投稿元:
レビューを見る
ファーブル昆虫記8はファーブルの伝記になっています。どこを読んでも,気ぜわしい仕事を離れて,ファーブルの世界に行くことができます。たった2ページ,時間にして2~3分読むだけで,自然に包まれほのぼのとした気持ちになります。
幼いころのかわいいファーブルも,先生として働くファーブルもとても人間的な魅力があります。それは,自然を見つめるファーブルの好奇心を共有できるからなのでしょう。
投稿元:
レビューを見る
誰もが知っているファーブル昆虫記ですが、ファーブルの人となりを知る人は必ずしも多くないのでは。本書は、奥本大三郎さんによるファーブル昆虫記シリーズの最終巻のファーブルの伝記です。
幼少の頃から貧しいながらも自然に囲まれて過ごし、祖母の影響もあって好奇心一杯の性格をスクスクと伸ばしていったファーブル。猛烈な向学心は研究者そのものですが、その素朴な人柄がなんともいえない魅力を醸し出しています。雑音を嫌い、ひとりで調べたり考えたりする時間を愛したファーブル。本書を通して彼の一面に触れ、暖かい気持ちになれた一冊でした。
投稿元:
レビューを見る
(2014.10.21読了)(2005.12.22購入)
副題「伝記 虫の詩人の生涯」
奥本訳「ファーブル昆虫記」の最終巻です。今回は虫の話ではなく、ファーブルの生涯の話です。既に、第1巻から第7巻までの間に断片的に述べられていることを時系列にしたがって、書き直したというという印象もないわけではないのですが、…。
ファーブルは、1823年12月21日に生まれ、1915年10月11日に亡くなっています。91歳でした。読んでみると、19世紀のフランスの教育事情がどんな感じだったのかの一端がわかります。フランス全土に、フランス語が行き渡っていたわけでもなさそうです。
教育制度が整ってゆくとともに、フランス語も行き渡っていったのでしょう。
ファーブルは、15歳で師範学校に入り、18歳で卒業し、小学校の先生になります。
数学および物理学の学士号を取り、25歳で、中学校の教師になります。赴任先はコルシカ島でした。
29歳のとき、アヴィニオンの師範学校の助教授になりました。30歳で博物学の学士号を取り、昆虫の研究を始めました。
34歳のとき、大学教授の話がありましたが、名誉職的なもので、俸給が少ないため、あきらめました。32歳のときから始めたアカネから染料を取る研究が42歳のときに実を結び、アカネの色素を直接とりだすことに成功しました。この年に、師範学校の物理の教授となりました。アカネ染色の工業化で、お金を稼ぐつもりだったのですが、ドイツで化学合成の技術が完成したためにお金儲けは夢と消えました。
44歳のとき、夜間の成人学校での講義内容を非難され、師範学校を辞任。
46歳のとき、お金を借りてオランジュに移り、本を書いてお金を返しながらすごし始めました。54歳の時、『昆虫記』第1巻の原稿が完成しました。
55歳のとき、セリニャンに移転しました。この年に『昆虫記』第1巻が刊行されました。
83歳のときに、『昆虫記』第10巻が刊行されました。
20歳のとき23歳のマリー・ヴィヤールと結婚しています。
長女エリザベート、1845年生まれ、1846年死亡。
長男ジャン、1847年生まれ、1848年死亡。
次女アンドレア、1850年生まれ。1898年死亡。(48歳)
三女アグラエ、1853年生まれ。
四女クレール、1855年生まれ。1891年死亡。(36歳)
次男ジュール、1861年生まれ。1877年死亡。(16歳)
三男エミール、1863年生まれ。1914年死亡。(51歳)
1885年、妻マリー死亡、64歳。
1887年、ジョゼフィーヌ・ドーデル(23歳)と再婚。ファーブル63歳。
長男ポール、1888年生まれ。
長女ポーリーヌ、1890年生まれ。
次女アンナ、1895年生まれ。ファーブル71歳。
1912年、妻ジョゼフィーヌ死亡、48歳。
ファーブルの子供は、男4人、女6人の10人生まれています。ファーブルが亡くなった時までに生きていた子供は、4人ということになります。91歳まで生きたので、最後の子供アンナが20歳になるまで生きたことになります。
【目次】
1 マラヴァルの農家
2 サン・レオンの学校
3 大きな街ロデーズ
4 アヴィニョンの学生時代
5 カルパントラの小学校
6 アヴィニョン師範の名物教師
1 博物学への道
2��アカネの研究
3 アヴィニョンの友人たち
7 オランジュの家
8 やくそくの地アルマス
9 ファーブル先生の一日
10 アルマスの光の中で
年表(ファーブルの生涯)
おわりに
参考文献
●動植物の名前(70頁)
ファーブル先生は、何千何万という動物や植物のことを覚えました。名前を知っていれば、親しみがわきます。野山で見かける生き物たちが、先生に微笑みかけてくるのです。
●小学校(118頁)
その頃、何年生には何を教えなければいけない、などときっちり決まってはいませんでした。その先生が教えたいものがあれば何でも構わなかったのです。
●古典文学(133頁)
その当時は自然科学をやる人でも、その前にギリシャやラテンの古典文学をしっかり学ぶことになっていました。そのために理科系の人でも、物の考え方に濃やかさや美しさを取り入れることができたのです。
●自然発生説(146頁)
「カエルは雨降りのときに雲の中から落ちてくる」とか、「ウナギは川の水から湧いてくる」とか信じられていました。
●繭(162頁)
「繭というのは、幼虫がサナギになるときに、自分の体を保護するために糸を掃き出して作ったものです」
●悪臭(167頁)
悪い空気や悪臭が伝染病の原因であると考えられたりしていました。例えばマラリアという病名は「悪い空気(マラ・アリア)」というイタリア語からきています。だからスミレの花のにおいのように、良い香りをかぐと病気を防ぐことができると信じられていたのです。
●音楽(243頁)
先生は自分で詩を書き、それに合わせてオルガンを引きながら、素朴な優しい曲を作曲しました。音楽なんか特に習ったことはないのですが、自己流でやれるようになったのです。
☆関連図書(既読)
「ファーブル昆虫記 1」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.03.20
「ファーブル昆虫記 2」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.05.15
「ファーブル昆虫記 3」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.06.10
「ファーブル昆虫記 4」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.07.10
「ファーブル昆虫記 5」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.08.10
「ファーブル昆虫記 6」ファーブル著・奥本大三郎著、集英社、1991.09.10
「ファーブル昆虫記 7」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.10.09
「ファーブル『昆虫記』」奥本大三郎著、NHK出版、2014.07.01
(2014年10月21日・記)
(本の紹介より)
南フランスの自然と人びと。ファーブルは、どのように、虫の秘密を明らかにしたか。
投稿元:
レビューを見る
伝記としてはとても読みやすかった。翻訳者の力もあると思うけど、ファーブルの生き方が奇想天外でユーモラス。
ファーブルの印象を一言でいうなら若い。エネルギッシュというわけではないけれど、ずっと情熱がチリチリ燃えている。勉強する姿勢、自然を愛する姿勢が少年の頃からずっと変わらないことに人間としての魅力を感じた。変わらないから50代で本を出版でき、60代で妻と死別後、超年の差再婚でき、70代で子どもを作れたのだろう。晩年の生き方には何回も驚かされた一方で自分のやりたいことを追求する素晴らしさを感じだ。