投稿元:
レビューを見る
子どもの頃は「へー」って感じで特に何とも思っていなかったんですけど、大人になって改めて読むとどう解釈したものか、自分の子どもには何と説明しようか若干迷ってしまうお話です『あとかくしの雪』。
旅の僧侶が立ち寄ったある村で一晩泊めてほしいと頼むと、大きくて立派な家の主人は門前払いを食らわせ、ボロボロの家に住む老婆は快く招き入れた。貧しい老婆は僧侶のために囲炉裏に火をくべ僅かな食事を提供するが、実は薪も食べ物も老婆のものではなく、他所からの盗品だった。このままでは外に残った足跡で老婆の犯行が村人たちにばれてしまうところだったが、その晩降り積もった雪が老婆の足跡を隠してくれたのだった。
↑私が小さい頃に読んだ『あとかくしの雪』はこんな感じだったような。
再読してみてそうだったんだ!ってなったんですが、この旅の僧侶は実は弘法大師で、雪はその祈りによってもたらされた仏の加護なのですね。なるほどなるほど。
老婆の盗みを肯定するところが子どもには難しいかなあ。
大きな家の主人はたくさん持っているくせにケチだし、お坊様に対しても全く敬意を払わないし、仏教説話的にはこの人にバチが当たってもおかしくないんだけど、このお話はそうじゃないんですよね。
心が美しく信心深ければ、仏様も大目に見てくださるということ?善悪の二元論だけでは割り切れない部分を描いているんですかね?
この辺のニュアンスを子どもにどう伝えたものか、いろいろ考えている途中です。
※ちなみに本書(佼成出版社「行事むかしむかし」シリーズ版)では「(おばあさんが)盗んだ」という表現は使われていませんでした。大きな家に続く足跡で「おばあさんがなにをしたか」を匂わせる書き方。