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小学生の時読んだ本を偶然図書館で手にしました 韓国の男の子が先生に薦められて書き出した日記。その後の彼の人生も出版されていると聞いた 読んでみたい。
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小学3年か4年に読んだ時にはただ可哀そうな話、としか思わなかったが、歴史を学んでから読むとまた違う一面も見えてくる。何度でも読みたい。
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小学生の…確か4年生ぐらいのときに読んだ思い出があります。図書室で見つけて、あ、と思って借りてしまいました。
ユンボギがガムを売って家計を助けていたこと、お米が変えなくてウドン玉を買って夕飯にしたこと、家を回っておもらいに行ったこと、クラスの女の子が洋服や食べ物をくれたこと。結構きちんと覚えているなあ、と思いました。反対に全然覚えていなかったのはお父さんとお母さんの喧嘩の理由とか金先生が本当に良くしてくださったこととかは綺麗に忘れておりました。やっぱり子供視点だったので大人の話はあまり記憶に残らなかったのでしょうねえ。
今、日本も韓国もこんなに苦しい思いをして生活している少年・少女は存在しなくなったとは言えないと思いますがかなり減ったのではないかと思うのです。それでも世界の色々な国で貧困にあえぐ少年・少女たちがいまだに存在していることは疑いの無いことなんですよね。戦争・大災害・旱魃・不作。日本だって人事じゃあないんです。昔の話じゃあないんですよねえ。
そんなことを思いながら読み返しました。
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60年代の韓国で、母親に逃げられ父親は病気で仕事がままならない4人?兄妹の貧しい家庭の長男、イ・ユンボギ君が小学生の時に書いた日記。日本語に初めて翻訳された朝鮮語の出版物。
親は選べないんだなと痛感。自分の与えられた環境に感謝しようと思うし、出来ることならキム先生(作中に登場する、ユンボギの通う小学校の先生。自分自身も裕福ではないが食事などを与えたりして、ユンボギ君を支援した)のように、困っている人がいたら、躊躇なく喜捨できるような立派な人間になりたい。
最後に、翻訳者の塚本勲先生には、頭が上がらない。
韓国・朝鮮語学習者の自分が、先生にどれほど恩恵を受けていることか。
先人の努力も意識しながら朝鮮語の学習に努めたい。
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1960年代の韓国はまだまだ世界の最貧国と呼ばれるような状況だったとか。そんな時代を貧しくも健気にたくましく生きるユンボギの日記。ちょうど並行して、「ユンボギの日記」の書中で彼の日記が出版されたとき「韓国版『にあんちゃん』」などと呼ばれている、その『にあんちゃん』も読んでいるんだけど、ふたつが混ざってしまいそうなほど似ている。
学校を休んでガムを売ったり、家々を回っておもらいさんをしたりしながら生きないといけない家庭があったんだなあ。妹のスンニなんか、貧しさから逃れるあまり家出してしまう。それでもとりたてて探しもしない。ユンボギの暮らしは周囲の友達と比べても一段貧しかったのだろうけど、当時の韓国国内を見わたせば、おそらく特に珍しいことではなかったんだろう。
時代のせいか今も続く韓国人の人柄のせいか、周りの人々の温かさや支えがストレート。友人や先生から弁当や文房具、服をもらうなんて、相手は善意であっても自尊心には響くことだろう。それを教室内で公にされてしまったりもするとなおさら。
児童書らしいといえばらしい健気に頑張ることの押しつけのような感じもないではないけど、子どもがこんなふうに生きないといけないというのは悲しいものだなあ。若いうちの苦労は買ってでもしろなんていうけど、こんな暮らしのなかでまっすぐな心を保つなんて大変だと思う。