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開高健がマジェスティックホテルの窓からどういう景色を見ていたのか、そのときどういう心象風景が脳裏によぎっていたのか、そんなことを最近はよく考えている。2002年12月ベトナムのホーチミンに行ったとき、開高が寄宿していたホテルのすぐ近くのホテルに宿泊した。サイゴン川が目の前を流れ、旧宗主国のフランスの影響の色濃く残る建築や街並みの美しさに、ここで30年前まで戦争が行なわれていたとは到底信じることができなかった。
市内の広場で公開処刑を見たときに衝撃を受け言説の敗北感に打ちひしがれ従軍記者を辞める決心をしたという。同時期に読売新聞の特派員としてサイゴンに来ていた日野啓三(のちに作家)に語った言葉「おれは大説はもうやめるよ、これからは小説を書く」の背景にはどんな風景が見えたのだろう。
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ベトナムへ行くにあたって、鞄にいれた本でした。
「プラトーン」を見ても、それはあくまで鑑賞しただけでした。
でも、この本を読んでいるとき、私はその場に居ました。
なぜなら、この本ほどベトナム戦争を忠実に、何ものにも属さずに描いた作品はないからです。
戦争を知らない私にとって、戦争そのものについて教えてくれた、貴重な本です。
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1975年サイゴン陥落。
ベトナム戦争とは一体何なのか?
それを知りたくて読んだ。
しかしそれ以前からの歴史などを知っていなければ、一冊でベトナム戦争を分かろうというのは無理だろう。想像以上に、戦争とは様々な要因があり、入り組んでいる。
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なんか週刊誌の連載を本におこしたらしく、時間や移動の推移がわかりづらくてイマイチだった。
仏教(宗教)信じる者の高潔さというか、誰にも犯すことのできない芯の強さみたいなのはハンパねぇって思った。長い歴史の持つ重みなんかねぇ。
それに対し、たかだか100年くらいの歴史しかないのに共産主義もつえぇ。
それに莫大な資本力を持つアメリカ、それに便乗するベトナム将校とかが絡んでくるからややこしい。
ほんと、よくこの国統一できたよなぁ。。
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ベトナム従軍記。
らしいが、受けた印象は、戦争当時のベトナム国内の様子。
従軍記なら下記の「戦場カメラマン」のが凄いかも。
ただ、解放軍の少年兵が広場で公開処刑される様や国内のお坊さんたちの様子(仏教国なので)など別の意味で興味深い部分は多かった。
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1965年あたりのベトナムの様相を報告したルポである.本書を読むと,このころから既に南ベトナム側の情勢が悪いことが分かる.
そして,平凡な南ベトナムの農民がベトコンになってしまうくだりは切ない.本当であればベトナムの豊穣な水田を耕し生活する彼らが,なぜ武器を手に取るのか.それは,自分たちの生活が脅かされるためである.一方でベトナム戦争は資本主義勢力と共産主義勢力の代理戦争とも言われている.ベトナムの農民は,自分たちに関係のない思想の対立のために,武器をとり,そして命を落としている.戦争において罪もない人々が命を落とすことは切ないことだと思う.しかし,その人々が自ら命を落とす選択に迫られたことは尚切ない.
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著者の約100日間にわたるベトナムでの体験を記したルポである。
ベトナム戦争が徐々に泥沼化していく状況下のなか当時の南ベトナムの人々の姿を著者の筆が生々しく伝える。
人々が大きな渦に飲み込まれ、それに抗し難い状況に陥っていくいく姿は戦争の虚しさを感じずにはいられない。
間違いなくベトナム戦争に関する素晴らしい作品だ。
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アメリカ、政府軍、ベトコン、農民…。
戦場を、すべてを同じ目線で見、描いており、それゆえ、淡々とした、深い嘆きが胸を打つ。
皆知ってる、みんな分かってる。
それでも…。
あそこで死んでいった人たちとは一体何なのだろうか。
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ベトナム戦争時に従軍した著者によるお話。著者のちょっと滑稽な物の書き方が、小田実氏の”何でも見てやろう”を思い起させた。ただ文章が、私の感覚と合わないのか、同じベトナム戦争について書いている近藤紘一氏と比べ、言葉がすっと入ってこず、しっくりこない箇所が少なくなかった。ただ最後の従軍中にベトコンに囲まれて乱射を受け、命からがら逃げ出す箇所、その後、戦争について思う箇所が非常にリアルで印象に残った。
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開口健は、ゲリラに襲われて自分の死を感じた瞬間の事を書いています。
銃弾をよけるために必死で木のかげに飛び込み、自分の死を目前にした時に見たモノ...。
それは、「アリ」でした。
どんなに激しい戦争を行っていても、アリ達は自分のいつもの生活を続けている。
開口健は、このアリに日本にいる日本人の事を見たのではないのでしょうか?
多くの人がベトナムの戦地で命を失っている。
しかし、場所を離れると日本ではオリンピックでお祭り騒ぎを行っている。
しかも、このアリ達はこのベトナム戦争を目の当たりにしているにも関わらず、いつもと変わらず、何も変わらない日常を過ごしている。
人間の生死をかけている行動も、地球規模でみると取るに足らない事なのか...。
開口健は、「人が生きる」という事の意味にすら疑問を持ったのかもしれません。
考えてみれば、人間の「感じ方」には不思議な事が多くあります。
戦争で多くの命が失われる事に対しては、遠くで起これば起こるほど無関心なのに対して...
比較的近くで起こる、教師の暴行による生徒には強い同情心を持ちます。
もちろん、どちらの命が尊いと比べる事は出来ません。
しかし、「戦争」となると命に対しての考えが軽視されるのはなぜなのでしょうか。
人は、自分自身で経験をした事でないと本当の意味で理解をする事は出来ない。
この本を読んで、そう痛感をしました。
頭で理解をしたフリなら簡単に出来ますが、本当に「理解」する事は実際の経験を伴わないと出来ない。
しかし、そのために全てを実践するとなると多くの犠牲を伴う事が必要になります。
だからこそ、私たちは机上の空論と言われても「学ぶ」必要があるのだと思います。
ただし、必ず忘れてはいけないのは「私たちは本当の意味では理解をしていない」という事。
これを忘れてしまっては、学ぶ事の意味すら無くなってしまうとCarrieは思います。
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僕と同じ年代にとっては終わった戦争、過ぎさった過去のひとつとして結果ぐらいしかしらないベトナム戦争のルポルタージュを開高健が書いたこの作品。現地の緊張感が伝わり、なんとも言えない気持ちにさせられる。なんのための戦争だったのか?アジアの小国に得るものはあったのか?理不尽な結果しか残っていないのではないか。
攻撃をすればするほど農民をベトコンに変えてしまう負の連鎖にワシントンは気づけなかったという下り、世の中のすべてのことに言えるんだろうと読んでいた。力による支配は何も生まない。
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ヴェトナムに行って、あの国のたくましさを体感しましたが、この本を読んでいったことが、見方を正してくれた気がします。
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なかなか読み進むことのできなかった、「ベトナム戦記」をやっと読了。多分、年単位で時間がかかっている…
先にこっちに興味があって、行く前にかその後に読み始めたか?
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ベトナム戦争の中でも特の初期~中期にかけてだったと思います。とはいっても、ベトナム戦争は「宣戦布告なき戦争」と言われてて、厳密にはいつ始まったのかはっきりしない戦争なんですが・・・
開高健氏の絶妙でちょっと毒っけのある論調や関西弁など、ただ歴史をなぞった本とは全く異質な一冊。
そして、「戦争」の持つ意味は全然単純じゃないということをあらためて感じました。
立つ位置によって景色も違えば「正義」も違う。
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たなぞうで紹介されていて出会えた本。面白かったです。著者に対してほとんど知識がなく恥ずかしながらお酒やファッションにこだわりのあるおしゃれな冒険家、文筆家、程度のイメージだったので記者時代の仕事には初めて触れました。アメリカ軍に従軍して取材したり、サイゴンで見聞きしたことが書かれています。戦闘やデモの緊張感と、目覚めたらいつもどおりチャシュメンをすすっている著者と、公開処刑されるベトコンの青年と、意外と気楽に本音を語ってくれる米軍兵士と、どからともなくおそってくるベトコンに対する恐怖と、きっと本当にそうだったのでしょうが、激しい戦闘があれば普通の生活もあったのだといまさらながら感じさせられました。描写が記者というよりはすでに作家の文章という感じで、多少キザだなとも思いましたがこれが開高ワールドなのかしら。