サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

e-hon連携キャンペーン ~5/31

hontoレビュー

ほしい本の一覧を見る

妊娠カレンダー みんなのレビュー

文庫 104(1990下半期)芥川賞 受賞作品

予約購入について
  • 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
  • ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
  • ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
  • 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。

みんなのレビュー316件

みんなの評価3.6

評価内訳

307 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

檸檬とグレープフルーツ

2011/04/09 08:50

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 第104回芥川賞受賞作(1990年)。今や芥川賞の選考委員をつとめる小川洋子さんは本作で芥川賞を受賞した。
 少し精神的に不安のある姉の妊娠の様子を冷静にみつめる妹の日記形式で書かれた物語である。 
 姉の病気は「海に浮かんだ海藻のように波打って」「決して穏やかな砂地に舞い降りることはない」。新しい生命を宿すことで姉の精神はどんどん波打っていく。やがて妹はそんな姉に憎悪を抱くようになり、発癌性物質に汚染されているかもしれないグレープフルーツのジャムを姉に食べさせつづける。
 最後の「わたしは、破壊された姉の赤ん坊に会うために、新生児室に向かって歩き出した」という文章は恐い。

 この物語を読みながら梶井基次郎の『檸檬』という作品を思い出した。
 丸善の本屋の店頭で画集の上にそっと小さいレモンを置いた主人公。彼はそれを時限爆弾の見立て、爆破することを思い浮かべる。生きることの不安が一個のレモンに凝縮されて鮮やかな短篇である。
 しかし、実際にはレモンは爆破することはない。主人公の幻視である。それと同じ構造がこの『妊娠カレンダー』にも仕掛けられている。
 姉の赤ん坊はけっして破壊されない。それは妹の幻視にすぎない。その幻視を通じて、現代人の不安が静かに描かれている。
 梶井のレモンがそこだけ色を帯びているように、小川のグレープフルーツもまたそこだけ熱をもち、色あざやかだ。
 抑制された美しい文体がその後の小川の活躍を予感させる。

 ◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

掴みきれないけれど、掴まれてしまう。

2011/07/25 17:40

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:きゃべつちょうちょ - この投稿者のレビュー一覧を見る

中篇集といったらいいのだろうか、みっつの話がおさめられている。
表題作(芥川賞受賞作)もおもしろいが、
「ドミトリィ」と「夕暮れの給食室と雨のプール」も
味わいの深い二篇である。
わたしは同時収録の「夕暮れの~」が読みたくてこの本を購入した。
タイトルも読みたい気持ちを掻きたてるが、
この作品が小川洋子の作品としてはいちばん最初に
「ニューヨーカー」誌に掲載されたという事実が
わたしのミーハー魂に火をつけたのだ。(のちに「妊娠カレンダー」も掲載)

「夕暮れの給食室と雨のプール」というタイトルだけですでに詩になっている。
この一行から、小学校のときの給食のメニューだとか匂いだとか、プールの授業とか、
色々なことが喚起されて、ひいては小学校の思い出という大きなノスタルジーを感じる。
給食とプールという言葉は、それだけ小学校を思い出させる、特別な言葉なのだ。
(中学校にもあったけれど)
結婚してまもなく、ジュジュという犬と引っ越してきた主人公の家に
奇妙な訪問者があらわれる。雨の降る日だった。
三歳くらいの男の子と、その父親らしき三十代くらいの男性。
ふたりはどうやら布教を目的としてこのあたりを歩いているようだった。
『あなたは、難儀に苦しんでいらっしゃいませんか』
という彼らの問いかけに、主人公はしばし考え、答える。
それはとても難しい問題なのだ、答えなければならないだろうか、と。
まるで禅問答である。
答えを受けて、あっさりと彼らは退散していったのだが、
数日後に、主人公は犬の散歩の途中、土手の下の小学校で彼らに出会う。
子どもがどうしても興味をひかれ、給食室を窓から見ているのだという。
男性は給食室にまつわる回想を、主人公に話し始める。
この男性の話す給食室がとてもリアリティがあって、
わたしも実際に給食を食べていたことのことを思い出した。
大量の海老フライやクリームシチューをつくる給食のおばさんたち。
給食当番の白衣。かちかちと鳴る食器の音。牛乳。パン。
そんなものが頭のなかに浮かび上がってくるのだ。
状況を説明すると長くなるが、内容はというと、とりとめがない。
むしろ説明しきれない。小説というのはそういうものかもしれない。
小川洋子自身が、ひとは、ひとことで説明しきれないからこそ、
何枚も何枚も小説を書いてしまうと言っているとおりである。

「ドミトリィ」はさらに奇妙な話である。
昔利用していた学生寮を、いとこに紹介することになった主人公。
しかしそこは寂れていて、間もなく廃寮になりそうなところだった。
寮の管理人は体に障害を持つが、雑務を器用にこなす。
とくに問題はなさそうに見えたが、管理人の体は蝕まれていった。
主人公は毎日のように管理人を見舞いに出かけるのに、
入寮しているはずのいとこにまったく会うことができない。
ある日、管理人は、いとこが入寮する以前にいた寮生が
じつは行方不明になったこと告白する・・・・・・。
不穏な雰囲気に包まれるが、ホラーではなく、ましてミステリーでもない。
謎は謎のまま、話は淡々と進んでいく。

お話としていちばんわかりやすいのは、「妊娠カレンダー」かもしれない。
あとの二篇は、なんだか物語の輪郭をつかめずに読み終わってしまうので、
二度、三度と読み返してしまう。
掴みきれない綿菓子のような、ふわふわした感覚が残る。
でも心にはなにかがしっかりと刻まれているのだ。それが不思議だ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

日常を言葉で煌めかせる

2018/12/30 14:31

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:おん - この投稿者のレビュー一覧を見る

あまりにも美しい言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。
純文学作品とあって、純文学らしく大きな事件が起こるわけではない。不思議な謎もない。
でも、日常のちょっとした出来事が美しい言葉で彩られたらその瞬間から物語になる。
それは、鍋で煮込むジャムだったり、古びた宿舎で食べるケーキだったり、犬の散歩だったりと本当に些細な事であるが、読み終えたときにはそんな日常の美しさが眩しい。

言葉が導くイメージの可能性にハッとする作品。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

小川洋子という謎

2011/09/24 13:29

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ががんぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 芥川賞受賞作「妊娠カレンダー」と、ほかの二編「ドミトリイ」「夕暮れの給食室と雨のプール」からなる初期短編集である。
 いや、びっくりした。
 小川洋子といえば、映画にもなって話題を呼んだ読売文学賞受賞作『博士の愛した数式』の作者であり、芥川賞選考委員も勤めて、今の日本ではメジャーな作家の一人だろう。それなのにまるで何も読んだことがなかった。たしか芥川賞受賞の時に名前を知ったのだから、もう20年も放っておいたことになる。「妊娠カレンダー」にも興味を持ったのに、題のせいもあってか何となく近づきがたかったかもしれない。それがちょっとしたきっかけがあって、ようやくその「妊娠カレンダー」を含むこの短編賞を読んでみた。そしてびっくりしたのだった。こういう才能がある人だったのか。
 単に才能があると驚いたのではない。その才能のタイプ、資質ということになろうか。表題作以外の二編もとても魅力的で、これらの三編にこの作家のすべてが含まれているという気がした。この作家がわかったと思わせるものがそこにはあった。魅力から言ってもなかなかこれだけのセットはないと思うが、たまたまというわけではあるまい。ごく初期の三編でもあり、作家自身が魅力的なのだ。
 まずもって文章の隅々まで繊細な意識が通っているのに感心した。それを、たとえば『作家の値打ち』の福田和也は、作者の「企み」とか「悪意」とか呼ぶ。といって普通の意味の悪意とは違う、要するに読者を振り回す仕掛けがあるということなのだろうが、そこにはある種の必然、作家の内面から来る要請のようなものがあるのを感じる。
 描かれているのは微妙な不思議な世界だ。それはおそらく現実の素材の枠内にあるのだが、それでいて手の込んだ仕掛けの数々によって奇妙に現実離れしていて、はたしてリアルな物語なのかそうでないのかの境界線の近くを漂うかのようである。その極端な例が、ミステリーか、はたまたホラーかすらと思える「ドミトリイ」だろう。このサスペンス性はすごい。
 そしてそれには理由がある。どの作品でも作者は、一見秩序立った日常に潜む裂け目を紡ぎだそうとしているように見えるのである。その意味では実存的なテーマといえるかもしれない。支えとなっているはずの日常に、ふと垣間見える不安、寄る辺なさ、孤独。「妊娠カレンダー」では、語り手の姉の妊娠が、姉自身だけでなく語り手にとっても、そうしたものとの対峙を強いることになる。
 その姉の精神のしょうがいや、次の「ドミトリイ」における「先生」の身体的しょうがいは、それを暗示するモチーフといえるだろうか。いや、そこまでではなくても、たとえば「夕暮れの給食室と雨のプール」に登場する男が回想する「給食を食べられない」状態など、精神的肉体的苦痛がそれを表現してもいるだろう。そうした場では、必然のようにして、生きることの傷みのようなものが、そこはかとない哀れみと共感とをもって提示されて魅力的である。
 一方その対極にあるのが、ここでは「ドミトリイ」に登場するが、秩序があるゆえに「美しい」数学の世界である。おそらく作家個人も数学が好きなのだろうが、それは『博士の愛した数式』でも重要なモチーフのようだし、そこにおける人物のしょうがいにしても、この短編におけるのと同じ意味を持つに違いない(未読なので違ったらすみません)。おそらくそれらはこの作家の本質的なものに関わっている。
 なお「ドミトリイ」については、振り回されることへの不満や、あるいは不全感を覚える読者があるかもしれない。しかしこれをやはり先に述べた「裂け目」の物語と捉えるなら、それはそれで一個の必然ではないかと私自身は考えている。
 やり残した宿題をするような感覚でこの本を読み出したのだが、これだけ感心するとほかも読みたくなる。ここで作家の核心のようなものとして強く感じたことを確かめるためにも、ほかの作品も読もうと思う。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

芥川賞受賞の透き通った悪夢のようなあざやかな小川ワールド全開の小説です!

2016/09/02 09:10

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は、芥川賞受賞作です。内容は、出産を控えた姉に毒薬の染まったジャムを食べさせる妹の存在など、妊娠をきっかけとした心理と生理のゆらぎを描いたものです。本書には、その他、謎に包まれた寂しい学生寮の物語である「ドミトリイ」と、小学校の給食室に魅せられた男の告白を綴った「夕暮れの給食室と雨のプール」の二編が収録されています。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

2004/12/09 23:41

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2005/01/08 19:56

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2005/06/10 00:55

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2005/08/09 22:21

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2005/11/11 10:53

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2005/11/28 12:44

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2005/12/03 14:57

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2006/01/09 14:37

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2006/02/05 12:09

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2006/02/08 18:19

投稿元:ブクログ

レビューを見る

307 件中 1 件~ 15 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。