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前々から通して読んでみようと思っていた本。
『太陽と鉄』を主に取り上げながら、三島の「肉体」そのものに鋭く迫っている。
石原氏の場合、三島との生前の交流が深かったため、たいへん興味深いエピソードもちりばめられている。
端的にいうと、三島の肉体へのこだわりについて、著者は徹底して批判している。
しかし、三島に対する愛が行間に満ち満ちてもいる。
「肉体の言葉」なんか聴けるような肉体の天分はなかったのに、それを追い求めていく姿を、半ば滑稽に描きつつも、今の日本(書かれたのは90年)における三島の不在を、著者はおそらく心の底から残念に思っているのだろう。
なぜ三島は肉体を追求しなければならなかったのか、なぜそれがああいう結末を迎えなければならなかったのか、という疑問を持っている人は、一読する価値が十分にあると思う。
文章の流れがよく、とても読ませるエッセイである。
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三島由紀夫がいかに運動神経がなくて、見せ掛けの肉体であるかをひたすら語っている。三島由紀夫の中にある矛盾を見ることによって分裂した最期を説明している。交流が深かっただけあってあまり一般的に知られていない三島由紀夫の稚拙ともいえる人間性が語られていておもしろい。
三島由紀夫という人は知性は天才的で文才もあるが、とにかく人間的にはどこか子供っぽさのある純粋な人だったんだろうな、という印象を受けた。
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三島由紀夫の肉体信仰を三島由紀夫のボクシングスパーリング、剣道乱どりなどを通して、最初から最後までバカにしている。でも三島由紀夫への愛情に満ちあふれています。久々に三島由紀夫を読みたくなりました。
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親交のあった著者による三島氏の人物像に関する証言。
三島氏は、政治家になりたいと思っていたことがあるというのは、新しい知識だった。石原氏が先を越したことによって、政治家はあきらめたらしい。
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結局は、退屈か悔悟 (略) 退屈の主たる原因の一つは、今三島氏が不在であること、
三島氏の死は、あきらかに、この日本社会に退屈をもたらした。
いくら頭が良くても、あんなに無理して生きていれば、そりゃあ若死にしますよね。 (深沢七郎)
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完膚なきまでに三島由紀夫の運動音痴、見せかけだけの筋肉美と内実の乖離を叩いている。それでいて、三島への追慕の念が感じられる。
座談会の席、三島に真剣で斬りつけられたエピソードは苦笑を禁じ得ない。切っ先が鴨居に引っかからなければ大怪我を負っていた。
「三島氏は多分自転車を乗りこなすことも出来なかったろう」と断じているが、乗馬クラブに通っていたはず。自転車は乗れないのに馬は御す。つくづく変った人だ。