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ぼくの採点表 西洋シネマ大系 1 1940 1950年代

ぼくの採点表 西洋シネマ大系 1 1940 1950年代 みんなのレビュー

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紙の本

このヴォリューム、この作品本数にして、このページの余白のなさは驚異!

2010/01/22 18:27

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る

 キング・ヴィダーの日本公開作が、そのなかで論評されている本書を読んでいる途中で、著者の死を新聞で知った。
 私は1960年代、10代のころから映画を見つつ、いろいろな映画雑誌を読んでいたから、著者の名はよく知っていた。けれどなんとなくという感じで、まともに著作をこれまで読んでいなかったように思う。
 親しまなかった理由の一つとして、たとえば私は著者が翻訳しているチャンドラー等に関心をもたなかったことがある。本書を編集・出版した瀬戸川猛資は、そのあたりから著者への強い関心をもつようになったのだろうか。彼も1999年に亡くなっている。
 親しまなかった最大の理由は、なんとなく肌合いが合わないということが挙げられるが、もうひとつの理由は、ある時期から古い世代の映画評、映画研究全般に強い興味を見出せなくなったためかもしれない。
 遠い記憶をたどると、戦前からの日本の映画評論家では、今はそれほど知られていない南部圭之助の、気取ったというか洒落た文体に何故か、ほんの一時惹かれたことがある。戦前の人でその後、多数の読者を得た映画評論家は双葉十三郎、植草甚一、淀川長治の三人だけだと思うが、そのなかで戦前から一定の映画評論を書いていたのは、たぶん双葉十三郎だけであろう。
 というわけで『ぼくの採点表』を読むのは初めてになるが、これはその編集のうえで驚くべき書物であることが分かった。本巻には、余白が一切ない。
 本書は3段組の本文に短いものも長いものも題名のアイウエオ順でならべてあるが、タイトル部分(そこに評価の星印もある)の5行分がクセモノなのである。これがあるために、各段の終わりには確率的に、かなりの場合(1行から4行の)余白が生ずる。これをすべて埋めるためには、仮に編集者が自由に文章をカットできたとしても、分量が分量だから(本書は975ページ)、想像を絶する作業となる。問題は、編集者が著者ではないから、その文書のカット等について著者の了解を得なければならないことである。あるいは著者自身にカット(や文章の挿入)をしてもらう、きめ細かな共同編集作業に没頭しなければならない。
 救いは、あらかじめ途中の挿入がないように事前チェックを厳密にしておけば、最初のページから少しずつ進められる、ということか。トンネルを掘るような長い作業だが、途中までのミスがなければ、なんとか最後まで辿りつくことができる。
 編者による「編集方針と使用上の注意」を読むと、事前の編集作業の大変さも分かる。本巻は戦争が終わった1945年以降の日本公開作を対象としているので、『スクリーン』に1952年から連載した「ぼくの採点表」以外の長短の映画評も集める必要があった。また映画辞典的な意味から、作品評のないものを書き足してもらう必要もある。すべてをそのまま収録すると《厚さは二千ページを突破し、定価も一万二千円などということになってしまう》と編者はいう。
 ともかく長いものをカットしなければならない。だが批評には、その長さのゆえの面白さもあるだろう。《このジレンマに毎日のように苦しんだ》と編者は記しているが、本巻はその後の10年単位の各巻より編集が大変だった分、面白い部分もあるように感じる。

 キング・ヴィダー(本書ではヴィドア)の『ルビイ』評に、《ジェフニァー〔たまたまだが、この女優の名は校正ミス〕のルビイは彼女らしくむきだしの演技で面目を発揮しているが、おそろしくきたならしいのはプリントのせいばかりではあるまい。》とある。
 先日、YouTubeで、この『ルビイ』のスペイン語吹替え版を見たのだが、プリントが実にきれいで(そのために最後まで見ることができた)、逆に双葉十三郎がこの映画を見た当時の外国映画の公開事情がなんとなく想像できるような気がした。もちろん、逆に素晴らしいプリントでの上映もあっただろう。
 ヴィダー『戦争と平和』評では《高校のころ、スピードでは人後におちぬぼくが一週間もかかってやっと読了したほどの》とあるが、たぶん私は、この「ぼく」に馴染めない。だが彼の「スピード」、咀嚼力には共感をもつ。それがなければ、この年代だけで総計1850本の作品評は書けない。
 肝心のヴィダー映画『白昼の決闘』について著者は実にバランス良く、その全体を把握し、重要な細部を指摘している。だが私が双葉十三郎に夢中になれないのは(『白昼の決闘』には夢中)、そのバランスの良さ、「エキセントリック」のなさ、なのである。
 ともあれヴィダー以外の映画評もパラパラと読みながら、双葉十三郎の穏やかな鑑識眼、巧みなユーモア、時に見事、と思うほどの文章力に感心することが多かったが、本書で一番興味があったのはその編集、なかんずく余白をとらない処理だった。
 辞典的な本ということで本書にはそうする必要性があったのだろうが、小説で各章の末尾に余白がないものがあったのを思い出す。盛田隆二の『湾岸ラプソディ』で、文庫化されるとき、どうなるのだろうと心配したが、まだなっていないようだ。私の好きな小説である。
 余裕のある、一種の遊びなのであろうが、たとえば伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』も軽い遊びをほどこしているのが一目で分かる小説だ。短い会話が続くとき文字数をわざとそろえている。

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