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著者の幼い頃を描いたもの。私が借りたのは文庫版
なんだか不思議な雰囲気の本だった。ただの自伝というだけでもなく、童話のようでもあり。
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子供の頃いつもいつも空想していた。
空想の世界と現実の世界の境目はあってなきもの、
毎日毎日幾種類もの世界に囲まれて、傍目には
変な子供、自分的にはわくわくどきどきの毎日を
過ごしていた。
空想力さえあれば、どこへでも行かれて何者にもなれるのだ。
独りきりでも大丈夫。
しゃべり相手は無数に周りにいつもいたから。
そんな子供のころの私を思い出させて感じさせてくれた
嬉しい本。
笑みが止まらない。
かの、ムーミンシリーズの著者の自伝的小説。
lovefigaro様
ヤンソン著作達を読む素敵なきっかけを下さって
ありがとうございました☆
短編集を探している時に出会ってしまいました。
これが出会いの一冊になりました。
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ムーミンの作者トーベ・ヤンソンが子供時代のことを書いた自伝的作品。
父は著名な彫刻家、母は挿絵画家。
母方の祖父は牧師で王様に説教したとか。
エデンの園のような祖父の庭で、従姉妹とイスラエルの民ごっこをしたり。
夏は8分で一回りできる島で、漁師小屋を借りて暮らしていたという。
想像力豊かで、やんちゃで、好奇心溢れる女の子。
豊かな自然の中で、魔法に満ちた暮らし。
地元の少年と釣りに行ったり。
氷山の一つを自分の物と決めて、ついてくると感じたり。
泊まりに来たおばさんのちょっと変な物作りを見物したり。
火事が起きると皆を起こして見に行く父。
やたらにペットを飼う父の、猿や鴉に呼びかける甘ったるい声に怒りを感じたりする女の子。
猿のポポリーノはいたずらだけど父の親友なので仕方ないが、父のことを何とも思っていない羊にはうんざりとか。
カナリアが増えすぎたので、誰にでもあげると広告を出したところ、前に死んだりいなくなったりしたカナリアの話をして泣くのを一人一人聞かされる羽目になったとか。
クリスマスの準備の思い出は素晴らしく、父と天井まで届く樅の木を選び、母はジンジャークッキーを作り、部屋中にキャンドルを灯す。
母は聖ルチアに扮して白い服を着る、など。
1958年に父がなくなり、10年たって発表した作品。
母はスウェーデンで初めてガールスカウトを組織したとか。
1970年に母が亡くなった後はムーミン谷のシリーズはやめたんですね。
創作の源が家族にあったことをうかがわせます。
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自伝的小説。全てが本当に起こったことではないと書かれていましたが、少女トーベにとっては全て本当に起こったことだったのではないでしょうか。子供のときのこと、そのときの感情をこんなに鮮やかに覚えていられるなんて、過去が束縛してくるようで恐怖も感じますし、自分がその過去の上に立脚しているという安心感も感じます。
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普段活用している図書室は公民館の中にある小さなモノなのであまり蔵書がありません。
とは言えつぶさに見ていると結構面白い本が揃っていたりします。
この間あ、トーベヤンソンの本だ!と棚から発見し、借りてみました。
私はムーミンシリーズが好きで特に「この世の終わりにおびえるフィリフィヨンカ」というお話が本当に好きなのですがあの自然に対する大いなる畏敬の念と恐怖は彼女の育った環境に大きく感化されているのだなあ~ということがよくわかりました。
この頃は本気で腹を立てたり、お腹が痛くなるほどの恐怖などという強い感情を持たないようになるべく平穏に生きておりますが子供の頃は違ったよなあ。涙が出るぐらい悔しいことや怖いこと、震えるほど欲しいモノがあったこと。そういう感情をどうやったら忘れずにいられるんだろうか。彼女の簡潔な文章を読みながらそんな子供の頃の想いを彷彿させる文章が書けるってすごいなあと羨ましく思いました。面白かったです。
それにしてもサルのペットは大変そうだ。そして猿に与えるついでに子供にも同じ飴をあげるお父さんか…(笑)
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考えの唐突な中断、言い切りによる早急な結論、一文が短く切れ、その隙間だらけの言葉の連なりが、けれどそれで完結している。視線はまだそれほど多くを捉えきる事はできないけれど、確実にイデー(本質)を見て取る。ラフなスケッチのような、とてもおかしな小説なのだけど、ただその視線を追いたくて、一気に読み進めてしまいました。ヤンソンの小説によくある、時に冷酷だと思われるほどに追い詰められていく登場人物はここにはいないし、そもそも筋のようなものすら殆どないのだけど、これまで読んだ中でも一番に挙げたいぐらい素敵な一冊でした。
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トーベ・ヤンソンの大きな魅力の一つは、見栄や虚栄心や嫉妬など人間の欠点と呼ばれるような部分を、とても暖かく魅力的に描くところにあると思います。
この本の登場人物たちは、決して筋の通ったような実直な人間ではなく、誰もがインチキくささや煩わしい気質を持っています。
それでも、そんな登場人物たちと関わる主人公の少女のふるまいを読み進めていくと、彼らの欠点がとても魅力的に見えていきます。ストレートに描かれる少女の心模様からは、胸の中の痒いところをついてくるような愛おしい人間味を感じることができるのです。
そんなトーベ・ヤンソンの魅力がつまった、良い本でした。
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トーベ・ヤンソンをご存知ない方でも『ムーミン』の作者といえば誰もがご存知でしょう。
今年は生誕100年の年。本書はヤンソンの子供時代を綴った自伝的小説。父は彫刻家、母は画家という家庭で育った彼女の日常はムーミンの世界と重なるところが多い。彼女の自由な発想と冒険心は、とてもスリリングで引き込まれます。
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『少女ソフィアの夏』がおもしろかったので、似た装幀の『彫刻家の娘』を借りてくる。"彫刻家"とは、トーベ・ヤンソンの父のヴィクトル・ヤンソンのこと。なので、自伝みたいなやつかなーと思ったら、『少女ソフィアの夏』みたいに、子ども時代の思い出を核にふくらませた「お話」になっていた。
子ども時代に見た夢うつつの世界や、その中にひたっていたお話の世界の続きが書かれているようでもあった。とくに「チュールのペチコート」「雪」「飛ぶこと」がおもしろかった。心が飛びたつようだった。自分がすっかり忘れている何かをちらっと思い出すようだった。
ヤンソンさんは、空想をふくらませてその世界で遊べる子どもだったのだろうなと思った。そういう子ども時代の根っこがあって、物語の世界をつくりだしていけるのだろう。
「作家が物語を書くときにいちばん大切なことは、ああそうだ、こういうことがあったなあとか、自分もあたらしい発見をするためになにかをはじめようとか、そういった欲求を読者に与えることができるかどうかということです」(p.236)というヤンソンさんの言葉を訳者が紹介している。
「あの子ども時代なしには、ムーミントロールの物語を書くことはなかったでしょう」(p.234)とヤンソンさんは語っているそうだ。未読の「ムーミン」シリーズも、いよいよ読んでみるかなーと思う。
(6/5了)
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ムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの少女時代の思い出をファンタジックに回想した自伝的小説です。彫刻家の父と画家の母という特殊な家庭で育つ少女の成長譚として、また、ムーミンの諸作品理解の一助として興味深い本です。
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子どもの目の高さで描かれた子ども時代のスケッチ。
ファンタジー作家は子ども時代へ自由に行き来する黄金の梯子を持っているそうだ。私はトーベの梯子から落っこちた。
空想と現実がバリアフリーな時期が、私にもあったはずなのだが。
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ムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの少女時代の自伝エッセイ。
彫刻家である父の娘という環境で育った自分自身の、日々に起こった出来事を回想して書いている。
舞台が北欧の片田舎や、小さな島だったりするため、ちょっと風変わりな環境や経験も多いけれども、そこで起こる出来事が不思議というよりは、ありふれた出来事をちょっと芸術家的な視点から感情をこめて描いている感じ。
まだ世の中に出る前の、あまりスレていない少女から見た世界を、思い出しながら書いたのだろうと思う。いろいろと警句めいた言葉や感想が並べられているのだけれど、あまりしっくりくるような言葉は見つからなかった。
男たちはパーティーをする。彼らは仲間どうしだから、ぜったいに相手を見すてたりはしない。仲間というものは、どんなにひどいことを言いあっても、つぎの日にはわすれている。ひどいことを行った相手をゆるすというのではない。たんにわすれてしまうだけだ。女たちはゆるすけれども、わすれることはぜったいにない。そういうものなのだ。だから女たちはパーティーをしないほうがいい。だいいち、ゆるされるなんて考えただけでぞっとする。(p.42)
わたしたちはキノコをたくさんつむが、手当たりしだいというわけではない。キノコ狩りにもやりかたがある。何百年も昔からずっと、キノコは冬の朝食に欠かせない大切な食べ物だ。魚とおなじほど大切だといってもいい。どのキノコにもあるふしぎな菌糸をたやさないよう、キノコの生える場所を、つぎの世代の人のためにも、とっておかなければならない。夏のあいだに家族の食料を手に入れること。自然をうやまうこと、このふたつは市民としての義務だ。(p.79)
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トーベ・ヤンソンの自伝的な作品。(自伝ではない)
ムーミンの原点の登場人物が出てきたり、彫刻家のお父さんの芸術家ぶり、アルベルトの生き物の対する姿勢、島での嵐の様子などなど。
ムーミンというとてつもない作品を残す人は、やはり子どもの頃から違う感性だということが、平凡に生きてきた私からは感心するしかない。