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映画『イノセンス』の冒頭にこの物語の一節がおかれています。当代の天才エジソンが昔世話になった英貴族のために人工の女性を作り上げる。それは単なる人形ではなく自ら動き、自ら喋る、人間の女性となんら変わることのない、そしてその女性の中でも比類のない美しさをその身に体現しているのである。物語は貴族が自分の現在の不幸を語るところからエジソンがその不幸を癒すために彼が製作する人形と共にあることを提案しそしてその人形がいかに精巧で生身の人間に劣らない素晴らしいものであるかを説明していく。そしていよいよ完成し、貴族はその人形と共にイギリスに渡るというところで……
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旧かなづかい・旧漢字なので読み難いですが、それでも読む価値はあります。
19世紀末に書かれたおそらく世界初のSF小説。
エジソンとエワルド卿のエゴに何も疑問を抱かないハダリーにはきっと「人権」という概念がないのでしょう。そこが哀れだった。
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現代の創世記とでも言うべきテーマだが、要するに男ってバカよねって感じ。「Villiers de L' Isle-『Adam』」が『イヴ』の物語を書いたという符号が面白い。
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「亡ぼす以外に能のない、あの裏切者の「理性」が、ひそひそ聲でもうあなたに囁きかけてゐる口實を楯に、わたくしを追ひ拂はないで。」
齋藤磯雄の名訳。旧仮名遣い。翻訳者には原作の文体を忠実に訳すひとと、いったん完全に解体して日本語としての美しさを偏執的なまでに練り上げていくひとがいますが、齋藤磯雄はあきらかに後者です。美しい。
人間の認識対象のひとつである「他者」はただ「人間らしいもの」として目に映るだけで、本当にその他者に心があり生きているのかどうかを知るすべは基本的にありません。
ただ身体が知覚できるだけのオブジェクトとしての「他者」に対して、なぜそれが自分と同じく「自我」をもっていると感じるのか、というのは近代哲学の抱える最大のアポリアのうちのひとつです。
人形、あるいはロボット、という「知覚的には人間と同じ形骸」をした「モノ」に、人間と同じ生命を感じ、そのうえに魂を感じ、さらにはその魂を、生きた人間のものよりも崇高に感じて愛する主人公エワルドの苦悩は、生き物でありながらイデアをいだく人間という生命形態の昔っからの欠陥をもっとも悩ましい形で抽出したと言うことができましょう。僕たちは知覚し、感覚し、認識し、生存し、そうして世界を愛したり扱ったりするわけですが、イデア――ハダリーを見、感知し、悟り、愛するとき、それは果たして生命として善なることなのか、考えざるを得ません。
しかし実際のところ、ほんとうに物質に「魂」がないのかどうか、それはユング的錬金術が精製する「賢者の石」がうみだす黄金のようなものなのか、考えてみるとおもしろいですね。アニミズム的に物質に精神を見るのは別に日本人や子供に限ったことではないと思いますが、それは僕たちの獲得した「心の理論」の過剰適用なのか、それとも正当な「感覚」なのか? ドラえもんを前にして問いかけてみましょう。「ロボットのきみと人間のジャイアンが生命の危機に晒されていたら、僕はどっちを助けるべきなんだろう?」
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読み辛い漢字、長ったらしい薀蓄、鼻に突く女性観・・・を差し引いても、素晴らしい一冊だと言えてしまう。そんな本、あまりない。
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旧字体の訳が耽美な雰囲気を高めています。
若干の読みにくさはありますが、人形好き、アンドロイド好きにはたまらない一冊のはず。
ハダリーについての過剰なまでの解説に、リラダンのこだわりを通り越した妄執のようなものを感じます。
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映画「イノセンス」の原題にもなった本。正漢字・歴史的仮名遣いが若干読みづらいですが、それがまた世界を深めています。
本当の文学を求める人へ薦めたい本です。
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文体が読み辛れーー。でもそれがこの本の、独特な雰囲気をかもしだしてヨロシです。話的には普通に面白いってかんじかなぁ。押井ファンは読むべし。
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成程確かに美しい文体が伝わる名訳だと思う。
しかし、とにかく理解するのが難しい。
エジソンの独り言及びハダリーについての説明の部分だけならまだしも、リラダンは人造人間の仕組みそのものの説明に100は優に超えるページを割いている。
訳本は原文のニュアンスを伝えるのが難しい。
更に、この『未來のイヴ』は正漢字で書かれている。
だがそれだけではない。自分の理解力の限界があり、私のそれでは、漠然とした感覚で捉えるのが精々である。
理想の女を追い求めるエワルド卿の台詞には、男の自分勝手さが垣間見え腹立たしいものがあるが、文体は美しく、しかし、あのオチが待っている。
リラダンはもしかすると、どこかサディスティックな所がある人間だったのではないかと疑ってしまう。
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偏執的とも思えるアンドレードの説明記述が、旧字体の浪漫溢れる文章と相まって幻想的な想像を膨らませてくれる。
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完璧な美貌を体現したはずのアリシヤは、認めがたい醜い人間性を持っている。それゆえ、恋人のエワルドはその魂がなくなってしまえばいいのにと願う。するとそこへ魔法使いエディソンがやってきて、願いを叶えてしんぜようという。そして願いは叶う。エワルドは<本来こうあるべきはずだったアリシヤ>を手に入れる。
*
中盤で読者は、エディソンの長口上に対する疲労感をエワルドと一緒に味わうことになる。なぜなら、それは極めて「実証的」で、どこにも「魂」や人間的なものが見いだせないように思われるからだ。
そもそもエワルドの願いとは、<人間アリシヤ>がその魂を入れ替えてくれたら、人間でありながら奇形的な美しさをもつという類まれなる事態、奇跡を自らの手に入れられるのに、ということである(それが叶わないから死のう、というわけ)。
それに対してエディソンが提案するのは、人間アリシヤの更生(=魂の入れ替え)ではなく、むしろ肉体のほうの交換であり、すなわち人造人間の創造であり、そこに理想通りの魂を入れてしんぜようというものなのだ。
当然エワルドの願いは、人間アリシヤの更生であって、血の通わないアリシヤそっくりの人形を手に入れることではない。そんなのは自分の願いを叶えることにはならないだろう、とエワルドの疑いはなかなか晴れない(恐らく最後の絶望の瞬間まで)。
しかし、エディソンは問題を巧みに入れ替える。あなたがアリシヤに感じとっている美、そしてそこから望んでいる理想的な魂というのは、すべてアリシヤの外見的特徴から再現可能であるのだから、外見的特徴を完全に備えた人形を作れば、あなたはおのずからそこに理想の魂を見出すことができるでしょう、とこういうわけだ。
エディソンの再三にわたる詳細な説明にもエワルドは半信半疑である。よもやそんな完璧なものはできまいと思い、ハダリーになんらかの思いを感じながらも、最後の最後まで、人間に人間を作れるわけがない(=人間アリシヤに代わるものなど作れっこない)と信じている。
そして、この懐疑はエワルドを介してはいるものの、読者自身の懐疑でもある。読者はエワルドと一緒にエディソンの解説に興ざめしながら、やっぱり人造人間なんてできませんでしたとなるんじゃないのかと不信な思いを払しょくできない。
できるというが、できるわけがない。という葛藤。
では、どうすればその不信を払いのけられるのか。
リラダンの与える解答は極めてシンプル。すなわち実際に完璧な人造人間を作りおおせること(=騙しおおせること)によってである。
エワルドの最後の絶望は、いったんは、人間アリシヤはやはり存在しなかった、自分の感じたアリシヤに対する深い愛情を肯定する材料は、すべて幻であったのだという思いから来ている。
だが次の瞬間、エワルドの思いは反転する。エワルドが求めていたのは、むしろ最初から幻だったのであって、人間のアリシヤなどではなかったのではないか。アリシヤという名の元に求めていたのは理想体、肉体と魂の��璧なる調和だったのではないか。
まんまとエディソンにしてやられるというわけだ。
*
ここでリラダンは、ひとつの理想のあり様を描いていると言える。
完璧なものがあれば、それは必ずや理想を現実化できるはずだ、という希望。
それがどのように達成されるかということにはお構いなしだ。もし達成されるなら、そこにあるのは理想通りものもであるという、一つの思考実験を、リラダンはエディソンを通じて行った。
完璧な美というものが完全なる人工的な美と限りなく近づくということ。
言い換えると、人間には完璧な調和などというものは出来ぬ相談で、あり得ないのだということ。
人間における奇跡を求めながら、人間に似せたものでしか奇跡を起こせないのだという矛盾。
リラダンは、このあり得ぬものを、最終的に消去してしまう。ハダリーという完璧な恋人は、まさにその最初の存在通り、幻想の彼方に消える。
魂とは、そもそもの最初から愛する肉体に見出す幻想であり、私たち自身が他者に求める理想的な思想のことだ。
完璧に再現された肉体によって、エディソンは人間ならざるものを、人間と同じか、それ以上の崇高な存在として認めさせることに成功した。魔法使いエディソンの腕前をご覧あれ、といったところ。
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初めて「アンドロイド」という言葉を使ったことで有名な小説です。
なのですが、SFというよりは、「科学万能の時代」背景をガジェットとして使った幻想文学の趣です。
発明王にして魔術師エディソンが、年頃の青年貴族のお悩みに、テレズマを用いて精神を宿し、科学技術の粋を尽くして作り上げた肉体からなるアンドロイドで、解決するというお話。
勿論、モデルはエディソンその人で、マッドサイエンティスト度あっぷ、人間性あっぷでお送り致します。
ただし、俗物に対する思いの演説(愚痴)が長すぎるのがたまにキズっ
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史上初めてのアンドロイドはアナログな造り。指輪がスイッチになっているなど浪漫を感じる。反(〈自然〉主義)。
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理想的なルックスの恋人の内面が醜いことに悩んだ青年貴族が、
彼女そっくりな見た目に理想的な魂を内包する永遠の美女を!
と、発明家に依頼する……。
長いし旧字・旧かな表記だしで、
読みづらく、非常に時間がかかったのを思い出す。
でも、シニカルかつユーモラスで面白かった。
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一気に読んだ。トマス・エディソンの一貫した科学万能主義が面白い、微に入り描写されるハダリーの機械的仕組みは、現実に可能でありそうな錯覚さえ感じる。(もちろん実現不可能なことは私にでさえわかるけども)
絶世の美女に恋し、その精神の低俗さに苦悩し自殺すると言うエワルド卿。時代が時代なら社会から抹殺されかねない女性蔑視だが、この場合はエディソンが人造人間を与える事で、生きる希望をつなぐ。造られたものの精神を疑いつつも。
人造人間がハダリーが完成するまでがメインのストーリーだが、最期までエディソンの話術は冴え、ハダリーへの期待は高まり、飽きない。
ただし、女性にとっては「低俗な美女もハダリーも何の違いがあるか、結局男は外見が美しく、男の思い通りに動く人形が欲しいだけなんだろう」と言う感想に落ち着くような気がします。
男性にとってはある種の希望や夢だったりするのだろうか。