紙の本
望郷の念
2022/10/19 19:27
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投稿者:カレイの煮付 - この投稿者のレビュー一覧を見る
暗誦して山本氏の遺書を遺族に届けるという姿に、過酷な抑留生活のすさまじさを思う。望郷の念は、抑えることができない。俳句作りが、抑留生活の心の支えになっていたのだと思う。
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
泣かずには
、読めないノンフィクションです。
わずか、数十年前に本当に、ソ連が、日本にたいして起こしたこと。それが、シベリア抑留なのですが、このように遺書の形で残っていると、すごく身近に感じました
。
紙の本
過酷な抑留、60万の一人
2022/04/01 17:35
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
60万人いたとされる日本人のシベリア抑留者。そのうちの1人の遺書を軸に、抑留の実像の一端を描いたノンフィクション。
人間らしく生きる心を忘れなかった男の遺志が伝わる。読み継がれるのも納得。
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投稿者:M★ - この投稿者のレビュー一覧を見る
実話が土台。
俳句を活用して、持ち帰りった遺書。
ポツダム宣言後に侵攻して、
女子への暴行と、捕虜連行。そして極寒で動物以下の扱い
・・これだけの非道を日本人に行ったので、
潜在的に日本人はロシアが嫌い、なのだと思う。
フランスもロシアも、自分達の皇帝を引き回して殺する人間が住む国なんだよなー、
と暗い読後感。
電子書籍
映画化で本書をしりました
2023/05/14 17:42
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投稿者:ヒトコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ラーゲリより愛をこめて」として映画化され本書を知った。ドラマ「人間の条件」や「不毛地帯」でシベリア抑留の悲惨さを知ったが、
自分が生まれる数年前まで帰国出来なかった人々がいた事、抑留者が60万もおり7万もの方が現地で亡くなってとは知らなかった。その過酷な状況の中、勉強会や句会を開き仲間を励ましつつ帰国の望みを失わず生きた人々がいた事、11年にもわたる捕虜生活やロシア側との折衝、戦後の国際情勢との関連なども知らなかった。山本さんが「平民の書」に書いた「第三の思想」が今こそ問われているのではと思った。
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シベリア抑留された人たちの話です。
いろんな意味で人の強さが見えます。
劇団四季「異国の丘」の原作らしい。
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同僚から薦められた1冊。収容所での生活が淡々と綴られる。文字とか言葉、文学っていうのは心の支えになるのだと改めて思った。先の見えない生活、強制労働、そして空腹…。それらに耐えうるだけの力は広い意味での「故郷」なのだ、と。何か別の本を読んだ際、人々が記憶にある話(物語だったか、古典的なものだったかは忘れたが)を順に話していく、というのがあった。遺書を記憶するのもそうだが、人の脳は無限の可能性を秘めているのだと感じさせられた。
8月。もうすぐ広島、長崎に原爆が落とされた日、そして終戦を迎えた日がやってくる。
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もともと浅草キッドの水道橋博士の影響で買って積ん読状態に。
たまたま観に行くことになったトム・プロジェクトプロデュース「ダモイ~収容所(ラーゲリ)から来た遺書~」観劇(8/1)を機に原作本として読みました。
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是非、映画にして後世に伝えたい1冊。但し黒澤なき後ではハリウッドメイドで製作お願いしたい。人道、人命、が紙屑の様に扱われる現実の世界。映画「ブラッドダイヤモンド」や「ナイロビの蜂」も同様。ラストは涙無しには読めない、日本人なら必読の書。拉致事件は何十年経ったら解決するのか。
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おそらく現代日本では無名なのだろうけど
山本幡男という人の生き様に感動!
どんな悲惨な状況でも、希望を失わない。
文に書くと簡単だが、いかにそれが大変なことか。
それが出来た稀有な方だったのだろう。
誰か映画にでもしてくれませんか?
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戦後、シベリアの収容所で強制労働をさせられていた人たちの話。書き方が非常にマイルドなため、恐らく凄惨を極めたであろう状況をやわらかく伝えているような気がする。与えられる食べ物も少なく、寒さ、重労働、いつまで続けなくてはならないのか分からないといった状況の中で、希望を失わずに、また文化的な生活を送ろうと努力する中心人物がいる。あのような状況で信念を持ち続けた事を考えると非常に強い人だったのだと思う。
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10代の終わりに読んで、非常に感銘を受けた本です。生きること、真摯に生きること、とことん生きること・・・。感動で本当に体が打ち震えることってあるもんなんだなと、読み終えたときの衝撃は今でも忘れません。
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(2005.11.14読了)(2005.09.28購入)
「戦場から届いた遺書」NHK人間講座、の第8回『「記憶」で届けられた遺志』で取り上げられていた山本幡男さんの話です。日本の敗戦直前に満州に攻め込んできたソ連軍により多くの日本人(約60万人)が、シベリアに連行され、強制労働(ソ連側では矯正労働というのだそうです)に従事させられました。山本さんもその一人ですが、満鉄調査部のソ連担当であったこと、日本の敗戦の半年前にハルビン特務機関にいたことが、ソ連の国内法第58条6項の「ソ連に対する謀略諜報行為」に当たるとされ、スパイ罪で裁かれ、重労働25年の刑を受けました。日本へ帰るという希望を失うと、生きる気力をなくし死亡してしまう(死亡すると白樺の根元に埋められるので、これを白樺派というのだそうです)。山本さんは合法・非合法の俳句会を開いたりして仲間を励まし、自分も帰るつもりだったのですが、喉頭癌性肉腫のため1954年8月25日に死亡した。死亡する前に4通の遺書を書き仲間に託した。日本に帰る時は、書いたものはすべて没収されることが分かっているので、遺書を仲間で手分けして覚えて帰ることにし、必死で覚えた。彼らが帰ることのできたのは、1956年12月末である。日本に帰りついた仲間たちは、自分の担当した分を、紙に書き付けて山本の妻のもとへ次々と届けた。自分で届けに行ったものもあり、郵送した人もいる。一番早い人は、1957年1月に届けている。最後に届けられたのは、1987年の夏であった。
この本は、山本さんに出会った人たちに取材し、その内容を年代順に構成し、シベリアにおける山本さんの様子を再現したものです。実に丁寧に描かれていて、日本へ帰るための船のタラップに足をかける場面では、思わず涙がこぼれてきました。(朝の通勤電車の中だったけど。)
「極光のかげに シベリア俘虜記」岩波文庫、の高杉一郎さんの場合は、4年で日本に帰国できたのですが、長い人は12年近くも収容所生活を送ったということです。国家というのは、なんとも理不尽なことをやるものだと思います。
●「日本新聞」(33頁)
「日本新聞」が創刊された1945年9月15日は、敗戦後一ヶ月目に当たり、ソ連が公式に占領終結とみなす9月9日から数えて一週間もたっていない。ソ連が早い時期から対日参戦を考え、日本人俘虜を抑留してシベリアでの労働に従事させることを決定していたと見ることができる。終刊が1949年11月27日であったのは、戦犯とされた人々を除く大多数の一般俘虜たちの帰国が、この年の内にほぼ終了したからだ。
●軍事俘虜送還(77頁)
日本人の軍事俘虜送還に関するソ連政府の公式発表が、1950年4月22日付の「プラウダ」紙に載った。「第二次世界大戦における日本人俘虜の送還が完了し、残っているのは戦犯またはその容疑者のみである」「ソ連邦から送還された日本人俘虜は、1945年に戦闘地域から開放された7万810名を別とし、51万409名である」と報じられた。
また、送還されない者たちについては、「戦犯行為により処刑されたものと審理中のもの1487名、病後静養中の者9名、中国人民に対する重大な犯罪のため中華人民共和国に引き渡される971名の軍事俘虜である」と書かれていた。
●スターリンの死(169頁)
ソ連側が月に一度���俘虜郵便」として支給した往復はがきの発信人住所には、必ず「CCCP」と書かせた。「ソビエト社会主義共和国連邦」の略称である。しかし、それを書くたびに日本人抑留者達は、「スメルチ・スタリーナ・スパスチ・ロシーユ(スターリンの死はロシアを救う)」と読み代えて溜飲を下げていた。そのスターリンが、1953年3月5日に死んだ。
●日本政府の対応(178頁)
日本政府が吉田外相の書簡を国連総会議長宛に送り、ソビエトが俘虜に対する国際協約に違反しているとの批判を行ったのは、1951年が初めてだった。
●山本さんの「日本文化研究会」(193頁)
「かつて、日本に『枕草子』『源氏物語』『徒然草』が現れた頃、イギリスはまだバイキングの時代だった。古く美しい文化を有する日本が、戦争に敗けて世界の劣等国と見做されている。古代の文化に限らず、彫刻にせよ、絵画や建築にせよ、私たちはもう一度、祖先の偉業に立ち返ってみる必要があるのです・・・」
●「幻兵団」(246頁)
シベリアから特殊な任務を帯びて帰国してくる日本人俘虜の一部を名付けて、「幻」或いは「幻兵団」という言葉で呼ばれたことがある。この人びとの特殊な任務は、ソ連に抑留中と、日本へ帰還した後との二種類に分けられた。抑留中の場合は、元憲兵や情報機関等の「前職者」の摘発や反ソ的な行為をする者たちを探らせ、密告させるスパイ任務で、スパイの数はおよそ8千名といわれた。また、後者は帰還後に日本政府や米軍に関する情報を入手し、思想的、政治的な諜報工作を行うようにと指令されたもので、5百余名いたという。
著者 辺見 じゅん
1939年 富山県生まれ
早稲田大学文学部卒業
1975年 「呪われたシルク・ロード」で作家デビュー
1984年 「男たちの大和」で第3回新田次郎文学賞受賞
1988年 「闇の祝祭」で第12回現代短歌女流賞受賞
1989年 「収容所から来た遺書」で第11回講談社ノンフィクション賞受賞
1990年 「収容所から来た遺書」で第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞
☆関連図書(既読)
「長崎の鐘」永井隆著、中央出版社、1976.06.20
「五十年目の日章旗」中野孝次著、文春文庫、1999.08.10
「極光のかげに」高杉一郎著、岩波文庫、1991.05.16
「戦場から届いた遺書」辺見じゅん著、NHK人間講座、2002.12.01
「パール判事の日本無罪論」田中正明著、小学館文庫、2001.11.01
「命こそ宝」阿波根昌鴻著、岩波新書、1992.10.20
(「BOOK」データベースより)amazon
敗戦から12年目に遺族が手にした6通の遺書。ソ連軍に捕われ、極寒と飢餓と重労働のシベリア抑留中に死んだ男のその遺書は、彼を欽慕する仲間達の驚くべき方法により厳しいソ連監視網をかい潜ったものだった。悪名高き強制収容所に屈しなかった男達のしたたかな知性と人間性を発掘して大宅賞受賞の感動の傑作。
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昭和31年、経済白書は「もはや戦後ではない」と明記したが、シベリア抑留者たちの戦後は終わっていない。
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第11回講談社ノンフィクション賞、第21回大宅壮一ノンフィクション賞、ダブル受賞。
終戦時にソ連の捕虜になった人たちの話。中心人物・山本幡男(はたお)は、周りのみんなに帰国の希望を抱かせる行動・発言をし、句会をするなどその知的で純粋な性格から、一目置かれる存在だ。
しかし喉頭ガンにかかり死亡。残された者たちは彼の遺書を日本に何としても持ち帰るべく、衣服に縫い付けたり暗記したりする。文書の類いは、収容所ではすぐ没収されるためだ。
もちろん本書も、文献が残っているわけではなく、体験談を編集して書かれたもの。どんな気持ちで捕虜生活を送っていたかが分かる、臨場感あふれる小説。