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柳田国男は文化科学ということをいう。科学とは帰納ということである。僕は何回か柳田について書くとき反省又は自省、自己省察から帰納すると書いた。それはどういうことか訳が分からない、気が狂っていると指摘する人もいるだろう。精神分析学のフロイトなども帰納の人であるが彼の自己省察も正気の沙汰ではないと指摘されることがある。
では何故反省・自己省察を諄く言わなければならないか。それは誰もが帰納に至らない躓きの石であると考えるからである。では帰納とはもっと具体的にいうと何か?総合判断のことである。特にカントの言う総合判断であると思う。
歴史主義がある。そしてそこから歴史修正主義もある。そういったものは何を否定しているのか?それは総合判断である。都合の悪いことをなかったことにしては総合判断できない。至極もっともである。都合よく考えては総合判断できない。当然である。それと同じである。自己省察を欠いたものは総合判断ではない。
私が信用するのは総合判断である。自己を省み自己省察してみるとでたらめになっていることが多い。とてもまともではない。だが自己省察を欠いては総合判断できない。なかったことにして都合よく考えては総合判断できない。私は総合判断を信用する。だから自己省察は避けられないものなのである。
柳田の姿勢はそういった総合判断としての帰納の学問である。私はかなり信用できると思っている。
今回は農政学に関するものが多かった。次巻もそうらしい。現在TPPなどは国家の懸案である。柳田を読むことは重要である。