紙の本
きらめく世界
2010/01/08 15:26
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hachi - この投稿者のレビュー一覧を見る
何年か前、ファッション雑誌か何かでこの本のことを知った。
水晶というタイトルに引かれ、思わず手に取ってしまった1冊である。
ストーリーはほぼ皆無に等しいか、もしくは「だからどうした?」
というようなものである。他人の日記を読んでいるような感覚を覚える。
星5つをつけたことには理由がある。
情景描写である。
情景描写は今まで読んでいた他の作品とは、
比べ物にならないくらい美しかったのだ。
「水晶」は幼い兄と妹が祖父母の家から帰る途中に、
深い雪のために、途中の山に迷い込む、という話である。
ただ二人が雪振る山の中を、歩いて行くだけなのである。
しかしシュティフターの手にかかると、
そんな何の変哲も無い情景が一遍してしまう。
あたり一面真っ白な雪景色は、魔法のようにきらめき出す。
雪が降っている、そしてそこを2人の子供が歩いているだけ、
という世界に吸い込まれそうになるのだ。
またこの二人はさらに山奥に進み、氷の洞窟を見ることになる。
タイトルの「水晶」。まさにそれである。
薄青と、白の静かな世界。
吸い込まれて、ついには意識が遠のくような気分さえ感じる。
雪の情景描写のみ優れているように述べてしまったが、
植物の緑、何も無い岩山の灰色、水の無色など
その他自然物の描写が、お世辞抜きで優れている。
そこで一つ問題があるとすれば、情景描写が巧みすぎて
この時期に「水晶」を読むと、寒々しさを感じるところだろうか。
夏の暑い日に読みたい1冊である。
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一つ一つのお話は、どれも派手さはありません、ですが優しい時間と暖かな愛に溢れています。
”水晶”だなんて、兄と妹との絆に涙が誘われ、”石灰石”ではかれの生き方に涙が誘われます。悲壮だから涙が溢れるのではなく、優しすぎて泣けてきます。
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やさしい感じのお話ばかりで、満たされた感じがします。この人すごい。
お話の中の時間の流れがすごい繊細な感じがしました。
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作者の哲学的強度を感じさせる作品4編を収めた、まるで宝石箱のような短編集。最初の作品『水晶』を、わたしは子供の頃に児童文学全集で読みました。
大自然のふところで生きる村人たち。クリスマスの祝祭のリポートから作品が始まります。ネタバレでいってしまうと、これは二人の子供の遭難と救出の物語なのです。
兄の言葉に従うときの妹の「そうよ、コンラート」という口癖が、作品を読み終えても長く耳について離れません。大人になってもそうだったので、岩波文庫に『水晶』入りのシュティフターの本を見つけたときは嬉しかったです。
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クリスマス前のこの時期には『水晶』を必ず読むことにしている。
冬のアルプスに堪らなく行きたくなる一冊。
シュティフターの作品って何なんだろう。ものすごく味わいがある。
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静謐、つつましやか、といった言葉の似合う作品集だった。
シュティフターの強い意思を感じることが出来る。
個人的に宗教には抵抗感がある方だが、
キリスト教的思想も割と色濃かった気がするが、
抵抗感はほとんど無く読めた。
「水晶」
何とも絵画的に、イメージが思い出される。
青い雪と氷の世界を彷徨う可憐な幼子達。
「みかげ石」
どの作品にも郷土愛と言いますか、自然への深い眼差しが感じられる。
この作品から感じられた自然・土地は、とても魅力的だった。
「石灰石」
これは印象深い牧師さんでした。
彼の青い目は、澄んでいて本当に綺麗だったのだろうと想像する。
「石乳」
城主の人となりと、終わり方が印象的でした。
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「そうよ、コンラート」というセリフとともに思い出される「水晶」。
ヘミングウェイ「老人と海」の「あの子がいてくれたらなあ!」とともに、
口に出しては何か愉快な気持ちになるというか、そんな言葉だ。
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水晶、みかげ石、石灰石、石乳、『石さまざま』の序。前の古い岩波文庫2冊を改版して1冊にしたもの。どんな体裁でもいいから、シュティフター「石さまざま」が私の本棚にある、それだけでひとつの安心なのです。なんででしょう?最近流行の、天然石の癒しのパワー?癒しだなんて、卑しい、嫌らしいことを言わないでください。……そりゃあもちろん、洒落にきまってます。
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自分の中では飛び抜けて面白い小説ではありません。面白い訳でもなく、深く考えさせる訳でもなく、ただ、これほど「ささやかなもの」で心を動かされるとは思いませんでした。
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日本人にはないとされる、心に深く息づく信仰が物語で語られている。特に自然の語り方が目に浮かぶように丁寧で繊細である。シュティフターさんが風景画家だったことが頷ける。
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自然の美しさや雄大さと敬虔な人々の慎ましやかな営みがなんとも美しい。
ありふれた小さなものこそ本当に偉大なものである。なぜならそれらこそが私たちの世界を支えるものであるからだ、という著者の美学が表れており、ゆっくり噛み締めながら読むような小説。
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静かな文体が印象的。いずれもハッピーエンドで終わっており、読後感もすっきりしている。作者の思いは、序に記されているが、それが示すように、静かだが気高い人びとの行動、その偉大さが表れている。
(2016.4)
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手塚富雄+藤村宏訳の岩波文庫だす。
「水晶」「みかげ石」「石灰石」「石乳」の4編に
『石さまざま』の序が”巻末”についている。なぜ後ろに・・・?
この序が当時はなかなかに物議を醸したものらしい。
収録外では「電気石」が面白いと聞いておるが。
ま、それはおいといて。「石灰石」がダントツにツボだったんだな。
円地文子の「黒い紫陽花」のときにも思ったんですが、
短編との邂逅って、本当に手探りです^^;
測量士(←この職業がまたツボ)が訪れた土地の牧師との交流の話。
嵐の夜に牧師館に泊めてもらう。
用意された小部屋から玄関の長椅子で休む牧師に気付き、
それはいけないと抗議すると、寝床を譲ったわけではない、自分はいつもこうやって休むのだ、と。
またこの牧師、清貧を旨としてるのに袖口から覗く下着が上等で、いつも隠そうとしてるんだな。
嵐の夜も、拵えた寝床の敷布の見事さに測量士が目を見張ると、顔を赤らめて恥じるさまを見せたりする。
このリネン類へのフェティッシュな執着が、
昔日の思いと共に後日明らかに。
さらに彼の清貧さには目的があって・・・ってこっちが本筋です。
米百俵だな。
この本筋も用意されたラストだけど泣ける〜
かように一粒で3度おいしい「石灰石」であった。
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19世紀オーストリアの作家・風景画家シュティフター(1805-1868)の短編集。1853年出版の『石さまざま』より。
「水晶」
静かにそして厳然とそこに存する雪山のデモーニッシュな存在感と、圧倒的な自然の力の中で健気に手を取り合う幼い兄妹の"人間的"な姿と、その対照が印象的な短編。自然の非人間的な威力の中で、かの兄妹のように"人間"は進むべき「方向」を喪失してしまう。しかし、そのような情況下にあってなお二人の少年少女が"人間的"に映るのは、兄コンラートが決して失うことのなかった自らの置かれた情況に対する冷静な科学的判断力と妹ザンナを守り導こうとする優しいたくましさ、則ち"男性的"な節制と克己心ゆえだろう。ここに、シュティフターが抱く理想的な"人間"像を、ひいては「"人間"の理想は、当然、"男性"が担うものだ」という無意識の前提としてのジェンダー規範を、読み取ってしまった。このような市民的節制を備えた"人間"という理想型は、トーマス・マンやルカーチなどドイツ教養人の間でかなり広く共有されていた観念であるようだが、その背後には今日的に云うところのジェンダーバイアスが隠れていたということを、本作品を通して認識した。そうした理想型は現代日本に於ける一般通念の中にも生きている。
"「なんでもないよ、ザンナ」と少年は言った。「こわがっちゃいけないよ、ぼくについておいで。どんなことがあっても家へつれてってあげるから。――雪さえやめばなあ!」・・・。兄は、白くて明るくて、たえずちらちらとしている不透明な空間のなかを、妹をみちびいて歩んだ。"
画家でもあったシュティフターの自然描写(雪、岩、氷河・・・)には迫力があり、厳しい雪山の威容がありありと現前する。また冒頭に描かれる山中の村に住む人々の生活、特にクリスマスの描写には、静かで素朴な美しさを感じる。
「石灰石」
小さな存在の小さくとも誠実な善意がほんの一部であれ世界を少しずつ救っていく、それこそが何にもまして偉大であり崇高なことなのだ、というシュティフターの信念がよく表れている。
牧師が父から課せられた修行時代の話が興味深い。そこでは、現実に根を下ろした質実な職人・実業家が、悪の存在を認識したうえでそれに惑わされぬ克己心と節制を備えた者が、理想的な"市民"像として描かれている。
"この世に生きていく以上は、人はこの世を知らなければならない。そこでおこなわれるよいことも悪いことも知らねばならない。しかし、悪いことにはそまらず、それによって自分を強くしていかねばならない。"
一方で、牧師自身は世事に疎い人物であった。しかし、そうした彼の純朴な善意が最終的には社会の中で力を得て現実的な形として実を結んでいく、という結末にシュティフターの優しい理想主義を感じた。
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表題作の「水晶」に激しく心揺さぶられてしまった。
こんな小説は、初めて。
近代小説にありがちな緩急に乏しい冗長な語りなので、前半は何度も話の筋を見失い、あれ?なんの話してるんだっけ?と少し戻って読み直す、ということを繰り返していました。
だけど、突然、ものすごい力によって、がし!と心を掴まれ、その後はすっかり物語に翻弄されてしまいました。とにかく登場人物たち(特に子どもたち)の運命がどこに向かっているのか心配で心配で、私ときたら、まるで彼らの保護者かと言いたくなるくらいに完全に気が動転し、途中、息が苦しくなるほど。終盤で父親が言葉を詰まらせる姿は自分かと思った。
しかも主要人物たちだけじゃなくて、村人AとかBにまで感情移入してました。
いったいどういう仕掛けなのかしら。ビックリです。読み終わってみると、それほど衝撃的な事件が起こったわけでもないし、特別ドラマチックな描き方をしているとかいうわけでもないのですが。
あんまり驚いたので、何が他の小説と違うんだろうとつくづく考え込んでしまった。
きっと、序文で作者が言っている「偉大なものと小さなものとについてのわたしの見解」が見事な形で語られていたからでしょうかね。
淡々として抑制された文章でいながら、眼前に風景が広がるような絵画的な描写。その端々に、大いなるものの力に見守られつつ日々を懸命に生きている人々への、作者の深い愛と敬意を感じます。
あとの3編もぜんぶ心にじんわりきて良かったけれど、「水晶」ほどのインパクトはなかったな。
読みながら、自分の故郷がしきりに思い出されました。
私が18になるまで住んでいた小さな小さな町。
子どもの頃は全然好きじゃなかったし、特別に美しいところというわけでもないし、この作品に描かれているヨーロッパの小村とは、周囲を山に囲まれた不便な町ということくらいしか共通点はないです。日本中のあちこちにみられる、ごく普通の過疎の町。
でも、この本を読んでいると、今まで思い出すことすらなかった山歩きの感触とか、常におじいさんやおばあさんたちが身近にいる感じとか、広い空や空気や地面が季節ごと時間ごとに変化しつつ、それでいて全然変わらない様子とか、そういうものが突然思い出されて、何か大切なものを失ったような、なんとも言えない気持ちになりました。
そういうものによって自分が作られた、ということを急にハッと思い出したという感じかなぁ。
あるいは、自分の中にそんなものが今もしっかり残っていることに、突然気付かされて驚いたのかも。
この本には、読んでいる者の中にある自然とのかかわりについて、たとえそれが残滓みたいなものだとしても、呼び起こす力があるように思います。著者の自然に対する愛が物語中にあふれているからだと思いますが。
日本語訳はイマイチだと私は思った。
っていうか、もともと6編あるうちの2編を勝手に削っておきながら、その2編のあらすじを全部オチまでぶちまけている訳者に、けっこう腹が立ちました。
なんという暴挙。
岩波文庫、こういうの多くない?