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森鴎外の長女茉莉の書いたエッセイ集。授業で鴎外を扱うので一応読んでおこうと思いまして(だって読んだの『枯葉の寝床』だけだから…。それもどうなのよ。ぶっちゃけ鴎外の『ヰタ・セクスアリス』のが面白かった)。表紙の見返しに書いてあったとおり、確かに繊細なタッチでした。鴎外の優しさやおかんの激しさが、森茉莉の繊細なタッチによって非常に美しく描かれている。ただ神経質な感じはするな。ここまでよく覚えているもんだと突っ込みたくなる程細かく、美しく描かれているところは評価。『枯葉の寝床』を見たときは微妙だなと思った文体も、エッセイだとこんなにも活きるのかと変なところで関心。ただ、名前はどうかと思うよ森家……。不律で「フリッツ」、杏奴で「アンヌ」、あげくに孫の名前が爵(すいません字がでません)で「ジャック」ときたもんだ。なのに森茉莉は「おまり」…せめてマリーって呼んでやったらどうだ鴎外。
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豊かで絢爛な「幼い日々」も印象的であったが、死後に感じる父・森鴎外から与えられた愛情、茉莉から父に向けた愛は切なく美しく胸に響いた。
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エッセイ。森茉莉がいかに鷗外先生を愛していたかが語られ続けるエッセイ、かと思ったら意外とそうでもなく、普通におもしろかった。
内容は他愛のないことばかりで、本当に鷗外にラブコールしているだけの篇さえある。まあ、むしろそういうもののほうが愛らしくて好ましかったりもする。逆にちょっとした思想の、おそらく作者にとっては後の作品世界を作る上での実験だったんやろうと思われる文章にはおもしろさがない。煩雑なだけで、幽玄思想というか、そういう幽かな機微を書き表そうとして失敗しているような気がした。ただ、豊饒になるだろうと思わされる精神世界の萌芽ではあるんだろう。「夢」とか個人的には好きじゃない。
文章は読みにくいけれども、品格というか雰囲気がある。上に書いた「愛らしさ」も含めて、なるほど「精神貴族」という言葉がしっくりくる。なにしろ文章から伝わってくる情感はどう考えても二十歳かそこらの小娘のもので、とても執筆時の森茉莉の年齢を想起させるものではない。溺愛された、ということをここまで作品に昇華させる、よく言えば貴人の浮世離れした感覚、悪く言えば自分本位で子供っぽい感覚は立派なものだと思う。
文章にせよ内容にせよ思想にせよ、修練とか理想ではなく、森茉莉本人の奇矯な魅力が作り出している。だから、このおもしろさはすべて森茉莉自身に帰されるべきで、そう考えればまさしく身を切った文章だ、と思う。いみじくも(あるいは意図してなのかもしれない)自身が書いているように、このエッセイにおもしろさを覚える理由の幾分かは、文学作品ではなく作者自身への好奇心が湧くところにあるんじゃないかと下衆なことを感じた。
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エッセイ集。茉莉は森鴎外に溺愛された実娘。優しさと温かさに満ちた家庭での子供時代の日常が、ウェットで色鮮やかな、美しい文体で述懐されている。ヨーロッパから取り寄せた服を親子三人で茉莉に合わせるシーンが好きだなぁ
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表題の「父の帽子」特に気に入りました。
大きな頭の鴎外の深い腹立ちに共感しました。
僕の頭も大きいので。
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森茉莉の短編エッセイ集。この人は自分の思い出話を形を替え品を変えて、くりかえしくりかえしなぞるように作品を残しています。
それが、古い写真から立ち上るような、濃厚な空気を醸し出しています。
『甘い蜜の部屋』を持っていますが、その作品が生み出されるにいたった実生活での父親との交流が記されています。
茉莉文章ならではの独特の区点の入れ方に、引き込まれましたが、うっかりするとその世界に取り込まれて、どれも同じ作品に思えてしまいます。
彼女の作品は、ある程度客観的距離を保ちながら、少しずつ読んでいくべき本だと思いました。
彼女の作品は、根幹がどれも繋がっているような気がします。
『甘い蜜の部屋』のモイラが懐かしくなりました。再読しようかしら。
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「夢」という短編が、なんとなく日々を過ごしていた私には、凄く身近に感じられた。
彼女は現実を夢のように感じていたらしいけれども、私と同じ年齢のときには子供もできていたのよなぁ……
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グールドのブラームスの間奏曲集を聴きながら読んだ。私はクラシックにはあかるくないが、すごく合っていた。森茉莉や幸田文など、文学者の娘のエッセイは好きである。少女のようないたいけな感性や文学や芸術の教養にうっとりとする。世田谷文学館で観た森茉莉の肉筆原稿はお花だらけだったのもよく憶えている。
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森鴎外の長女である森茉莉の主に父鴎外(ぱっぱ)との思い出を綴ったエッセイ。
子供を溺愛する鴎外とその鴎外を溺愛する茉莉の愛らしさが温かく伝わってくる。
明治時代の生活の風景を感じるれることも嬉しい。
印象が残った箇所は鴎外が人間の『よさ』を持った稀な人間だった、とするくだり。
以下引用~
・他人の幸福を喜び、他人の不幸を悲しむ、というような簡単な事さえ出来る人間は、中々見付からない。世間の人は非常な熱心さで他人の事を気にする。併しそれは、自分の事を整理して、余裕があって他人の事を気遣ってくれるのではなくて、自分の知らない間に他人が幸福になってしまいはしないだろうか、ひょっとしたら他人が不幸になって呉れて居はしないだろうか、という心遣いなのだ。この心遣いの為に急しく、自分の幸福を感じる事さえ忘れている人がある。
・(父は)深く他人の幸福を希っていたが干渉はしない。
深い考えと遠い慮りをひそめた愛情で人間を遠くから包む事はあったが、干渉することは絶対にしなかった。
・必要なことは覚えていたが、どうでもいい事は何度聞いても忘れてしまった。簡単なことだが人間の「よさ」を持った人間でないと出来難い事だ。
・父は不愉快な憎しみを抱くことが無かった。不愉快な人間に対しては無論父も人並みに不愉快は感じただろう。併し人間の不愉快な心持を心から憎み、浅ましい感情になる、という事は父にはなかったようだ。
・父は少年の時、自分の心に誓ったのだろうと思う。「自分に誇りを持とう」と。自分自身に誇りを持つという事が、人間の「よさ」をこしらえる根本だ。
誰でも自分に誇りを持っているが、本物はあまりない。
以上
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文庫本の裏表紙の説明によると「森鷗外の長女として生まれた著者は、父鷗外の愛を一身に受けて成長する。日常の中の小さな出来事を題材にして鷗外に纏わる様々なこと、母のことなど半生の思い出を繊細鋭利な筆致で見事に記す回想記。」とある。要はエッセイである。なぜこの著書を手にしたかについては、勿論、鷗外の作品を通して自身の人物像に興味を抱いたからである。超エリートコースで国の要職に就きながら、次々と名作を生み出す原動力については、わからなかった。しかし、繁忙の日々を過ごしながら、茉莉に対する惜しみない愛情を注ぎ、そして鷗外自身の悲しみは語ることなく封じ込めている。明治時代の男の気高さの象徴なのかもしれない。
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父親森鷗外や母親、祖父母の話。
兄弟についてはあんまり出てこない。
家族や生活について書いたのを読んでみたい。
創作ものは趣味じゃないのでエッセイ方面で。
題名になっている父の帽子の森鷗外が面白い。
頭が大きくて、帽子屋に行って「上等の分を見せてくれ」
でも小さくて別の帽子屋を回る。
ヨーロッパへ行きたくて鴎外から義父へ話を通してもらって夫について行くって名目で行ったり、日本に戻ってからもヨーロッパへの憧れがあったんだろうな。
未里と書いてマリイと読ませる名前が出てくるんだけど
事実なのか創作なのか、よく分からない。
2歳で亡くなった不律の胸像ってどういう事だろう?
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図書館で。
森鴎外って結構早くに亡くなられたんだなぁ… 森茉莉が41だか42だかの時の子、とあって16だか17で嫁に出して2,3年で亡くなられた、とあるから60ちょっとぐらいかぁ。当時としては順当なのかもしれないけど、下の子がまだ10かそこらでしょう?いやぁ… 奥さん大変だったろうなぁ…
5歳の時に大病してさらに父親が年取ってから出来た子だからと溺愛され、蝶よ花よと育てられた彼女が娘気分も抜けきらぬうちに嫁に行って…。そりゃあ…うん、うまくいくはずもないよな… 20代の男性が60の父の包容力や知識を持っているはずもないものなぁ。その辺りは彼女の幸せだったのか、不幸だったのか。圧倒的なファザコン、というか。父親に幻滅する前に父が亡くなってしまったのが不幸だったのか。色々と痛々しい感じです。
個人的には嫁さんが彼の遺言を口を酸っぱくして問い詰めた気持ちがすごいよくわかる。後に残されたものはたまったものじゃないよなぁ… そういう意味でも男って身勝手だなぁ、まあそう言う時代だしなぁなんて思いながら読みました。
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東京・駒込千駄木観潮楼。森鴎外の長女として生まれた著者は、父鴎外の愛を一身に受けて成長する。日常の中の小さな出来事を題材にして鴎外に纏わる様々なこと、母のことなど、半生の想い出を繊細鋭利な筆致で見事に記す回想記。「父の帽子」「『半日』」「明舟町の家」「父と私」「晩年の母」「夢」ほか16篇収録。日本エッセイストクラブ賞受賞。
森茉莉を知ってすっかりのめりこんでから買い集めた一冊。彼女の文章は、急いで読みたくない。一つ一つの言葉を噛みしめて読みたい。だからいつもよりかなりゆっくり読んでいて、読了までにかなり時間がかかってしまった。父鴎外だけでなく、母親のことも結構書いてあって、幼少期から結婚して父が亡くなるまでの頃の思い出が多いですが、振り返ってここまで書けるって、本当にすごいなあ。彼女にとってパッパは真の恋人であり庇護者であり愛する人だったんだと納得する。そして結局独り身を通した茉莉の粋な生き方は、決して彼女自身が恥じたりするようなものではなく、むしろ楽しんでいたと思う。
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著者の父である森鴎外についてのエッセイなどを収録している本です。
「父の帽子」などのエッセイは、もちろん父としての鴎外のすがたをえがいたものではあるのですが、文豪・森鴎外の素顔というよりも、森茉莉の作品世界のなかの「父」としての印象が強いように感じられます。本書に収められている「夢」という短編では、現実を「影」のように見ており、「すべてが夢のように不確かで、すべてが夢のように信じ難かった」と語る未里(マリイ)が登場し、装飾の多い文章によって著者独自の作品世界が構築されていますが、本書に収められている他のエッセイで登場する鴎外も、こうした作品世界のなかの人物のようでもあります。
弟の不律とともに百日咳にかかり、弟だけが命を落とすことになったことをえがいた文章や、母の志けの晩年をえがいた文章などにも、やはり著者らしい、現実からすこし浮きあがったような感覚をおぼえますが、鴎外を題材にとった文章と比較すれば、もうすこし現実の推移を冷静にえがきとっているように思います。
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鴎外の末子を題材にした小説『類』を読んで長女森茉莉に興味が出て、初めて読む。
鴎外像、妻志げと義母の対立、鴎外死後の志げの苦労など、鴎外の家族関係を巡る上記小説の原典に当たることができるとともに、類の視点からは登場してこない、生後すぐに百日咳で亡くなった不律の話が出てくるのも、理解が深まってきて良かった。
しかし、鴎外こぼれ話は意外なほど少なく、そのような情報を仕入れるための読書を拒むように、森茉莉の文章は癖が強い。息継ぎや現実の捉え方が独特なせいか、なかなか読み進められない。暗いけど、華美。
父鴎外を神様のようにみんなに公平に優しいという一方で、明らかに異性として見ており、その描写は母親の目線のような慈しみに溢れているようで、少しドキッとしてしまう。