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トマス・アクィナスの言語ゲーム

トマス・アクィナスの言語ゲーム みんなのレビュー

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それ自体が外部であるところの無限なる他者を必然化する言語ゲーム

2001/02/17 00:17

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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書のハイライトであり、タイトルの説明にもなっている部分を抜き書きしておく。

《トマスの形而上学を二◯世紀的に表現するとすれば、それは、無限なる他者を必然化する言語ゲームであると言えよう。(略)トマス・アクィナスの言語ゲームは、二◯世紀末の今日もなお、ヨーロッパの思想的な地平を決定している。トマスにとって、無限なる他者は、神であった。神は、他者として(存在者に)内在し、ゆえに、無限として(存在者を)超越する。この神の位置に、何が入るかによって、トマス・アクィナスの言語ゲームは、その意匠を大きく変える。しかし、そこに何が入ろうとも、無限なる他者を必然化するという、言語ゲームの基本構造は、全く普遍である。この不変なるものこそ、ラテン・キリスト教世界、したがって、ヨーロッパのアイデンティティ、すなわち、正統に他ならないのである。》

 ラテン・キリスト教文明を第三の地中海文明たらしめたこの「無限なる他者の言語ゲーム」は、イタリア・ルネサンスの時代を経て「世俗化」の途を歩んでいく。すなわち、創始者トマス・アクィナスが設定した基本構造は保持しつつ、無限なる他者を神から人間へ、そして人間集団としての世俗国家(近代的主体としての「作為する国家」)へと「同型変換」していったわけである。

 しかし、国家はもはや単数ではありえない。つまり、複数存在する国家(近代的主体)はもはや無限ではなく、他者(たとえば国際関係という秩序)によって「自同性」を限定される有限な存在者たらざるをえない。このような国家・主体を限定する秩序としての「無限なる他者」とは、非作為的=自然的な秩序──市場経済や(慣習的)自然法、すなわちハイエクの言う自生的秩序──にほかならず、そしてそれこそが17世紀以降のオランダ、イギリスで展開された「自然的秩序の思想」だった。

《…作為する国家の思想を地中海的、自然的秩序の思想を大西洋的と形容することは、あながち無益ではない。近代思想史は、地中海的なるものと大西洋的なるものとの覇権取りゲームと見ることが出来るのである。しかし、地中海において発見された無限なる他者の言語ゲームそれ自体は、地中海文明としてのヨーロッパはもとより、大西洋文明としてのヨーロッパにおいても保存されていると見るのが妥当であろう。地中海文明から大西洋文明への転換は、やはり、無限なる他者の言語ゲームを保持しつつ、作為する国家を自然的秩序に置換する、同型変換であったと見るべきなのである。》

 落合氏によれば、無限なる他者とは外部それ自体であって、もはやその外部が存在しないものである。たとえば、政治という世俗的なるものにおけるそれは、近代主権国家をその要素とする近代国際関係、すなわち国家が事実として遂行する慣習システムとしての「近代世界システム」にほかならない。そして、近代世界システムを無限なる他者として同定することによって、無限なる他者を世俗化しようとした近代の企ては成功した。つまり、神の死によって、人間は世界それ自体を発見したというわけだ。

 もはや外部をもたないもの、それ自体が外部であるところの無限なる他者を必然化する言語ゲーム。──落合氏によってトマス・アクィナスの思想と結びつけられたこの存在の形而上学を、落合氏とは異なるかたちで「二◯世紀的に」表現するとすれば、それは無意識をめぐる言語ゲームであるといえるのではないか。そして、「近代世界システム」とは(ベンヤミン流にいえば)集団の夢としての無意識そのものだったのではないか。

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