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浄土三部経 改訳 下 観無量寿経・阿弥陀経 みんなのレビュー
- 中村 元 (ほか訳註)
- 税込価格:1,001円(9pt)
- 出版社:岩波書店
- 発売日:1990/12/17
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文庫
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紙の本
戦争ばっかりやってきてね、生きて戻って来たやつですから、もう叩き殺しても死にそうもない野郎どもが、夕焼けの海を見て涙をこぼしている。
2009/10/19 03:22
5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みどりのひかり - この投稿者のレビュー一覧を見る
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ワイド版岩波文庫の方にも書評を書きました
浄土三部経_下_観無量寿経・阿弥陀経_ワイド版岩波文庫
その中で 浄土三部経の3人の翻訳者、中村元先生、早島鏡正先生、紀野一義先生 のうち、紀野一義先生のあとがきを最初に引用いたしました。話を進めるにあたり、ここでも、その あとがき を掲げます
*
昭和十七年に東京大学印度哲学科に入学して仏教学の研鑽を始めた私は、十八年暮には学徒動員で召集され、二十年一月にはすでに戦地に送られていた。それから二十年の歳月を経た今、生きて浄土三部経を現代語訳する仕事を果たし得た自分を見る時、まことに感慨無量である。戦場で失った多くの友、広島において原爆の閃光の下に消えた父母姉妹と多くの知人たち、ならびに夥しい戦死病没の人々の冥福を祈りつつ再生の祈念をこめて現代語訳の筆を執ったこの二年間は私にとっても忘れがたいものとなるであろう。顕本法華宗の寺院に生まれ、大学の専攻を梵文法華経に選んだ私に、浄土三部経の現代語訳をするようにすすめられた恩師中村元博士の博大な悲心は胆に銘じている。幸いに真宗学の研鑽深い年来の友人早島鏡正氏とともに、中村博士ご指導の下に、私としては安心して現代語訳に専念できたことは深い喜びである。殊に有難く思われたのは、これまで単なる浄土讃歎にすぎないと思われていた阿弥陀経を翻訳しつつ仏の大悲心のごときものをしみじみと感得できたことであった。(後略)
*
ここで、おこがましいことですが、私なりに紀野一義先生のおっしゃられた次の言葉を、考えてみたいと思います
“殊に有難く思われたのは、これまで単なる浄土讃歎にすぎないと思われていた阿弥陀経を翻訳しつつ仏の大悲心のごときものをしみじみと感得できたことであった。”
紀野一義先生が「ラジオ短波サービス」から「我が心の歎異抄」というカセットテープを出されておられます。
その中に次のようなお話が出て来ます。(戦地だった台湾から、昭和21年に戻ってきたときのお話です)
〈LSD(landing ship dock ドック型揚陸艦)〉
*
終戦の翌年に私は米軍のLSDというのに乗せられまして日本へ戻って来ました。江田島のうらへ停泊したんですね。そして私船倉で寝てたんですけども、軍曹が一人駆け下りてきまして「隊長、ちょっと来てくれえ」というから「うるさいな、また喧嘩かや?」 船の中でね、将校と兵隊が喧嘩するというか将校を吊るし上げるんですよね。そうすると、ほかの部隊の下士官まで私を呼びに来るんですよ。で、私行くとおさまったもんですからね。「またかい?」と言ったら、「いや、そうじゃない」、「じゃ、何だよ」 「夕焼けだ」 「夕焼けなんてものはいつでも見られるで」 て言ったら、「そんな夕焼けじゃない。是非、見てくれ」 で、私が甲板にあがりましたらね、たまげたですね。わたしは広島の海岸育ちですから、海の夕焼けというのは腐るほど見ている。それがもうほんとにこれは生まれて初めてでしたね。なにしろ海はぜんぶ黄金色(おうごんいろ)でした。こがねの波なんて言葉は文章としては見たことはあるけれどもあんなのを見たのは初めてだ。そこへ朱の色が加わって銀の色が加わって、金波、銀波に朱の波でしょ。いやあ腰が抜けそうでしたね。 私の部下は富山県の山奥の兵隊でありまして海なんてものは見たことがない。その海を見たことのないやつが初めて瀬戸内の海を見まして、しかもその夕焼けでしょ。甲板に腰を抜かしているんですね。そうして涙を流しているんですよ。戦争ばっかりやってきてね、生きて戻って来たやつですから、もう叩き殺しても死にそうもない野郎どもが、夕焼けの海を見て涙をこぼしている。わたしはその海を見ているときにね、ああ、おやじもおふくろも死んでるなあと思いましたね。おやじもおふくろも広島の寺ですからね。原爆でこりゃあ死んでるな。
わたしは小さいときから海で育ったから海と母親ってのはおんなじなんですよ。その海がね黄金の海になってるというのはこれは仏様になってることで、これは親は死んでるなあと思いましたね。
*
金波 銀波に、朱の波、黄金色の海。時として自然は人間に荘厳な世界を見せる。その世界を見て“戦争ばっかりやってきて、生きて戻って来た野郎ども”が涙を流している。
:
阿弥陀経には次のように書かれています。
サンスクリット原典からの邦訳
“また次にシャーリプトラよ、〈幸あるところ〉という世界は、七重の石垣、七重のターラ樹の並木、鈴をつけた網によって飾られ、金・銀・青玉・水晶の四種の宝石をあまねくめぐらし、燦然として美しく見える。シャーリープトラよ、かの仏国土は、このような仏国土特有のみごとな配置で飾られているのだ。”
漢文の書き下しでは
“また、舎利弗よ、極楽国土には、七重の欄楯(らんじゅん)、七重の羅網(らもう)、七重の行樹(ごうじゅ)ありて、みな、これ四宝もって周(#)(しゅうそう)し、囲遶(いにょう)せり。このゆえに、かの国を名づけて極楽(ごくらく)という。
:
阿弥陀経のこの部分を読んでも私はあまりよくわからないかも知れない。でも“戦争ばっかりやってきて、生きて戻って来た野郎ども”が涙を流しながら見た瀬戸内の夕焼けはわかる。実際に私が見たわけではないけれども、わかると思う。
そしてまた、アルプスの少女ハイジの見たアルプスの夕焼けもわかる。
ハイジ_福音館古典童話シリーズ
阿弥陀経はそういうことを言っているのでしょうか。
そういうことを言っているのだと思う。
宮沢賢治のみた
「きれいな青ぞらと_すきとほつた風」
のことを言っているのだと思う。
こちらの
「この宇宙のこの世界の深さを感じさせる文章」もまたそうなのだと思う。
(#)は「市」の縦棒が上にはみ出していない文字。この書評では使えない文字
紙の本
信愛だ
2014/01/07 23:05
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:にっくねえむは変更できまっしぇん - この投稿者のレビュー一覧を見る
観経も阿弥陀経も彰において第18願至心信楽欲生の称名をいう。
解説では信愛でなく浄信をいうが、信愛だと思う。
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