紙の本
竹の源流・日本の源流
2004/05/23 12:46
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投稿者:鳥居くろーん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ひと頃、竹山の整備に凝っていたことがある。
私はその日、いつものように古い竹や細い竹、傾いだ竹などを選んで刈っては枝を落とし、それを束ねることに精を出していた。作業中、ふと遠くに目をやると、四人ほどの子どもが山に遊びに来ているのが見えた。「ほ、珍しいな」と思っていると、だんだんこちらへ近づいてくるではないか。私はしばらく気づかぬふりをして作業を続けていたが、どうやら私の方を遠巻きに見て、何か言いたげにもじもじしている様子なので、しかたなくこちらから話しかけることにした。
「こんにちは」と、私が言うと、子供たちは「こんにちは」と小さな声で答え、それでも何やらもじもじしている。
困ったな、と私は内心思いながら、聞かれてもいない竹山の話をその場しのぎに続けていると、途中で、子供たちがこう切り出してきた。
「竹、もらってもいい……ですか?」
なんだ、そんなことかと思い、「ああ、なんぼでもあるから、持ってけ持ってけ」と、ストックしてあった竹の杭を持たせてやると、子供たちはそれをズルズル引きずりながら、茂みの奥へと消えていった。
ワイワイはしゃぐ声とカツーン、カツーンと杭を打つ音がしばらくして遠くから聞こえ、夕方には丘の影の暗がりに小さな建造物ができていたことは、言うまでもない……。
竹には、人をひきつける力があるのではないか、そう思うことがある。色つやが美しく質感が柔らか、しかもどこかしらエキゾチック、それでいて少し懐かしい。そんな竹の、その節の間には、やはりそれ相当の歴史がこもっているようだ。そう、竹取の翁が暗い竹林の中にかぐや姫を見出したように、竹と人間の歴史を通じて、私達もそこに「豊饒な闇」を見出すことになる。
『タケは、当時の人びとの分類概念をハミ出した特異な植物であった。「木でもなければ草でもない」——このようにタケは、はっきりとした境界を持たないどっちつかずのマージナルな存在であった。その本質がつかめず実態が曖昧なものは、〈聖・俗・穢〉がまだ未分化の、万物生成以前の混沌に関わるモノであった。混沌は、秩序が成立する以前の、定かなものがまだ見えぬ時空で、自然に内在する神々が森羅万象を動かしていると考えられていた。その神々の霊力と感応しうるカオス的植物とみられていたから、竹は呪物として用いられたのであろう。』
遠く南洋の海洋民、薩摩隼人、近世以来の被差別民、山間の放浪民……人びとの竹を見る目が違うのは、竹ともっとも縁深い人々の血を、日本人が受け継いでいるからであろうか。それとも、現代の人びとが「闇」を欲しているからであろうか。
竹林は 黙して今も そこに居り
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記録だけ
2009年度 16冊目
『竹の民俗誌』ー日本文化の深層を探るー
沖浦和光 著
岩波新書 新赤版 187
1991年9月20日
243ページ 550円+ 税
正月、信貴山に行ったとき、竹笹にまつわるいろいろなものを見た。
同じく一月、今宮戎の笹や宝恵駕篭のかけ声なども、竹笹にまつわる。
十二月に奈良で行われたおん祭の後宴能の入り口の竹笹の鳥居も気に掛かる。
家を建てる際の地鎮祭にも、四方や真ん中に竹笹をたてる。
そんなこんなで今年十六冊目は 『竹の民俗誌』ー日本文化の深層を探るーを楽しむ。
この本はなかなか面白い。
知りたいことが多く書かれている。
また、『かぐや姫』にまつわる話を柳田國男氏や川端康成氏の書かれたものを種として、詳しく描かれ、発展。
川端康成は好きで読んでいたものだから、余計に興味深い。
かぐや姫の翁の立場や願望、仕事の意味合いや差別などが詳しく書かれ、楽しかった。
宮田登氏の書かれた内容もあり、読んでいてワクワクする。
かなり面白く参考になり箇所も多く、読んで良かったと心より思える一冊であった。
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[ 内容 ]
日本人にとって最も身近な植物のひとつである竹。
日常生活に欠かせなかった竹箒や篭、箕などの竹細工の技術は、先住民である山の民によって伝承されてきた。
竹にまつわる神話や『竹取物語』などは、ヤマト朝廷によって抹殺されたもうひとつの日本歴史を暗示する。
各地に残る竹の民俗をたどり、日本文化における「聖」と「賎」の深層を探る。
[ 目次 ]
第1章 竹をめぐる思い出
第2章 竹の民俗・その起源と歴史
第3章 民衆の日常生活と竹器
第4章 日本神話と先住民族・隼人
第5章 『竹取物語』の源流考
第6章 竹細工をめぐる〈聖〉と〈賎〉
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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竹の居場所がプラスティックにとってかわってしまった現代の私たち。
プラスティックのものに対して、何ほどの思いが持てようか?
かつての人々が持っていた竹との濃い~~交感は絶対もてていない。
使い捨て・・・。
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これまでの沖浦和光氏の著作「「芸能と差別」の深層」(三國連太郎氏との共著 ちくま文庫)と内容がかぶる部分がありますが、竹という視点で沖浦民俗学の一断面を切り取って見せてくれる好著です。
特にかぐや姫の「竹取物語」源流考(第五章)がうまくまとめられており、一読の価値あり。
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民具などとしての利用が主な内容と思いきや、成長が速く稈に空洞があることなどから霊力のある植物とみなされてきたとか、竹の原産地と考えられる九州の隼人と朝廷との関わり、竹取物語に読み解くことができる伝説など、盛りだくさんだった。
・地下茎は網のように張り巡らしているので、山崩れ、水害、地震にすこぶる強い。地下茎は夏と秋、若竹は冬から春にかけて成長する。春先に紅葉し、秋に新葉が茂る。
・竹の葉芽には殺菌力があって防腐効果がある。油分が多いので火力は強い。
・マダケ、ハチクやササ類の多くは日本国内の自生種。マダケとモウソウチクが日本の竹の80%以上を占める。モウソウチクが日本に入ってきたのは江戸時代。
・トラジャ地方は1000m以上の高地で、竹の利用が最も盛ん。トラジャ族は古マレー系の海洋民。
・古墳時代の日向遺跡群から多数の竹櫛が出土している。
・室町時代の後半から治水灌漑のために竹林の造成が盛んに行われ始めた。竹材の利用が広がったのは、近世に入ってから。
隼人と竹取物語
・隼人が南方系海洋民であるという説はほぼ定着している。
・記紀の天孫降臨神話は日向神話とも呼ばれる。国生み神話や日向神話は、インドネシア諸島の古い神話との関連が濃厚。
・日向神話の後段の中心である海幸山幸で、海幸が降参して山幸に仕えることを誓う場面は、隼人がアマテラスの皇孫に服属したことを描いている。
・壬申の乱に勝利した天武天皇は、東北の蝦夷と南九州の隼人を征服し、隼人に畿内の竹林の多い山間僻地への集団移住を強制した。
・吉野川の上流(紀ノ川)域にある阿田は、阿多隼人が移り住んだ場所。朝廷が隼人に竹器製作を課した。
・竹取物語の背景になっているのは、天武・持統時代の貴族社会。
・竹中生誕説話、羽衣伝説、八月十五夜祭の3つは、南九州から南西諸島にかけて今日まで色濃く残っている。また、中国南部から東南アジア一帯にかけて広く分布している。
・羽衣は半翅類の小さな昆虫で、本州以南に分布する。
・月は女性の月経とも深く関わることから、多産と豊穣を司る農神とされた。満月を讃える八月十五夜祭はイネの収穫祭であり、もともとはサトイモの収穫祭だった。
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岩波新書 沖浦和光 「 竹の民俗誌 」
「竹」をテーマとした民俗学的な日本文化論。アジアの竹文化圏を中心として 縄文時代まで 遡って、「竹」を使った宗教儀礼や民間伝承の共通性を見出している
南九州の先住民族「隼人」と インドネシアの南方系海洋民の共通性についての論考は、日本人六系統論や記紀神話の国譲りの意味(天津系の神による国津神征服の正当性)と併せて読むと、とても興味深い
日本文化は中国から輸入したものばかりと思ったが、アイヌ文化や南島文化に見られる神秘性と生活機能性には、海と山に囲まれて、神を祀って生きた日本人の原像を感じる
鳥居龍蔵 の日本人六源流論
*縄文文化を遺したアイヌ
*朝鮮半島から入った国津神系の固有日本人。弥生文化をもたらした
*インドネシア
*江南からインドシナ半島の苗族
*ツングース系騎馬民族
*朝鮮にいたが 帰化してきた漢人
記紀神話
*天津系の神が、土着の国津神を討って支配する
*国津神〜出雲を中心としたオオクニヌシ
*オオクニヌシは国譲りを誓う
*アマテラスはニニギを日向の高千穂に天降させた
*日向には、隼人が住んでいた
*ニニギとサクヤヒメとの間に産まれた海幸彦、山幸彦
海幸彦・山幸彦の説話は、天津系の勢力が先住民族の隼人を征服していたことを示す
南の海と深い関わりのある隼人のそ、海と山に生き、竹を愛し、その霊力を信じ、海の彼方から伝わった羽衣伝説を語り継いできた