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レールの継ぎ目を刻む心地よい音に誘われて、何にも用事のない旅が続く。第二阿房列車は、新潟、横手、京都、九州へとひた走る。痛快無比の紀行文学。(カバー裏解説より)
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のんびりゆっくり読み終わり。
九州行きは、阿房列車の後を追いかけるみたいに不通の路線が増えていって
怖いような気持ちになった。
(10.12.02)
アマゾンで中古を購入(10.11.13)
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1991年(底本1953?年)刊。いやあ、もはや後世に残すべき記録ともいうべき紀行文。旅行時期が昭和28年で、流石に知らないことばかり。例えば、①この時期、戦後初の山陽本線特別急行(=特急)が大阪-博多間で運行開始。二・三等車のみの編成を率いるのは蒸気機関車C59。大阪・広島間の機関車の無交代はスピードアップ目的だが、機関車の能力限界一杯。②東京-鹿児島の寝台急行きりしまは博多で一等車を切り離す。一等から二等に移席する著者らの荷物は車内のボイ(ボーイ)が運んでくれる。③停車中に速攻で食べるホーム内の蕎麦。
時に、月見蕎麦を食する者もいたが、中の卵を神々しく描写する叙述が、当時の卵の貴重さを物語る。④横手の「かまくら」行事の意味。⑤食堂車の連結なき寝台列車に乗る場合、弁当・熱燗入りの魔法瓶(魔法瓶という言葉すら死語か?)・乗せ台のための絵画用三脚・停電用懐中電灯が必需品。⑥②の如き異級間の乗り換えは特種補充券という書付の紙を利用し、もはや硬券ですらない。◆結局、これらの記述自体が、電車特急こだま、さらに新幹線誕生期、さらにはブルトレ全盛期とも異質な時代相を切り取って見せているのだ。
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旅行記でもなく、マニアックな「乗り鉄」の記録でもなく、ただただ、引き込まれて読んでしまう。地図と地図アプリを片手に。