紙の本
論争を呼んだ書
2023/04/08 18:50
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
梅原猛氏ヮ本書の出版を受けて、
著者を批判しています。
またウェブ上で確認したところでヮ、
現役の真言宗の僧侶の方からの批判も
あるようです。
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
あえてこの作品をジャンル分けをするなら小説ではなく評伝である。現代の凡人である私から見れば、空海の作り上げた壮大な世界観は、今流行りのラノベファンタジーものの究極版である なんていう不遜な感想を抱いてしまった。
紙の本
ヤな奴だねえ、空海って奴は!
2004/04/28 20:55
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投稿者:くれい爺 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「空海の風景」
司馬 遼太郎
“天才”という言葉で真っ先に思い浮かべるのは、私の場合モーツアルト
かな。
しかし私たちは“天才”という言葉をよく使うのだが、そう呼ばれる人物
がなぜ天才なのかということを理解していることは少ないのではないだろ
うか。
私にしてもモーツアルトが“天才”だと思ってはいても、なぜ彼が天才な
のかはよく分かっていないのである。
美しいメロディを紡いだから。
それもあろう。
しかし、美しいメロディならモーツアルトの交響曲でなく、歌の「ジュピ
ター」だって十分美しいと思う。
音楽的にモーツアルトの天才を理解するには、私の音楽的な素養はほとん
どないに等しい。
「アマデウス」はモーツアルトと同時代に、同じ音楽の道を歩みながら、
モーツアルトの天才の理由が分かってしまう人間の苦悩を描いていたもの
であった。
あるいは画家のダ・ビンチを“天才である”というときも、なぜ彼が天才
なのかを理解するには、私は絵画的素養にも欠けている。
たぶん大多数の人が私と同じではないだろうか。
“天才”という言葉はよく使うが、その人物がなぜ“天才”という言葉に
値するかを理解できる人は少ないのではないだろうか。
この作品で司馬遼太郎は空海を“天才”と位置付けているのだが、著者自
身もそれを理解しているとは言っていない。
空海という人物とその人生の風景を描くことによって、それを浮かび上が
らせようとしているようだ。
ただ空海の思考を論理的、合理的だとしているが、それを解き明かすには
膨大な真言密教の理論を解き明かさなければならず、それは著者の目的で
はない。
それゆえに論理的、合理的という空海の思考も観念的にしか理解できない。
それにしても空海っていうのはヤな奴だねえ。
こういう奴は、同行したくないタイプだな。
著者の意図してか、せずかはわからないが、作品からはそういう印象が伝
わってくるね。
最澄は天台の思想を伝えるだけは伝えたが、その理論をまとめあげられな
かった能無しだが(ゆえに天台は後にそれを肯定しようと否定しようと、
そこから新しい仏教が多く生まれたし、あるいは現代の法華経の隆盛があ
るのかもしれない)、人間としては“いい人”だ、と読めたけど。
今年は空海の入唐1200年ということで、そういう空海の評価を見直す
意見も出てきているようだが。
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上下二巻二冊。空海という、史上稀にみる天才がいかにして成立しえたのか。天才肌の研究者の中には神業の如く緻密な史料の分析により、時としてあたかもその時代が肉眼で見えているかのように語る人があるが、司馬遼太郎は将にそうした中の一人であろう。そこにいるのは高潔な聖(ひじり)空海というよりも、人間空海である。まるで彼の呼気が伝わってくるかのように、鮮やかに空海の歩いた道を描き出す力作。
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空海は、あらゆる分野で活躍した巨人である。その全体像を描くことは、並大抵の力で出来るものではない。それを司馬遼太郎が手をつけた。時代の風景も浮きあがらせている。
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1000年以上前に生きた空海が、近所にいるような行生きいきと躍動している。嵯峨天皇も教科書で読む100倍の親近感で迫ってくる。小説で出てくる、文献が非常に興味深く第一級資料を図書館で手に取るきっかけにもなりますよ。
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真言宗の開祖、弘法大師空海
西暦800年頃のお話
その時代の中国や日本の情景が頭に浮かぶ
おもしろいです
南無大師遍照金剛
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須藤元気に影響され読んだ一冊。
空海の天才、偉人、合理的考え、芯があり他から影響されない人柄が
読み取れる。
今の自分には難しい内容だが、情景がまじまじと浮かびあがってくるので
司馬さんはすごい。
6月23日 読破時間:6時間以上。
続けて、下巻に突入!
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空海ったら…
めちゃくちゃ最澄を敵視してたんですね。
天才で、策士で、肉体頑丈で、…
なんでも持ってる空海が敵視する『最澄』にものすごく興味が湧きました。
『純粋な人』ってことなんですが。。。
司馬さん、最澄の本書いてないのかなぁ〜
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司馬遼太郎さんの著書の中ではこの本が一番好きです。頁から著者の声が聴こえてくる気がします。空海の(というか著者の?)持つ価値観・世界観は現代の私たちこそ持たなければいけないもののように思います。繰り返し読むたびに感銘を受けます。
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最澄と空海
どちらも、日本仏教における、最大規模の偉人である。
ここでは空海のその半生に絞り、作者独自の視点で、その貴族出自の宗教家の足跡を追う。
日本に於いていち早く密教を大陸から持ち帰り、その教義を必要とした時の権力者たちとの
蜜月時代までを描く。
時代の求めた密教の本質を見抜く空海のその異質ともいえる視点を
その出自にまで仔細にわかりやすく読みくどく著者も又空海並の慧眼の持ち主だといえるのかもしれない。
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小説というよりも研究論文のような読み物です。読みすすんで空海の生きた時代背景、境遇などの外堀が埋まっていくうちに空海自身はホントどういう人だったのか実物を見たい!タイムマシーンがあれば!ドラえもーん!!と叫びたくなります。それもそのはず、あとがきで司馬さんはこう記されていました。「その人物を見たこともないはるかな後世の人間が、あたかも見たようにして書くなどはできそうにもないし、結局は、空海が生存した時代の事情、その身辺、その思想などといったものに外光を当ててその起伏を浮かび上がらせ、筆者自身のための風景にしてゆくにつれあるいは空海という実体に偶会できはしないかと期待した。」つまりは筆者自身が空海にめぐりあいたいと誰よりも切に願いそう期待しつつ研究した経過を書き記したものなので、読者にもそういう著者の思いが読んでるうちに伝わり空海に会いたくなるのだと思います。こういう読み物を読むのは正直しんどいですけど、とことんまで研究し尽くそうといういう姿勢、好きだからはからずもとことんなんだと思いますが、そういう著者の濃い読み物は自分の中に貯まっていくものだと思います。
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文学の中に
なかなか登場することのない香川県だが、
司馬遼太郎の『空海の風景』(中公文庫)に
少しばかり讃岐の風景に関する記述がある。
その一つが、
「讃岐の真野(まんの)の地で荒れていた古池を築きなおした」満濃池。
「ほとんど湖ともいうべき当時の日本で最大の池」が
「いまも野をうるおしている」ことは、
「空海の風景」が書かれてから数十年たった今でも、間違いないし
これから先も、きっと変わらないだろう。
この時、
「空海の故地」へいく道を、
たとえば高松を出て予讃線ぞいの国道を西へ行き
国分寺を経て
府中から国道を離れ、左に折れて県道をとっている。
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空海という人物が宗教家というよりも思想家、変革者としての一面を強く持っているのをこの本を読むとよく分かる。また、弘法大師伝説にも見え隠れする事業家としての側面など、興味深い人物であるのを改めて感じた。
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上巻では、真言密教を作り上げた空海が留学生として唐へ渡り、師匠となる恵果に会うまでを書いている。
空海の幼少のころからの天才性としたたかさというか、人間臭さが描かれている。
現在でも、「弘法大師」「お大師さん」と言った名前で日本中で親しまれている空海のしたたかさ、人間臭さと言うとちょっと意外な感じがするが、作者の描く空海は驚くほど、人間世界に通じている。
マーケティングの参考になるかも。