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巨いなる企ての第三巻です、豊臣時代に政治をまかされていた大名の役割・実力度合いについて、現在の会社組織になぞらえて解説している点が興味深かったです。
・豊臣政権の政治・行政の実際は、石田・増田・長束の三奉行が取り仕切っていた、増田は庶政(総務部長)、長束は経理・財政(財務部長)、石田は社長室長兼企画部長、前田玄以は、京都奉行兼公家・寺社担当(京都支店長兼特殊事業本部長)、浅野長政は無任所取締役である(p103)
・かつて豊臣家が栄えていた頃は、戦場でも負け無し、紀伊・大和:110万石の秀長、関白の秀次も100万石を越していた、蒲生氏郷は会津100万石、小早川隆景(52万石)は、毛利一族(毛利輝元、毛利秀包、吉川広家)の合計をあわせると200万石に近かった(p135)
・徳川家康は、関東8州に移封したとき、安房の里見、下野の結城等は、徳川の与力大名とされたが、常陸の佐竹(54万石:当時の7位)だけは独立大名であったので、伊豆を補充して8国とした(p148)
・佐竹は、陸奥の岩城(12万石)、相馬(4.8万石)、江戸崎(4.5万石)の与力大名がいたので、実質勢力は85万石であった(p149)
・領国統治が良くて有名なのは、加藤清正と石田三成、加藤は治水開発等の公共事業、石田は規則の明確さ、徴税の公平、行政の効率さであった(p258)
・宇喜多秀家は、父直家が主家である浦上家を乗っ取ったため、高禄の家臣が多く、57万石の割には主君の見入りが小さい(p270)