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たなぞうで紹介されていて出会えた本。面白かったです。著者に対してほとんど知識がなく恥ずかしながらお酒やファッションにこだわりのあるおしゃれな冒険家、文筆家、程度のイメージだったので記者時代の仕事には初めて触れました。アメリカ軍に従軍して取材したり、サイゴンで見聞きしたことが書かれています。戦闘やデモの緊張感と、目覚めたらいつもどおりチャシュメンをすすっている著者と、公開処刑されるベトコンの青年と、意外と気楽に本音を語ってくれる米軍兵士と、どからともなくおそってくるベトコンに対する恐怖と、きっと本当にそうだったのでしょうが、激しい戦闘があれば普通の生活もあったのだといまさらながら感じさせられました。描写が記者というよりはすでに作家の文章という感じで、多少キザだなとも思いましたがこれが開高ワールドなのかしら。
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ベトナム戦争は、私が物ごころついたら始まっていて、突然終わったのは、確か高校生のころ。正直、終わらない戦争だ、と思っていたのを覚えている。そして、アメリカがベトナムと戦争しているのではなくて、ベトナムの内戦にアメリカが兵を出している、というのがどうにもピンとこなくて、(だって、資金で圧倒的に優るアメリカがどんどん泥沼状態に陥って“じり貧”だったし、日本に『休暇』でやってくるアメリカ兵たちの話や、小田実がやっていたべ平連の話とかには、10代の少女だった私にも随分心かき乱されたものだったから)何がどうなって始まって、いったい何が行われていたの??という疑問は、気持ちの中に残っていた・・・。で、今回ご縁があって開高健の「ベトナム戦記」を手に取ったわけですが、そっかぁ〜〜〜〜、そうだったのかぁ〜〜〜の連続でただただ驚いておりました。小説家の開高健が、小説に行き詰まり、ならばということで、ベトナムに飛んだ、という話を角田光代さんの新刊で読んだゆえ、なのですが、開高さんは100日間の間、南ベトナムのあらゆるところにカメラマンと共に出かけ、ベトナム兵・ベトコン・将軍・僧・そして一般ベトナム人から突っ込んだ話を聞いている。ベトナムという国の歴史から、その国民性、アメリカ軍が介入したことにより、ベトナム兵がベトコンに移行していくさま、など、ホントによぉ〜〜〜くわかったし、彼の筆致から伝わる現地の湿った気温、猥雑さ、無力感、頭の芯がキリキリするほどの恐怖感が今も私の身体にまとわりついているよう・・。映画「地獄の黙示録」の場面も多々思い浮かべながら読んだのだが、日本人の目から見たベトナム戦争、これはもうアメリカが撤退するしかないだろう、と言っているのがアリアリで、こんな素晴らしい戦記を日本にもたらした開高健! ため息が出てしまう。私が10代のころに出てたんだから、そのころに読みたかったなぁ。それだけが残念でたまらない。
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1964年末から1965年初、ということは40年以上前の話であるが、ベトナム戦争初期の頃に現在のホーチミンシティ、当時のサイゴンに住み、また実際に米兵を含む政府軍の作戦にも従軍し危うく命拾いをした筆者の現地からのベトナム戦争報告。ベトナム戦争の経緯・経過はにわかには記憶にのぼってこないけれども、国と国の関係、とはほとんど何の関係のない立場の弱い人たちが結局は一番悲惨な目にあうという構造には、戦闘自体の悲惨さに加えて二重の痛ましさを覚えざるを得ない。
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解説に、「このルポタージュは小説的である」とあって、まさにそうだなぁと。
開高健さんの本は、サントリーの「やってみなはれ、みとくんなはれ」しか読んだことなかったのですが、改めてその独特の語調に惹かれました。
極限状況に居ながら、どこか臨場感に欠け、第三者的視点からどちらかと言うと飄々とした態度で表現するというのは、読むものの心を離さないでしょう。
内容も、ちょうど戦争に興味がで始めたので、勉強になりました。アメリカ兵、ベトナム兵の生の息遣い、生の考えが伝わってきます。
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戦場でのベトナム兵はまるで神経がない。呻きもせずもだえもせずピンに刺されたイナゴのように死んでいった。そうかと思えば手榴弾を運ぶ少年はもっと危険だ。アメリカ兵であれベトナム兵であれジャングルに連れ出しマシンガンなど持たせたら彼は豹のように駆けまわって乱射し人を殺すだろう。あるいは泥の中で犬のように殺されるだろう。少年は英雄にもなれば殺人鬼にもなる。よってその少年をこの場で蜂の巣のように射殺する。衝撃による反射がまだ残っているのでこめかみにとどめの一発。”グー・ド・グラース”(慈悲の一発)を撃ち込む。これが戦争だ。氏はこの体験を「私の中の何かが粉砕された。」と綴っている。地獄絵図そのものだ。平和とはなんだろう。考えてしまう。のだ。
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@mundburg『ベトナム戦記』開高健 朝日文庫 1990年 小松左京の「親友」のベトナム戦争ルポ。「機械のごとく、憲兵たちは並び、膝を折り、引き金を引いて去った。子供は殺されねばならないようにして殺された。」(169頁)作家は見た、読むのは私たちだ。 #嵐の本棚
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これは「ジャーナリストによるルポルタージュ」ではなく、「小説家によるルポルタージュ」だと思う。本書で伝えている事が私的な感想レベルに留まっているのだ。これは本書が書かれた時期(1965年)にもよるものもあるだろうし、半世紀近くたった2012年現在からみての読後感なので、出版当時の反響・評価とは異なるだろう。
だけど、ベトナムへ行っているのに、ベトナム語は喋れない&通訳もつけないで、その国のことを取材しようだなんて、それで本当に何がわかるというのだろう?
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イケメン先輩からベトナム入り直前に読むよう勧められた本。
ベトナム戦争の内情だけでなく、ベトナム人の気質も垣間見える1冊。
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(1990.10.27読了)(1990.10.23購入)
(「BOOK」データベースより)
この本は1964年末から65年初頭にかけて、開高健がサイゴンから「週刊朝日」に毎週送稿したルポルタージュを、帰国した開高自身が大急ぎでまとめて緊急出版したものである。
☆開高健さんの本(既読)
「オーパ!」開高健著、集英社文庫、1981.03.25
「輝ける闇」開高健著、新潮文庫、1982.10.25
「もっと広く!(上)」開高健著、文春文庫、1983.12.25
「もっと広く!(下)」開高健著、文春文庫、1983.12.25
「破れた繭」開高健著、新潮文庫、1989.12.20
「夜と陽炎」開高健著、新潮文庫、1989.12.20
「知的な痴的な教養講座」開高健著、集英社、1990.03.10
「シブイ」開高健著、TBSブリタニカ、1990.05.08
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ホーチミンの高級ホテル、マジェスティックの開高健氏が滞在した部屋には、氏が滞在した事を説明するプレートがあるらしい。芥川賞作家の氏がなぜ命を賭して銃弾飛び交うベトナムの戦場に赴いたのかは今一つ不明。まだ北軍の本格的な攻勢は始まっていないものの、サイゴン市内でも頻繁にテロがあり、「全土が最前線」だった南ベトナムの緊張感が伝わってきます。
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ベトナム戦争のことが知りたくて読んでみました本作ですけれども、ひっじょおに良かったでげす! 僕はこの著者の本を読むのは初めてなんですけれども、やっぱし作家だからか現場の臨場感とか伝わって来るし…臨場感っていうか、作者死にそうな目に遭っているんですけれども…まあ、当時のベトナムの状況が分かる作品でしたかね。
ベトナム戦争のことは確か歴史の教科書とかで学んだっぽいのだけれども、あれは単にテスト対策のため覚えた感じがしてどうも…やっぱし当時の状況とかを詳しく知るためには自分なりに本作みたいな、ベトナム戦争のことが書かれてある本を探すしか方策はないな、と思いましたね…
ヽ(・ω・)/ズコー
一口にベトナム戦争と言えど、複雑に入り組んでいる感じです…ベトナム人同士が殺しあうとか…「ベトコン」とベトナム兵は全く別だ、というのがこの本を読んで分かりやした!! おしまい。
ヽ(・ω・)/ズコー
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ベトナム人は痛覚がない。中華、フランス、共産主義、征服されることに慣れた民族の恐ろしさ。小説家:開高健が書いた従軍ルポ
もっと脳味噌ぶちまけた、血なまぐさくて生ぬるい、そんな内容を期待していたけれど、そんなもんじゃない。そんな軽薄なものにしてはいけないんだろうな。
ベトナム人の青年が、大腿部を打ち抜かれているのに、何もなかったような顔で後退してくるシーンが印象的。
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p17 テロ、デモ、デマ、(クー)デタ
べトナム:サイゴンの4大特産品
p22 メコンデルタの貧しさ
メコンデルタはメコン川の肥沃な三角州として、一面広大な稲作地帯である。肥沃な土壌で三毛作ができるくらい豊かな土地である。にもかかわらず、そこに暮らす農民の生活は、掘立小屋で豚や鶏と暮らしている。持っている道具は鎌と鋤、家具と言えば凸凹の洗面器くらいである。何ものかによる搾取のすさまじさを思い知る。
p29 ベトナム語はほぼ中国語
ホーチミンは胡志明、ゴディンディエムは呉延琰、カタカナだけどやはり1000年以上中国に征服されてきた国である。
p58 クリスマスのプレゼント
アメリカ兵の敬虔な宗教家は、クリスマスにはそこらへんの汚い子供を拾ってきて、風呂に入れ、服屋できれいに着飾らせ、レストランで美味しいものを食わせ、プレゼントを買ってやる。そういう行為をするものが多かった。
上司の命令でやってるでもなく、あくまで事前行為だが、それでこのベトナムの貧しさが解放されるわけでもなく、逆に子供たちに悪影響はないのだろうか。
ちなみにそれをやるのはほぼ男だった。
p77 農民 即 ベトコン
ベトコンと農民は区別ができない。村にベトコンが潜んでいるという通報を受け、ナパーム弾で焼き払う。家も畑も失って生き残った農民はベトコンに入るしかない。アメリカ兵はせっせと爆弾をつぎ込んで、ベトコンを生産しているのである。
p116 ベトナム人の三分類
北部人は、勤勉で忍耐力があり、思考が計画的である。組織力があって、団結力もある。自制心が強く、なかなか羽目を外さない。口が上手で手の込んだ物言いをする。
南部人は、お人好しの怠け者、情熱的で衝動的で考えたことをすぐ口に出す。素直だけど軽薄で、親切だけど大雑把で、おだてに乗りやすく気前がいい。
中部人は、南北の人の間でゆらゆらしている。貧しい人が多くて、けちんぼである。
p124 アメリカの作戦
アメリカの戦略村作戦は大失敗。ベトコンと農民の接触を防ぐため、農民を収容所に住まわせ、そこから畑に通勤させる。
農民の「自由を守るための戦争」の作戦だが、実際は、農民の自由を奪って、ベトコンに走らせた。
p188 洞窟
ベトコンの作ったトンネルは、トンネル学の魔法である。途中に支柱を立てることなく何キロもつなげても崩落せず、TNT爆弾で壊そうとしても入口しか崩れず、催涙弾を突っ込んでも鼠一匹出てこない。
トンネルに侵入しても、腐った空気に耐え兼ねて10分と持たない。ベトコンはどうしてこんなト��ネルを利用できるのか。
p201 兵役
アメリカ兵のベトナム勤務は1年間だけ。しかし、ベトナムの青年兵は、この不毛な戦争が続く限り、ずっと線上に身を置かなければいけない。このなにもない兵站で、終わることない青春の浪費を続けるのだ。
p203 ベトコンの農民
農村に若者はいない。みんなベトコンか政府軍に徴兵されている。ただでさえ貧しい農民にコミュニズムもデモクラシーもない。きっと何をやっても彼らが貧しさから抜けられることはないし、そもそも彼らはコミュニズムもデモクラシーも何かわかっていない。それでも、コミュニズムは農民を引き付けるらしい。
p204 コミュニスト
ベトコンにはコミュニストは意外に少なく、民族主義者や自由主義左派が多いらしい。
p205 民族主義
中国に1000年やられ、フランスに80年やられ、ベトナムにはゼノフォビアが浸透しきっている。だから、アメリカは居ればいるだけ嫌われるのである。一日200万ドルをつぎ込んで、自ら嫌われているのである。
ホー=チ=ミンはコミュニストだけれど、それよりも民族主義者で、中国にも警戒を怠っていないはずだ。ベトナム人は本質的にそうなんだ。
p208 フランス植民が悪
フランスの植民主義が、ベトナムに利己主義や陰謀、面従腹背、貧富の格差、文盲、汚職、権力闘争など数々の悪癖を持ち込んだ。アメリカがいかに正常化しようとも、ベトナム人に染みついた悪癖は手の付けようがなかった。
p214 無関心
「豊かな社会」のアメリカ人は、ベトナム戦争のことを知らない。上流階級は知識はあるが、カクテルを飲んでおしゃべりをするだけ。中流階級はローンとテレビと息子の進学にしか興味がない。下流階級は社会に目もくれず、のんきにその日暮らしするだけ。
ベトナム戦争は初めてテレビが戦争の悲惨さを映し出した戦争だが、当初は国民も遠い国の他人事だったんだな。
p217 「…秘密ネ。」
ベトナム人中尉と話して、彼は悲しげに言った。
「砲兵、大砲射ツ、ジャングルト村、イツデモウツヨ、VC死ヌ、百姓イッショニシヌ、VCでない百姓死ヌヨ。生キル百姓VCニナルヨ。砲兵隊、一生懸命敵ヲ製造。秘密。コレ言ワナイデ。オ前日本ニ帰ル、オ前新聞ニ書ク。ホントウヲ書ク。秘密ネ」
p238 教育しかない
人類を救うには教育しかない。そうボウヤァ通信兵は信じている。ベトナムに行った兵士は、現実を見たが、そう考えるしかないのだ。
p285 コミュニスト少ない
ベトコンの中でコミュニストは1~30%の範囲でしかない。とにかく、多数派を締めていない。「コン」といわれるには、共産主義者は少なかった。
ベトナム戦争は代理戦争というには、ただのアメリカの失敗戦争だったのか。
p286 人殺しが起こったら、まずは女、それから誰がトクをするかを考えろ
ベトナム戦争は何だったのか。
アメリカの血税によってつぎ込まれた武器や援助物資はどうなったか。武器は第二次大戦用につくられた旧式がベトナムに送られ、サイゴン経由でアメリカの武器会社と石油会社を潤わせた。援助物資は経由する先々で引き抜かれ、末端にはほとんど届かなかった。
最前線のアメリカ人はこの不毛な戦争の歪な形を理解していた。開高健がベトナム戦争の小説を書くなら、タイトルは「気の毒なアメリカ人」になるといった。
p293 当時の認識
開高健がベトナムに従軍記者として赴いた1964当時の日本は、「東南アジアの小さな国でゲリラ的内戦が激しくなっている」程度のものだったらしい。
開高健が帰国し、急いで執筆したこの本が、日本の部とねむ戦争への関心を一気に高めた。
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開高健の『輝ける闇』はベトナムの小説らしい。読みたい。
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開高健はベトナム戦争がなぜ起きたか語らない。どちらが悪いのかも語らない。ただヘルメットをかぶって、ベトコンの狙撃兵に怯えながら、兵隊と一緒に地べたを這いずる。その低い視点で見た戦争こそ、戦争を戦っている兵隊たちの目に映る戦争なんだろうと思う。それは悲しく、アホらしく、悲惨を通り越して滑稽ですらある。
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読了した後、体の中に、腐った生暖かい廃油のようなものが沈殿しているような不快感が漂った。それはこの著作に対してではなく、ヴェトナムの、いや東南アジアのもつ、例えようのない無邪気さを伴う殺戮の歴史によって生み出されるそれだ。巻頭に著者が挙げている「寓話」が、最もこの本の本質を表している。
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ハノイで読んだ。開高の部隊にめちゃくちゃ撃ちこんでいた側の街で読んだ。路上にたむろする老人たちの皺に、何か読み取らねばならない気にさせられた。サイゴンで読むとまた違う読みができるだろう。