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14世紀 イタリア 分裂
ペトラルカ 1304-1374
ルネサンス運動の首唱者 詩人
人文主義運動(ヒューマニズム運動) ヒューマニズム 詩 歴史 修辞学
モラリスト 常に自己自身を問い哲学する
ヒューマニズムの真の父
ロベルト(ロベール)王 フランスのアンジュー家の当主 1309シチリア王位を継承した 教皇派 学芸を愛好し、保護奨励に努めた 当時のシチリア アラゴン王国(スペイン)の支配下 シチリア領有を巡る争い 1328年に亡くなる(享年50歳)
Ⅲ自然と人間との再発見
「自己の悩みについて」
聖アウグスティノ会士にして神学教授なるディオニジ・ダ・ボルゴ=サン=セポルクロに
「私はまだ港にはいってはいないので、過ぎ去った嵐のことを安らかな心で回想することができないのだ。」
「できることなら憎みたい。できぬとならば、嫌々ながら愛しよう。」オウィディウス『恋の歌』
人間は愚かにも、自らの最も高貴な部分をなおざりにして、さまざまなことに気を散らし、むなしい眺めにわれを忘れては、内部にこそ見いだせるはずのものを外に求めているのだと。同時に私は賛嘆の念にも打たれました。われわれの魂がもし、自ら堕落して自己本来の姿に背き去り、神が名誉として授けたまいしものを変じて汚辱となすようなことをせぬならば、その高貴さはいかばかりであろうかと。
魂は肉体であり、肉体は魂だ。人はその内部に見いだすことのみを外部に見る。
さいわいなるかな、万象の究極を見きわめることをえて
あらゆる恐怖 非常な運命 貪婪な冥府の河の阿鼻叫喚を
おのれの足下に踏み敷いた人!
『農事詩集』ウェルギリウス
Ⅳ二つの憧憬――ローマとラウラ
Ⅴローマの再発見
「都ローマから」ジョヴァンニ・コロンナ枢機卿に
「現在のところ私は、あまりにも多くの驚嘆すべきものに圧倒されて茫然自失し、どれから手をつけたらよいのかさえわかりません。」
「現実は、いうもふしぎなことに、何ものをも減じさせず、すべてを増大させました」
Ⅵ孤独生活――自由と文学研究のために
ジャコモ・コロンナに
「ねがわくば運命よ、このわずかな土地と小さな家と
甘美な書物は私のためにのこしてほしい。
ほかはお前が持ってていい。なんならそっくり持ち去ってくれていい。
私はじたばたしない。もともとおまえのものなのだ。」
「私はなにも羨まぬ。そして自分自身のほかは
だれをもことさら憎まず、さげすみもせぬ。
これまでは人という人をさげすみ 自分を星のかなたにまで持ちあげていたのに。
かくも人の心はうつろいやすいが、自分がいかなる者かについては
私はすでに多くの証拠をもっている。夢想に欺かれているのでないならば。
まことミューズ(学芸)の泉にしばしばわが渇きをいやしたとて何になろう。
さらに大きな別の渇きが私を焦がし
わが心にいつまでもその猛威をふるうなら。
しばしばヘリコンの山の高みに身を横たえ���
はるかに衆愚の煩労を見くだしたとて何になろう。
わが身も別の煩労にさいなまれ なんの憩いも得られぬなら。
容貌の美しさもなんになろう。心がみにくく汚れているなら。
神の賜物にふさわしい賛歌を神にささげようにも
わが舌がこれをなしうるものか私は不安だ。
私は幸福になりうる賜物にめぐまれているのに、
この胸はみじめにも苦悩の悪疫にさいなまれてやまぬ。」
Ⅶ文学的栄光の獲得――桂冠詩人の誕生
「範例の効用を範例で示して」フラ・ジョヴァンニ・コロンナに
「私はおおいに語っているし、おおいに書いてもいます。現代に益をなすためというよりも、私自身を憂慮の重荷から解放し、書くことで心を慰めるためです。現代の悲惨は既に絶望的だからです。』
14世紀の人が既に「現代に絶望」とか言ってる。いつの時代でも人は「現代に絶望」しながらどうにか生きようとしてきたんだ。
Ⅸ 古代人への書簡
おなじくマルクス・トゥリウス・キケロに
お追従は友を生み、真実は敵を生む。 『アンドロスの娘』テレンティウス
Ⅹ 古代文化(再生)のために
書物の探索を依頼して ジョヴァンニ・デリンチーザに
豊かな天分の人さえ書物の助けをもとめることが許されるとすれば、天分に乏しい人はなおさらではないでしょうか。
しかし、わがローマがアテナイやアレクサンドリアに見下され、イタリアがギリシアやエジプトに笑われるのではないかというご懸念は無用です。我々もまた学芸愛好の君主に恵まれました。しかもその数のおびただしいこと、枚挙にいとまがないほどです。帝国そのものよりも哲学を愛した者もいるほどです。しかも彼らは、書物自体と言うよりもその内容を愛したのです。ところが、書物を利用したいからではなくただ所有欲から、他の物品並みに書物を集めている人達もいるものです。しかも、精神の砦というよりは部屋の飾りにするためなのです。
余人はさておき、カエサルやアウグストゥスのような優れた皇帝は、ローマの図書館に保護推奨の手を差し伸べました。カエサルがかくも重要な事業にあたらせた人物こそマルクス・ウァローです。同様の事業によってエジプト人の間で名声を博したのはファレロンのデメトリオスですが、ウァローも彼に勝るとも劣りません。こういったとてデメトリオスの不名誉にはならないでしょう。さらに、アウグストゥス帝がこうした事業に任命したのはポンペイウス・マケルで、これまた稀代の碩学です。優れた弁論家アシニウス・ポリオもギリシア・ラテンの図書を熱愛しました。ローマで図書を一般に公開したのは彼が最初だと言われます。
ⅩⅠ 古代ローマ再生の為に コーラ革命をめぐって
護民官コーラとローマ人民に
奴隷も已むを得ず傲慢な主人をあがめ、籠の小鳥も飼い主と戯れるものですが、奴隷は可能となれば鎖を断ち切り、小鳥も出口が見つかれば嬉々として飛び去るのです。
「過ぎ去ったことは正すよりも難ずるほうがやさしい」『ローマ史』リウィウス
ⅩⅢ 教皇庁批判
私はいま心身ともに苦しんでいます。現在の私から、穏やかな快い言葉は何一つ期待��ないでください。苦い泉から甘い流れが湧き出ることはできません。当然のことながら、病める胸の吐く息は悪臭をおび、怒れる心の発する言葉は激越です。
ⅩⅤ 文学と政治の狭間で
皇帝自身に イタリア帰還を勧め懇願して
しかし私は失恋の人さながらです。失恋に憔悴せる人は、口説きの言葉も尽き果てますと、ただ唇で、いなすでに唇でもなく心の奥で、恋しい人の名をつぶやくだけです。
ⅩⅦ 後生への書簡
私という人間については、きっとさまざまに取り沙汰されるでしょう。人はたいがい、真実に促されて語るのではなく、言いたいことを言うものだからです。毀誉褒貶にはおよそ尺度がないのです。とにかく私も、あなた方の仲間の一人でした。死すべき哀れな人間なのです。
わたし自身としては、善く生きられさえしたなら、どのように語ったかは問題でありません。たんなる言葉の輝きによって名声を得ようとするのは、およそむなしい名誉欲です。
そんなわけで、私は二十二歳の時我が家に帰りました。私の幼年期の終わりからいたあのアヴィニョンの亡命地を、私は「我が家」と呼んでいるのです。まことに習慣とは自然に近い力を持っているものです。
フランス・モラリスト 具体的な個別的人間(特に自分自身)や個別具体的な問題の考察を通じて普遍的認識に至ろうとする。 モンテーニュなど 自己救済の試み
優れた創作はしばしば、生の事実の羅列よりもはるかによく真実を伝えうる。