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紙の本
「生きて虜囚の辱めを受けず」
2001/11/25 22:21
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:谷池真太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「カウラ事件」という事件がある。大東亜戦争中オーストラリアのカウラにある捕虜収容所にとらえられていた日本人捕虜が起こした脱走事件だ。234名の日本兵と4名の豪州兵が亡くなった。詳しくはこちらで。
本書は南忠男という人物の行動を追いつつ、きわめて不可解な日本人捕虜の暴動の真相に迫っている。ちなみにこの南忠男というのは偽名である。戦陣訓の一節である「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」の有名な言葉で知られるように、当時の日本兵は虜囚であることを隠すために虚偽の名前や所属などを名乗っていたのである。
著者はカウラ捕虜収容所において海軍と陸軍の違いに注目する。事件の当事者の聞き取り調査から、海軍兵は大戦初期に捕虜になったものが多く、そのほとんどが脱走を主張する強硬派であったこと、逆に陸軍兵は大戦後期に捕虜になったものが多く、多くの者が穏健派であった。そして南忠男は古参の海軍兵捕虜であり、強硬派の最右翼であった。
これは奇妙なデータである。昭和十六年に出された戦陣訓は陸軍向けの者であり、その影響を強く受けているのは陸軍兵のはずである。だが、実際には戦陣訓を知らない海軍兵の方が強硬派なのであった。
大戦初期にとらわれた海軍兵は、連戦連勝の強い日本しか知らない。そして陸軍にたいしてエリート意識を持っている。収容所では当初海軍が主流だったにちがいない。だが、戦況が悪化し、年月が過ぎるごとに陸軍捕虜兵が増えていく。その多くは地獄のニューギニア戦線を経験しており、九死に一生を得た形である彼らは生に対する執着が強く、穏健派であった。
少数派となった海軍兵は、主導権を握るためにより強い強硬派とならざるを得なかった。だが、それは本心ではなかった。あくまで政治的な主張であった。事実、脱走の直接の契機となった下士官と一般兵士の分離収容通告直後も「脱走」という雰囲気は全くなかったようである。その日の緊急班長会議でも強硬派の海軍兵は何も話さなかった。だが、普段穏健派と見られていたある陸軍兵の提案によって事態は急変し、一気に脱走へと突き進んでいくのである。
高まる脱走の気運のなかで、本心ではない脱走を引き留めるための最後の抵抗が、全員による無記名投票だった。だが、その結果も賛成8割反対2割という強硬派・穏健派の比率とは正反対の結果となってしまう。この結果は現代人である私には不可解なものではあるが、これも歴史の真実である。
ことここに極まったとき、最後に「俺が突撃ラッパを吹く」と言ったのが、南忠男であった。果たして彼の本心はどこにあったのだろうか。
……最後に。無記名投票に不正があったとは考えにくい。この分析は単純に戦陣訓に求めるべきものではなく、日本人のアイデンティティに関わる重要な問題として考えるべきなのではなかろうか。
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