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なんたって作者の視点が若い!
青木氏の生き生きした訳も相まって、
とても読み応えがある。
日記と言うよりは、シャレた言い回しも効いたエッセイ?
なぜ絶版になったのだろうか…
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江戸時代の役人に非常に同情してしまった。朝廷と諸外国との間に挟まれて、開国してもしなくても、戦は避けられないとわかっていたのだから。
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1858年、日米修好通商条約調印のため、ハリスとともに日本へやってきた通訳兼書記のヒュースケン。そんな彼が日本までの旅路や、外交について『日本日記』を書いた。幕末外交史の貴重な記録。
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幕末にハリスの通訳として来日したヒュースケンの日記。
前半はニューヨークから日本までの航海日記。後半は来日後の幕府との交渉をメインとした日記。
想像以上に面白かった!
特に、前半の航海日記の部分、この時代の世界各地の様子が生き生きとまとめられていて、ちょっとした冒険記を読んでるかのよう。
これは、ヒュースケン自体が平等にまっすぐ世界を見れているかなんだろうなぁ。その種の上から的な嫌さとかが全然ない。
後半部は、交渉と言う仕事上、仕方ないのだろうけども、堅苦しくなってしまい、ヒュースケンの飄々とした良さが現れず、あまり面白くない。と言うか、交渉が面白くなかったんだろうなw。
有名な一節だけど、ヒュースケンがその当時の閉じられているけども、その中で豊かに生き暮らしている日本を開国させるのが、本当にいい事なのだろうか?と思い悩むそこに、ヒュースケンの人柄が良く出ているなぁ。
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オランダに生まれ若い頃父親を亡くし、苦労して一旗揚げようと20歳でアメリカに渡る。食うや食わずで思うようにならなかったが、日本との条約提携に際して、オランダ語のできる通訳の募集に応募。21歳で日本への船に。喜望峰をまわり、インド、バダビア、香港、ラオスなどを経て日本へ。
アメリカを発ってから、日本で死ぬまでの6年間を綴った日記。中にヒュースケン自らのスケッチも多数。
原稿の原本は、フランス語を忘れないためにフランス語で書かれている。
29歳を前に攘夷派に襲われ死ぬことになったが、ヒュースケンほど当時の日本で『日本通』の外国人はいなかったし、日本を好きな外国人も彼が一番といってよかった。
通訳の仕事以上に彼の活躍の場は多かった。
プロシアのナンパした船にも通訳として随行してるし、彼の積極的で明るい性格は当時日本に訪れた外国人が後日記した邂逅録に、度々登場する。
自分の馬を購入した時などの高揚感も好ましい人物に感じる。
彼の観察力や好奇心、異文化をも理解しようとする姿勢は、生きていればシーボルトやその息子たちのように活躍の場がもっと多かったはずだ。
朝ドラの『朝がきた』だったか、同じ時代のようなので、実に興味深いリンクの仕方が興味深い。