新潮社、1973.10.15
「キリストの誕生」遠藤周作著、 新潮社、1978.09.25
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キリシタンに対して踏み絵を行っていた頃のお話。文章が難しく読み進めづらかったが、おもしろい作品だった。
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スコセッシ監督で映画になってるのを予告編で見て、こう云う映画は見ないと思いつつ、どんな小説か読んでみた。いや、救いのない話だわさ。だから宗教って分からんのやなあ・・・ で、やはり映画は見ないなあ~
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島原の乱後、基督教弾圧の時代に日本に渡ってきた司祭ロドリゴ。布教どころか、役人に見つからないよう息をひそめる毎日。そんなロドリゴの目の前で、棄教しようとしない信者たちは、拷問を受け、命を落としていく。そんな時でも神は沈黙し続ける。神の存在とは?神を信じるとは?この本が原作の「沈黙 サイレンス」という映画が公開されているので、是非観てみたいと思います。ロドリゴの心の描写、そして、キチジローという男の心の動きが、どんな風に表現されているか楽しみです。