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えーと、だいぶん前に読み終えていたのですが、本が行方不明になっておりました(爆)
以前、学生時代に「指輪物語」を読んだときは、このゴクリの話のあたりが、1番つらかったのを覚えています。
映画で見ると、戦争ばっかりの第2部より、このエピソードがはいる第3部の方が、おもしろく感じました。
二重人格的なゴクリの性格を映画を見るまで理解できていなかったからだと思います。
なんか、独り言をいうシーンとか見ても、ワザとサムに聞かせているのかなぁと思っていたわけですね。
きっと「王の帰還」を読み始めるのは、今年の8月あたりからではないかと思います。
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さて、前の巻(二つの塔 上巻)ではまったくといって出て来なかったフロ・サム・コンビですが、その穴埋めでもするかのようにこの下巻は、全巻通してフロ・サムの行程が描かれます。 こちらは息をつかせないような戦いがあるわけでもなし、描写されている景色だって荒れ地がほとんどで殺伐としているし、ダムが決壊しているわけでもエントの大行進があるわけでもなく、見どころ(?)と言えるのはせいぜいが「死者の沼地」のおどろおどろしさと、ファラミアに連れて行かれる「ヘンネス・アンヌーン」の美しさぐらい・・・・(苦笑)
読んでいてちょっとほのぼの~とできるのはサムの「ウサギシチュー」のくだりぐらい・・・・・ということで、ある意味とっても地味~なシーンが続きます。 でも、KiKi は今回の読書を始めるにあたってこの巻を読むのをものすご~く楽しみにしていたし、「積年の疑問を今回の読書でこそ、ちゃんと解決しなくちゃ!」意気込んで読み始めた物語でもありました。
KiKi の積年の疑問、それはね、「どうしてフロドはゴクリを案内人として連れ歩くことを決意したのか?」ということなんです。 と同時に、「どうしてゴクリは2人のホビットを案内している過程でサムが懸念していたように寝首をかいたり襲ったりという直接行動に訴えて指輪を手に入れようとしなかったのか?」ということでもあったりします。
もちろんゴクリは指輪に半端じゃなく執着しているわけで、そうであればこそここに至るもっと前、モリアあたりからフロド達の後をつけてきていたわけだけど、とうとうここでフロ・サム・コンビと否応なく対峙することになります。 で、その対峙のステップ1ではサムに押さえこまれそうになったところを反撃し、フロドに「つらぬき丸(スティング)」を突き付けられ、挙句、エルフのロープで縛りあげられ「痛い、痛い」と叫びます。
で、その直面している痛みから解放されたいが故に彼は
「わしら、このしとのしてほしいこと何でもしるって誓うよ。 そうよ。 そうよ。 スメアゴルはいとしいしとにかけて誓う。」
と言います。 で、それに対してフロドは
「いとしいひとにかけてだと? よくもお前はそんなことがいえるな。 考えてみろ! 『1つの指輪は、すべてを統べ、くらやみのなかにつなぎとめる。』 スメアゴル、お前はこんなものに言質を与えるのか? あれはお前を手離すまい。 しかしあれはお前よりも術策にたけている。 お前の言葉を曲げてしまうかも知れぬ。 気をつけるがいい!」
と言い、さらにスメアゴルは
「とてもとてもいいスメアゴルになることだよ。 スメアゴルは決して、決してあれをあいつに渡さぬことを誓う。 決して渡さないよう! スメアゴルはあれを守る。 だがスメアゴルはいとしいしとにかけて誓うほかないよ。」
と言い、これを受けてフロドは
「だめだ! あれにかけて誓ってはならない。 お前はそんなことをしたら気が狂うと知りながらも、できればあれを目で見、手で触りたくてたまらないのだ。 あれ��かけて誓ってはいけない。 もしそうしたければ、あれの前で誓うがよい。 なぜなら、お前はそれがどこにあるか知ってるからだ。 そうだ、お前は知っている、スメアゴルよ。 それはお前の前にある。」
と言い、同じホビットのサムでさえ入り込む余地のないある種の連帯感(指輪保管者という経験を持つ者同士)で結ばれているフロドとゴクリは、「二人は互いに相手の心に届くことができ」て、スメアゴルから以下の言葉を引き出した後、フロドはサムに命じてゴクリを縛っていたロープをほどいてやり、尚且つ彼らの案内人としてゴクリを受け入れます。
「わしはいとしいしとの主人に仕える。 いい主人だよ、いいスメアゴルだよ、ゴクリ、ゴクリ!」
KiKi はね、正直なところこれまでの読書で何回ここを読んでも、そして映画を観ても、どうしてこういう展開になるのか(≒ ゴクリのような信用できそうもないヤツをフロドは案内人として受け入れ、ゴクリもその後、シェロブの棲家に彼らを連れて行ったとは言え、自ら手を下して実力行使で指輪を奪おうとしなかったのか)、ちゃんと理解できずにいたんですよね~。 まして映画の方の該当箇所のフロドのセリフの字幕は
「指輪には心を許せないが、お前は約束を守れ」
な~んていう何言っちゃってるんだかまったくわかんないモノだったし・・・・・ ^^; で、今回の読書ではここを何度も何度も読み返してみました。 ついでに映画の方も英語字幕で観直してみました。 で、ここのフロドのセリフは英語字幕ではこうなっています。
The ring is treacherous. It will hold you to your word.
これ、ほぼ直訳してみると「指輪は術策にたけている。 (だから)指輪はお前をその誓いから離すことはないだろう。」というほどの意味だと思うんですよね。 それらを頭の中でまぜこぜまぜこぜしてみて、現段階で KiKi が出した結論は以下のような感じです。
フロドはホビット庄から指輪をず~っと持ち続けているので指輪が自分に、そしてスメアゴルにどんな風に影響するのかを身を以って知っています。 そうであるだけに、フロドは危険な指輪に執着し続けているスメアゴルを哀れだと思うし、その指輪にかけて誓うと言ったスメアゴルの言葉が、その時点ではスメアゴルの真実の気持ちであることがわかったんだと思うんですよ。
同時にフロドは、スメアゴルが実際には「善」の存在ではないことも、指輪に誓っちゃったら最後、その誓いに縛られてしまうこともわかっているし、結果としてスメアゴルが「指輪が欲しい」と渇望する気持ちを持ち続けつつ、「指輪をあいつに渡さないために努力せざるを得ない」し、「いとしいしとのいい主人」に仕えざるをえなくなることもわかっているんだと思うんですよね。 だから彼はスメアゴルを案内人として雇うことに決めたんだと思うんです。 だって、スメアゴルがどんな悪党だったとしてもフロドとサムの2人だけではモルドールに辿りつけそうにないから・・・・・。 彼の究極の目的は滅びの山だから・・・・・。
でも、もちろんその案内人が寝首をかいてくるようなヤツじゃあ、オチオチ旅なんてしてはいられません。 でも、スメアゴルは指輪にかけてあれやこれやと誓っちゃった。 その誓いからスメアゴルが解放されることはなくて、そうである以上彼はフロドに仕えざるをえないし、あいつに渡さない協力をせざるを得ない。 当然のことながらスメアゴルが2つの考え方に引き裂かれそうになることはフロドにはある意味でお見通しだったんだと思うんです。
もともと孤独な時間を長く過ごしてきたゴクリは多分に二重人格的な要素を持っていたけれど、ここで指輪に誓っちゃったおかげで、この後フロ・サムとの旅の過程でその二重人格度は右肩上がりでアップする(映画ではもっとすごい!!)し、挙句、自分では手を下せないからシェロブにお任せして漁夫の利を得ようと考えるに至る・・・・・そういうことだったんじゃないのかな?・・・・・と。
だからこそ黒門やシェロブに襲われる直前にフロドはこんなことを言っているのじゃないのかなぁ・・・・と。
@黒門
「スメアゴルよ、お前は危険な状態にあるんだぞ。 私が言っているのはこの3人が共有している危険のことではない。 お前1人にだけ関わる危険のことを言っているのだ。 お前はお前がいとしいしとと呼ぶものを証人として誓言した。 それを忘れるんじゃないぞ! それはお前に約束を守らせるだろう。 けれどもそれはその誓言の意味をねじ曲げる方法を求め、お前自身を破滅に導くだろう。 もうすでにお前はねじ曲げられようとしている。 たった今、愚かにもお前は本心を洩らした。 『あれはスメアゴルに返しておくれ。』 お前はそう言った。 二度とこんなことを言ってはいけない! こんな考えをお前の中に育ててはいけない。 あれはお前の手には決して戻ってはこない。 しかしあれを欲しいと望む気持ちがお前を裏切って苦い破滅をもたらすかもしれない。 あれはお前の手には決して戻ってはこない。 ・・・・・(この後の言葉は物語の最終シーンの伏線だと KiKi は思っています。)」
@シェロブに襲われる直前
「あの混乱した頭の中にたった一つだけはっきりした企てを持ってるとは思わないね。 あいつはわれらの敵からいとしいしとを守ろう、自分にできる限りの間は守ろうと本気でつとめてるところもあると思う。」
まあ、この KiKi の推測が正しいかどうかはもう2~3回、この巻を読み直してみないとわからないだろうし、可能なら原文にもあたってみないと結論は出せそうにないんだけど、今回の読書で考えたことの備忘録として今日のエントリーを書いてみました。
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ブログにレビューを書きました。
http://yo-shi.cocolog-nifty.com/honyomi/2003/04/4__96e9.html
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フロドとサム、そしてゴクリの巻。
フロド達が一行から別れて旅をする話。
その途中でゴクリに出会いゴクリ二道案内をしてもらうということで旅を共にする。
途中でボロミアの弟ファラミア(音が似てるよね)との出会い。
そして、この巻の最終場面ではフロドがやられ倒れてしまい、オークたちに連れさたれてしまう。
これだけ長い1冊なのに出来事がちょっと少ない気がして退屈な気がしないでもないけど必要な場面ではあるんだろうなあ
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だんだん面白くなってきた!
長たらしいなー好きでないなと思っていた風景描写を美しいと感じるようになってきた。
サムとフロドがラブラブすぎて笑う。寝こけている間にフロドの額と胸に手をおくとか手をつないで歩くとか。
スメアゴルが一瞬、眠る二人を見つめてかつての自分を取り戻した瞬間が燦然と煌めいている。
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「二つの塔」いよいよモルドールへの道に入る。
スメアゴルならし
ゴクリ登場。このところ時々原作と読み比べているのだが、瀬田/田中の訳は素晴らしいものです。自分の力不足のせいが大半ではあると思うが、英語からはどうしても翻訳版のような力強く、雄々しく悲しい雰囲気は伝わってこない。一文一文を忠実に訳しながら、意訳とは言わないまでも日本語の文体に合うように変えている。翻訳小説によくあるような違和感がまったく感じられない。
あれほど指輪物語を読むことを逡巡させていた「です、ます調」が今では心地よくなっている。
西に開く窓
ヘンネス・アンヌーンの滝の描写は素晴らしかった。ゴンドールの山々の彼方にかかる月をフロドが眺め、ピピンもまた飛蔭の背からこの月を見ていた。うーん、絵に残したくなるような描写。
映画でも滝つぼで魚を獲るゴクリのシーンは幻想的で心に残っていたが。
ファラミアの印象は映画とはまったく異なる。映画では唯の妬みというか父に認められたいと一心に願う不出来な次男という感じだったが、なにかしら深い洞察力とそれを覆う悲しみが伺える。
後でわかることであるが、ヌメノールの王家が持つ能力の血がデネソールとファラミアには流れていたのに対しボロミアには流れていなかった。それ故に戦士としての力は劣っていたが、ファラミアには人の本心を見抜く力と深く先を見通す心とがあったらしい。
キリス・ウンゴルの階段
シェロブの不気味さは小説ならではのもの。映画で何が出てくるのかと思っていたら何と蜘蛛!がっかりしていました。
恐怖は映像で表現するのは難しい(スプラッタ系は別にして)。
シェロブの作り出す暗黒はスケールが小さいとはいえウンゴリアントの子孫。シルマリルの物語で出番は少ないもののこのウンゴリアントの印象は最後まで残った。一言で言えばブラックホールです。
サムワイズ殿の決断
連続物のドラマのような終わりかた。第5巻「王の帰還(上)」の次までフロド、サムは出てこないので、つらいです。といいつつ上巻を読み始めるとたちまち話に没頭してしまうにだが。
トールキンはストーリ・テラーとしても優れた人ですね。