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この小説の語り手は誰なんだ? 確かフランス文学史上よく議論される問題のひとつだったような… 必至に記憶をたぐり寄せています。 感想は(下)読んだら。
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フローベールによる、不倫小説。王侯貴族のような優雅で可憐な生活を祈って、医者であるシャルル・ボヴァリーと結婚したエンマは、現実の生活の質素な変化のない規則的な生活にいらいらする。何よりも、自身の旦那の無欲っぷりに憤りを感じる。そんな中、本を読み、空想の世界に逃げ、自身と同じ考えを持つ人と話したりと自身を慰めようと努力するが、それは自身の苛立ちをより増大させるだけであった。そんな中、ある男に出会い、彼女は…。という所で前半は終了。
読んでいて、面白い半面つまらなく感じるのは、彼女を描写するために、シャルルを描き、また擬人法など比喩などの表現が多用されている。なので、言ってみればちょっとくどく感じてしまった。もう少し分量を抑えてくれれば、もっと楽しく読めた、かなぁ。。逆に言えばスラスラ読みやすいんだが。
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悲しい女の一生。
満たされなくて、捨てられて
「こんなはずでは」と思い続けて死んだ。
課題図書として読んだけれど後半でぐいぐい
惹きこまれた。
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甘い感傷と夢のような人生にあこがれて医師シャルルの妻となったものの、たちまち現実の結婚生活の単調さ、夫の凡庸さに幻滅を味わわせられたエンマ。満たされぬ感情に身をやかれ、彼女はひたすら夢を追って不倫の恋にしずみこんでゆく。フランス近代小説の祖フローベール(1821-80)が写実主義文学を確立した名作。
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フローベールの肖像画と「ボヴァリー夫人は私だ」というセリフを並べると、なんか可笑しい。
よく完璧な小説家とフローベールは例えられるが、あまりそういう風に昔読まなかった(読めなかった?)ので、なにゆえにそうなのかをいずれ探ってみたい。
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フローベールの名作と呼ばれている作品。バルザック以来のTHE・写実主義。しかし……どうも面白みを感じない。文体を楽しめば良いのか。浅薄な頭にはどうにもこうにも。
人間の「真実」に迫ろうという写実主義文学。とりあえず下巻を読もう。
「あなたは、絶えず悩み通している人間のあることをご存じないのですか。そういう人間には夢と行動がかわるがわるに必要なのです。この上もなく純な情熱と、この上もなくはげしい享楽が必要なのです。そういう人間は、そんな風にして、あらん限りの空想、あらん限りの無分別のなかへ身を投げ込んでしまうのです」(176頁)
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上下巻を通じて、フローベールの階級論がそこここに展開される。エンマとレオン(あるいは彼女とシャルルやロドルフ)のやり取りをとおして、異なる階級間の人間が相まみえた瞬間の、互いのとりうる戦術や、互いに対する認識と誤認の様態を描かれていておもしろい。
後年の『感情教育』については、P・ブルデューによる分析の素材となっているけれど、本書も(それがどの程度フローベールが生きた時代の社会構造を精緻に反映しているかどうかは別として)ひとつの社会認識論、間主観性の世界の認識論としての性質を有していると思う。
ただ下巻終盤の破局のできごとの数々の記述は、物語のスレッドが時間や場所や人物、現実と幻想のあいだを目まぐるしく遷移しながら進んでいくので、ちょっと散漫な感じを受けてたのしめなかった。
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破滅に突き進むエンマ本人も悪いけど、妻の暴走を見て見ぬ振りのシャルルも問題あり。
どちらも自業自得ですが、残された娘が哀れ。
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初読。
登場人物べったりのぬるい感情小説(「感情教育」みたいな)かと思ったら、ぴしりとした情景描写も潔い近代的な小説だった。
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後半エンマが追い詰められるあたりから盛り上がりを見せたが、
そこに辿り着くまで読むのに苦労した。
おそらくは翻訳のせいではないか。
別の訳で読んでみたい。
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主人公はボヴァリー夫人ことエンマ。「エマ」といふ表記が普通かも知れませんが、岩波文庫版の伊吹武彦訳に敬意を評し、エンマとします。「閻魔」にも通づる良い名ではありませんか。
エンマは農村の出身で夢見がちな女性。医師のシャルル・ボヴァリーの再婚相手として選ばれ結婚しますが、忽ち後悔いたします。シャルルは真面目ですが特段の才能を持つでもなく小市民的で、エンマの理想とはかけ離れた男性でした。エンマは都会の華やかな生活にあこがれ、不満を露わにするやうになり、精神にも変調を来します。
エンマを溺愛するシャルルは環境を変へてあげやうと転居します。そこでエンマはレオン君といふ青年と出会ひます。既に娘を出産してゐたエンマですが、レオン君に惹かれ、レオンも彼女を憎からず思ひます。しかしレオンは自らの出世を尊重し、パリへ去つてしまふのでした。
そんな折、夫シャルルは専門外の手術を請負ひ見事に失敗します。この件で改めて夫に幻滅するエンマ。そんな彼女に接近するのがロドルフなる男性。夫への失望の反動か、エンマは彼との不倫にどつぷり浸かります。しかしロドルフは単にエンマを遊び相手としか認識してをらず、別れの手紙を残して去るのでした。
絶望したエンマの前に偶然現れたのがレオン君。今度は本格的に不倫相手としてお付き合ひしますが、彼の為に出費が嵩み、忽ち金欠に陥るエンマ。困窮に迫られる夫妻。もう悲劇的な結末が予想できるではありませんか......
理想と現実とのギャップに悩まない人はゐるのかどうか知らぬけれど、大概はその中間で妥協点を見つけ、そこそこの生活をしてゐるのではないでせうか。エンマのやうにそれが出来ぬ人物には悲劇が待つ。
しかしわたくしが共感するのは夫のシャルルの方であります。凡庸で才能がなく気の利いた会話も出来ず、ただ仕事を坦々とこなす。しかし妻への信頼と愛情は欠かさない。まるでわたくしのやうな男であります。「シャルル・ボヴァリーはわたしだ」と言ひたい気分なのです。無論わたくしの妻は不倫などしない(と思ふ)が。
とまれ、フローベールが時間と手間をかけた力作だけに、細部にも手抜きがありません。長篇ながら贅肉のない、引き締つた文章と存じます。読み易い新訳も出てゐますので、若い人にも読んでいただきたい古典と存じます。俺も若いが。
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普通の医者が旦那のボヴァリー夫人は刺激のない毎日に不満→ちょっとワイルドなロドルフと不倫→こっそり旦那の財産を質入れして贅沢→借金苦に陥るも打ち明けられず→ロドルフにお金の工面を頼むも断られる→絶望して服毒自殺というお話。毒を飲んでから絶命するまでの描写が圧巻。
恋に憧れるボヴァリー夫人の盲目とダメ人間としての転落、何も悪くないが何も理解していない夫シャルルの凡人ぶり、不倫相手が自殺したけど普通に生活できるロドルフの楽観性など「人間ってそんなもんだよねー」と納得。あいつ今頃パフェとか食べてるよと通じるところあり。
一番悶えたのは夫人の死後ばったり不倫相手に出会したシャルルの「あなたをうらみません、これは運命の罪です」という痛いセリフ。
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フランス写実主義の代表作。
普通の作家なら書き落してしまうような微細な事物まで偏執的なまでに事細かく書かれている。
読んでいると4kハイヴィジョンで映像が目に浮かぶ。
そこが、軽い文体の小説に慣れている現代人からすると、退屈さを感じさせることもあり、逆にぐっと作品世界の中に引き込まれて、「文学作品を読む歓び」を味合わせてくれることもある。
俗物根性にまみれた底の浅いプチブル登場人物オノー(フリーメイソン作家を誉めそやし、聖職者に異様な敵意を抱いているところからして、この人物には、フリーメイソンという隠し設定があるのだろう)が、功名心だけで、最後に「名声」(らしきもの?)を獲得してしまうのも、浮世の馬鹿馬鹿しさをみごとに表現している。
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第三者視点で描かれているのと、冒頭はフォーカスする登場人物が変わることもありやや読みづらく、内容も鬱々としていたけれど、後半から一周回って登場人物のクセの強さが面白くなってくる不思議な話
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ナボコフの文学講義を片手に、読み進めてみた。解説つきで読める幸せ。それぞれの人物の描写を味わう。またモチーフの意味を考えたり、対比的に書かれている場面を味わった。