投稿元:
レビューを見る
■説明
12編のエッセイ集。
====
(欧羅巴にいる間は)人々はどの時間も自分自身のために生きるものだと思っていた。日本の人は
他人のために学校に入り、就職し、結婚し、趣味を選び、着物を選ぶ。「お宅様のご主人は何をあそばして?」「東大の講師をしております。」略・・・・・・。(道徳の栄えより)
====
現代は「贋ものの贅沢」の時代らしい。
略・・
隣の席の人にわかるように自分の身分や贅沢生活いついてしゃべること、それらのいろいろの中に彼女たちの貧寒な貧乏性があらわれているからである。(ほんものの贅沢より)
====
■感想
森茉莉の本をやっと読み終えた。 彼女は自分のこのタイプの本を「なめくじ小説」と呼んでいるが、長いものは本当に読みにくい。話がだらだらとつながりながら過ぎていく。
しかし、短い論点がさだまっているものは私は好きだ。
投稿元:
レビューを見る
森永ルックチョコレート(アラモード、とくにベリー系)のよう。いっこいっこがくせのある味でちーーーーっとも従順じゃないくせ、ほかのチョコにはない味なもんだから忘れたころに手がのびる。だけどいっこ食べると偏屈な味にもうおなかいっぱい、しばらく食べたくなくなる。でもまた数週間経つと……みたいな、やや中毒めいてくる、のだ。←文体うつるし(笑)
投稿元:
レビューを見る
森茉莉の視神経には驚かされる。色彩感覚とその情報量!「豊かさ」の境地を知る人です。シーツを絞る姿を見たかった!
投稿元:
レビューを見る
幼い頃から美しいものをあてがわれて蝶よ花よと育てられ絶対的な自信と美意識が誕生しました。妥協なんてしません。お友達になれるかどうかは別にしてちょっと憧れてしまいます。
投稿元:
レビューを見る
森茉里のイメージってこの本に尽きる。小説もちゃんと読んでみるべきかな。なんというか。この本に対する感想とかは無いんですが、この文体に触れてる時間が好き「そうして小声で、モツァルトのオペラの一節を、歌うのである」
投稿元:
レビューを見る
ありきたりの言葉で表現すれば,貧乏だけど心は錦,お金は無くても大好きなものに囲まれてする生活の「贅沢」さ。イングランド製チョコレエトを一粒囓り,フィリップ・モオリスとヴェルモットを少しだけ気分で嗜む,それが幸せ。
投稿元:
レビューを見る
いまでもやや思っていますが、森茉莉のように生きたい、と高校生のときに本気で思っていました。文豪森鴎外の娘として育ち、早くに夫に先立たれた森茉莉は、残り人生を貧しくても自分の美学に屈しない生き方でのらりくらりと生き抜けた。黒い愛猫、美しいものが散りばめられた狭いアパートぐらしでも、己を満足させられることが一番で、60歳で経堂のアパートで亡くなった。美しいもの、愛すべきものを妥協しない生き方が本当に理想です。「贅沢貧乏」をながめすがめつ人生を夢想した少女時代の私の大切な本です。
投稿元:
レビューを見る
日々の生活に埋もれている美しいことの数々に驚かされます。
独自の美意識、プライドの高さと謙虚さの絶妙なバランスに惹きこまれました。
投稿元:
レビューを見る
森茉莉さんにお会いしてみたかった。私もこんなおばあちゃんになりたいような、そうでもないような。堂々と贅沢貧乏と言えるあなたは素敵だ。
投稿元:
レビューを見る
貧乏なのに贅沢とは?
幸田露伴の娘といえば、幸田文。
阿川弘之の娘といえば、阿川佐和子。
森鴎外の娘といえば、森茉莉。
森茉莉といえば、永遠の乙女のアイドル。
お金は天下のまわりものといいます。
贅沢に暮すとはお金があるとかないとか、
そういうことではありません。
では、どういうこと?
答えは本のなかにあります。
投稿元:
レビューを見る
想いは熱く冷静に、あっちへ飛び、こっちへ飛び、句点はくまなく打たれ、笑えるほどのこだわりをもって、ちりばめられているので、あった。
ただのファザコン&オリーブ少女かと思ったら、
やるなおぬし。
投稿元:
レビューを見る
マリアに憧れるか否か。答えはイエスです。自身の美的感覚で構築された部屋と生活。醸造された子供時代の記憶と父の存在、尊敬する文壇紳士たち、愉快な女友達・・・。とてもとても憧れるけど、彼女を孤高の存在と言ってしまうと失礼だと思う。マリアはきょときょとした滑稽なお婆さんで、抜け作で、子供時代の豪奢な生活とは真反対の貧乏で、その変化を切り捨てずに自分の一部として常に持ち続け、度々取り出して観察することを厭わない。老いていくこと、生きていく事の哀しい寂しさを燻らせている。自分の感性への自信と社会や自分自身を可笑しみを持って冷静に分析するその絶妙な距離感に、森茉莉の凄さを感じた。マリアに感情移入し、憧れ笑い、しかし森茉莉とマリアのズレにときたま思い出し驚く。前に枯葉の寝床をつまみ食いして挫折したけど、他も是非読みたい。
投稿元:
レビューを見る
ふわふわして見えて意外とシビアな、森茉莉のエッセイ。永遠の乙女のような老女の様子が眼前に浮かんでくる。
投稿元:
レビューを見る
予備知識なしに読み始めたので、小説なのかエッセイなのか不思議な感じがした。三島由紀夫も登場するし、この人はいったいどういう人なの・・と思っていたら、父親は森鴎外。
そう思って読むと、昭和30年代という時代も随所に感じられて、興味がわいてくる。
投稿元:
レビューを見る
この作家の著書には高校の頃から親しんでおり、このエッセイのことも知っていましたが、独特の世界を築き上げた彼女の小説の、現実離れした硬質デカダンなイメージを、作者の現実を知ることで壊したくなかったため、読まないままに今まできました。
主人公である自分を客観的視線から善も悪もなく描いており、かなり小説的コーティングがされていると感じつつも、その質素な生活ぶりは凄味を感じるほどに徹底しているため、現実ベースに描いているということがじかに伝わってきます。
年に1冊小説を書き、その原稿料でつましく生きているという、昭和30年代の著者。
森鷗外の娘であり、かなりの耽溺文学の著者であるため、お金持ちの道楽趣味として、てなぐさみに物語を書いているかと思っていましたが、実際には生活のためにイヤイヤ小説を執筆していると知って驚きました。
どんなに困窮していても、生まれついての裕福な生活スタイルを崩しきることはできないようで、貧しい中にも惨めさにどっぷりとつかりきらない、良家の子女の凛とした矜持のようなものが、常に彼女の中に存在しています。
1日300円の食費の中で、100円を舶来のチョコレエトに使っているというところが、やはり見事に現実離れしたお嬢様。
想像と妄想のつたが深く絡まった深い森の中のお城で暮らす永遠の姫だなあと思うことしきりです。
夢見がちの少女が、そのままのピュアな心で、ハードボイルドな現実を生き抜いていく方法が記されているような一冊。
彼女のような夢見ながらも腹を据えた生き方は到底無理ですが、ぼんやりと物思いに耽って過ごすところなど、私もそれなりに彼女に近い面があるため、完全に他人ごとに思えないまま、はらはらしながら読みました。
とても貧しい生活様子を書き連ねてありながら、その徹底ぶりと妄想の素晴らしさ、揺るぎない誇りの高さに、哀れさや嫌悪感は抱きません。
他人の目を気にしない強さと妄想力の完璧さが、彼女の生活と小説を作り上げ、まさに『贅沢貧乏』を生み出しているというわけですね。
『桜の園』を追われた『斜陽』族の彼女が、その妄想力を一本刀として、世間の荒波をやりすごしていく様子に、誰も真似のできない非力の強さを見ることができる、独特の牽引力のあるエッセイとなっています。