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紙の本
「詩は、饑餓に面した明朗な野からより他に私には生まれぬ」
2005/03/16 20:19
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前に読んだ時は妙な小説だとは思ったが、今回読んだほどは感動を覚えなかった。改めて読んで、やっと良さがわかってきたんだろう。とても面白い。
牧野信一は、最初暗めの私小説を書いていたのだけれど、昭和初年あたりから突如ギリシア哲学や古典文学の引用を縦横に駆使した珍妙奇怪な小説を書くようになった。「ギリシア牧野」と呼ばれるその作風は、「幻想的」と評されるものの、ことさら超現実的な現象が起こるわけではない。現実の光景を幻想的に「見なす」ことで、悲哀を相対化し滑稽なものとして書き留める方法だ。
生活苦の余りに財産、家具、書籍を売り払い、始末に困った自分の胸像を作り主に返そうという時に乗る馬は「ゼーロン」と名づけられ、他の作では語り手はインディアンガウンを羽織って家を出る。そんな、悲惨で(あるがゆえに?)夢見がちなダメ男が主人公である。
貧窮、苦境を託つばかりではなく、それをバネにして夢幻の世界を夢見んとする。それはもとより失速することを運命づけられた飛躍ではあるものの、そこに現れた哀れで滑稽でアイロニーにみちた世界はどうしようもなく魅力的に映る。
「詩は、饑餓に面した明朗な野からより他に私には生まれぬ」57P
こう断言する牧野は、また宇野浩二にも似た夢想家の一人だ。
「その頃私は、地図の上では世界各国足跡の到らざるところとてはない大旅行家であったが、日々の生活といえば、どんな類の地図にも省略されている底の凡そ小さな山峡の部落で、町へ赴く乗合馬車の切符すらも容易には購うことも出来ないような不自由な境涯で、まことに「箱のような小世界」の住人であった」92P
この短篇集を冒頭から読んでいくと、「酒盗人」以降「ギリシア牧野」が少しずつ失速していくのを追うことになる。「鬼の門」では、それまでは現実を反転させる装置であった「夢」が、自分を追いつめる神経症的な強迫観念のようなものと化している。陰鬱さを跳ねとばすバネの力が弱まり、底の方、底の方へと引き寄せられていくのを見る思いがする。事実、この作の四年後、昭和十一年に牧野は自殺してしまった。
まあ、そんなことはどうでもよろしい。私がいいたいのは、この短篇集中ではさして長くない「酒盗人」の、奇跡的なまでの破天荒ぶりについてだ。
主人公が通い詰める居酒屋にたむろするのんだくれたちは、樽に残った最後の一滴がしたたり落ちると、身も世もあらぬ嘆きを託ち、ツケで飲みまくったために近隣の酒問屋から今後一切酒を売らぬと申し渡されたことを主人公に告げる。主人公は発憤し、曲折あって皆で仕事をし酒を買えるだけの金を貯めるのだが、いざ問屋に行くと、これまでの借金はこれで帳消し、として酒を売らずに門戸を閉じられてしまった。これに怒ったのが飲んだくれ一同で、主人公はなんと「攻め入ろう」と言い出す。
ノルマンディの海賊の戦いの歌を歌いつつ馬にまたがり、矢文で「酒をうけとりに来た——Happy pendulum brotherhood」と予告状を投げ入れ、その後策略通りとは行かないまでもきっちり酒樽を盗み取り、飲んだくれどもとふたたび飲んだくれて夜が明ける。
夢とも現実ともつかぬ、飲んだくれどもの一大ランチキ騒ぎである。昭和七年、1932年の作。昭和初頭にこのような小説が書きうるとは、驚くほかない。その漫画的なまでの野蛮な明朗さは、石川淳のSF風幻想短篇「鷹」に肩を並べるのではないか。牧野の夢の方法と快活さが一頂点を成した、奇跡的な一篇だ。
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