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手話や手話通訳についていろいろと書いている人のサイトを読んでいたら、この『ろうあ者・手話・手話通訳』の本をもう何度も読んでいるとあって、図書館で借りてきて読んでみた。
著者は8歳で失聴した、聞こえない弁護士である。もとは季刊『手話通訳問題研究』(全国手話通訳問題研究会の機関誌)に連載されたもので、「私個人のこと、ろうあ者のこと、手話と手話通訳のこと、文字通りその時々に思いつくまま、好き勝手に書かせてもらった」(p.225)という文章を編んである。
著者は、過去に「点字毎日(http://www.mainichi.co.jp/corporate/tenji.html)」で10年ほど連載した経験から、盲人の問題をずいぶん勉強し、同じように情報障害が問題になる「見えないこと」の問題を知ることによって、「聞こえないこと」の問題をあらためて知ることになると書いている。
「プライバシーの権利」について書いてあるところは、病気になってから自筆で投票するのが難しくなった母がプライバシーの侵害だと怒っていたのを思いだした。自分で書くのは難しいから投票所の係員に代筆してもらう。そのときに、投票所の片隅で、自分が投票したい候補の名を言う。口に出すだけでも「投票の秘密」が守られていないようで嫌なのに、言語障害も出てきていた母の声が聞き取りにくかったのだろう、係員が聞き返して、繰り返し言わなければならなかったのが、ほんとうに嫌だったと。
本人が盲人とわかっていても「墨字」のまま発行される戸籍謄本という例も、そういうプライバシーの問題をはらんでいる。見えない人は、「自分の戸籍の記載内容を確認しようと思えば誰かに読んでもらうことになる」(p.136)。役所に提出する書類は、点字を認めるところがぼちぼち増え始めたというが(あくまでぼちぼち)、役所が発行する書類のほうは、墨字のまま。
盲人が、墨字の書類の内容を確認するには誰かに読んでもらうしかないように、ろうあ者も役所や病院など聞こえる相手を話をするときには手話通訳という第三者が間に立つ。そのことを著者はこう書いている。
▼話の内容のすべてが手話通訳者にわかることになる。そこで、ごく普通の問題については手話通訳を依頼するが、人に知られたくない問題については、手話通訳は頼まないというろうあ者も出てくる。本当は、こういう微妙な問題のときにこそ手話通訳が必要なのだが。(p.137)
とはいえ、不十分ながらも手話通訳は制度化されており、官公庁に手話通訳者がいるところも多いし、守秘義務という考え方も確立しつつある。これに対し、投票の時には確かに文字とみなされている点字だが、他の公的な場ではほとんど無視されているに近く、市民権は未確立だと著者はいう。
▼盲人の点訳や朗読は、私に言わせると読書という面を中心に発達したもので、公文書や権利に関わる私文書の点訳や朗読の制度はまだない。官公庁に専任の点訳者がいるわけでもない。大きなお金がからむ契約のときは、専任の公務員が立ち会い、責任をもって契約書を朗読してくれるといった制度があってもよさそうだが、それもない。点訳ボランティアや朗読ボランティアの守秘義務もいまひとつはっきりしていないように思える。(pp.137-138)
「点訳や朗読は、私に言わせると読書という面を中心に発達した」というところは、ほんまにそうやなーと思う。対面朗読だとか何だとかは役所で用意されているのではなくて、図書館の担当なのだ。そういう発想と同根なのか、図書館では、手話や点字についての本は、「言語」の分類ではなくて、「社会福祉」の分類にされている。○○語入門とか××語会話という本と並んでいるのではなくて、ボランティアがどうのという本の隣にあるのだ。「手話は言語だ」という主張の本さえ社会福祉の棚にあって、この分類も不思議で仕方がない。
著者自身の経験から、口話と手話のことを書いたところは、なるほどなーと思った。何が正しいではなくて、相手や自分にとって必要な方法を使い、ちゃんと通じるかどうか。大事なのはそのこと。
▼口形・手話併用の日本語が入ってきたのは大学に入ってからと覚えている。ここで、私は、高田英一や中西喜久司と出会った。大学ではできないことがそこでできた。哲学論や政治論をそれこそ口角泡を飛ばして語り合った。実存主義がどうの、といった話は、口話では読み取れない。日本手話では語彙が足りない。日本語で、しかし口形と手話を併用して、そして指文字をふんだんに交えながら、語り合ったのである。
私にとって、口話、日本手話、口形・手話併用の日本語は、すべて貴重なコミュニケーション手段である。何が正しいなんて考えたこともない。そして、今、どんな方法によるかは、相手による。当然だろう。(pp.219-220、高田や中西は立命館大学の学生で、著者と3人「京都学派」と称し、喫茶店などで夜遅くまでダベったそうである)
そして、「いわゆる日本手話か、口形・手話併用の日本語(いわゆる日本語対応手話)か、それとも両者の混合か、混合の場合どのていど混合するのか、という問題」(p.221)について、正しい手話なるものはない、スムーズに通じればそれがそのろうあ者にとっての正しい手話だと述べる。
▼もっと言うと、ここの単語表現についての議論ならともかく、ろうあ者が現にコミュニケーションの手段としている言葉の全体について、それが正しいとか正しくないとか言うのは、考え方自体に問題があろう、。
ある集団での言葉は、その集団が自然に決めてゆくことである。その集団にとって何が正しい言葉か、という議論は、議論自体成り立たないし、誰かが決める問題でもない。
日本人にとって共通語(標準語)が正しい日本語で方言は間違った日本語であるとか、あるいは、岩手の人間にとっては岩手弁が正しい日本語で、共通語(標準語)は間違った日本語であるとか言う議論が成り立たないのと同様である。
具体的な表現について、それが日本手話の慣用として正しいか、どうか、という議論ならわかる。(中略)正しいかどうかは、また分かりやすいかどうか、ということなのだ。(pp.222-223)
著者は、流行性脳脊髄膜炎にかかった後遺症で小3のときに失聴し、翌年、大阪市立ろう学校の小学部1年生に編入された。全く聞こえなくなって、元の小学校への復学は認められなかったという。その後、飛び級で進級して、5年の2学期から、隣の区の小学校に委託通学したそうだ(学籍はろ��学校のまま、授業は小学校で受ける)。
▼ろう学校までは歩いて15分ほどだったので、放課後は二つの学校を行ったり来たりして、好きなように遊んでいた。友だちとの自由な会話は、読話では無理。おしゃべりできるのは、やはり、手話が通じるろう学校だったのである。修学旅行は両方行っているし、卒業式も両方に出席している。卒業証書はろう学校からである。(p.8)
自由に会話し、思う存分おしゃべりできるのは、手話が通じるろう学校、というところに、聴覚障害はコミュニケーション障害であり情報障害だと感じる。
大阪市立ろう学校といえば、かつて高橋潔※が校長をつとめた学校。「口話絶対主義で戦前から有名な大阪府立生野ろう学校」(p.16)と違って、"聾唖者の世界には手話というコミュニケーションの方法が立派にある"と、自分の心を存分に語れる手話をまず大切にすべきと説いたのが高橋だった。
この本が出てからもう15年以上が経っている。手話言語条例が複数の自治体でできている一方で、どれだけ社会のしくみが変わっただろうかと思うと、たいして変わってないよなーというのが実感。
同じ著者の『手話美しく 伊東雋祐の歌』を何年か前に読んだし、そういえば、『なんやろな、それ?―手話「不明解語」あれこれ』を買ってたのを思いだした。今回この本を読んで、著者が、私の母と同年生まれと知り、著者が小3のときには、母も小3だったんやなーと思いながら読んだ。
(7/31了)
※父・高橋潔のことを、娘さんが書いた『高橋潔と大阪市立聾唖学校―手話を守り抜いた教育者たち』のほか、高橋をモデルに描かれた山本おさむのマンガ『わが指のオーケストラ』がある。
『わが指のオーケストラ』1、2
http://we23randoku.blog.fc2.com/blog-entry-385.html
『わが指のオーケストラ』3、4
http://we23randoku.blog.fc2.com/blog-entry-375.html