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生きている事よりも、死ぬ事の方がわかりやすいのでしょうか。それは生きている事が正常な状態で、死ぬことは異常な状態だから、かもしれません。「僕」は若き少年テロリストです。そのためだけに育てられた生粋のテロリスト。それが、どんな人間を生むのか。「僕」が「生きていた瞬間」と「自らの心を殺した瞬間」。コーミアの作品は、真っ暗で救いがないのですが、惹かれる部分があるのは確かだと思います。
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どんどん読まされて最後に突き落とされるような衝撃的なお話でした。この本で他の作品に興味が持ったものの、未だ有名どころの「チョコレート戦争」や「真夜中の電話」を読んでないのでいつか読もうと思う。
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わたしが激しくおすすめする、ロバート・コーミアの作品。訳者の金原さんによるとコーミアの作品は「スティーヴン・キングに似ている」らしい。おおおそうなの? じゃあキングも読んでみようかなあ!
おすすめなので、ネタバレチェックもはずしちゃう。
まず背表紙の作品紹介をそのまま引用しちゃう。
(引用)
バスジャック発生!
マサチューセッツ州の田舎町で、ある国のテロリスト集団がスクールバスを選挙し、陸軍に対して、ある要求をつきつけた――。
子供だち救出の機会を狙う運転手のケイト、自分の任務がはたせず、いらだつ過激派戦士ミロ、国の威信をかけて、対決を意図する将軍、その命をうけて渦中におもむく将軍の息子ベンジャミン。事件はこの四人の視点からゆっくりと語られていく。
殺す者と殺される者の息づまる葛藤、心理の交錯を鮮烈に描いた青春サスペンスの傑作!
(引用ここまで)
言っておきますがこの引用の100倍はすごい作品ですから!!
原題は直訳すれば「最初の死の後で」となるけど、邦題の『ぼくが死んだ朝』というのがなかなかニクい。「ぼくが死んだ」のは、どの時点なのだろう、と考えさせられる。
いきなり「胸の穴が気になってしようがない。銃弾がめりこみ、一気に肉をつらぬいていった。」ではじまる。書き出しからしてもうやられたよわたしは! 作者と訳者に拍手。
邦題と、この書き出しから推測して、乙一の『夏と花火と私の死体』みたいに、死体になった「ぼく」がこの後物語を語るのかな? と思いきや、そうはならない。引用にあるとおり、それぞれの登場人物の視点から書かれる構成で、ここに大きな仕掛けがある。278ページからの11章めがヤバい。怖くて、すごい。最初意味がよく分からなかったけど、読み返して意味がわかって、叫びそうになった。
そしてとにかく、登場人物の心理描写がすごい。何不自由ない生活を謳歌してきた優等生のケイトと、祖国を失い難民キャンプで育った少年テロリストのミロのすれ違い。テロリストのリーダー・アートキンとベンの父親である准将の交わす言葉。
「あなたは偉大なる愛国者か、さもなくばとんでもないあほうか、そのどちらかでしょうな」
「おそらく、その両方だろう」
もし、最後にケイトが言った推測が当たっていたとしたら、この会話アートキンにもあてはまるじゃないか……。
あああすごく感想長いやっぱりブログやるべきなのかでもめんどくさい。
今回もすごくシビアな作品だった。コーミア全開って感じ。まったくコーミアは、こんな話を書いてどうしたかったのだろう。コーミアも、『ぼくの心の闇の声』の冒頭に引用されていたフローベールの詩のように、「星の心を動かそうと願って」いたのだろうか。
そういえばコーミアの作品の冒頭には、よく詩の一節(かな?)が引用され、ときにはタイトルにもなっている。本作冒頭では「最初の死ののち、もはや死はなし」(ディラン・トーマス)とある。
コーミアは2000年に亡くなったそうだ。コーミアの「最初の死」の後に、どうか彼の作品は死にませんように。彼の作品が生き続けますように、とわたしは願ってやまない。
「愛国心」に関する部分を引用に登録したんですが、これ、まるでアメリカの未来を予言しているようだし、太平洋戦争のころの日本にもあてはまるようで。
古いけれど、古びないのだ、コーミア。
原題:After the First Death