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紙の本
沢木的な「旅」の写真集
2002/09/12 03:32
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投稿者:じゃりン子@チエ - この投稿者のレビュー一覧を見る
当然のことだが、写真集として見るのであればこの本の水準は低い。けれど、「旅の本」として味わうのであれば、確実に良書として紹介できる。そういう本。
言うまでもないことだが、沢木耕太郎は写真のプロではない。フレーミングはシンプルで隙だらけだし、手ぶれも多い。荒木経惟のようにカメラを肉体化していない彼の写真は、作者自身が「ディケイド〈十年〉のスケッチ」というように淡々とした記録としての写真だ。私小説性の薄いその写真たちは、しかし、一冊の本にまとめられたときに、「旅の本」として不思議な魅力をはなつ。
仕掛けは言葉にある。作者自身の「旅」に関する散文と、多くの物語から抜き取られた文章。アルバムのようにまとめられた写真の横に添えられた文章はとりとめないようでいながら一つの主題をひっそりと映し出している。
「旅はなぞれない。なぞろうとすると復讐される」。
「その時、幻想は悪賢く罠を織り始める。私は「本当の」旅の時代に生まれ会わせればよかったと思う。旅人の前に展開する光景が、まだ台無しにされていず、汚されても呪われてもいず、その有丈の輝かしさのうちに自己を示していたような時代に」クロード・レヴィ・ストロース『悲しき熱帯』。
沢木耕太郎は一貫して「時間」にこだわる作家である。「敗れざる者たち」も、「テロルの決算」も、「オリンピア」も、年齢という形で「過ぎゆく時間」というテーマを照射している。彼の文章が当初から持っていた普遍性は、おそらくそういった「時間の持つ残酷さ」に由来しているのだろう。
この本もその例外ではない。「旅」という経験の中で過ぎゆく時間。とりとめのない写真の中に挟まれた言葉は、通り過ぎていった時間を、私的な感傷ではなく普遍的な経験として蘇らせる。旅の中にある孤独、寂寥、倦怠、そして麻薬のような魅力。そういったものを、まるで追体験させるように読者のうちに再生させるのだ。
この本は
「私は旅をする」
という一文で始まり、「旅の終わり」に関する文章で終わる。その文章構成は、旅に関する記述であると同時に、作者の哲学のような何かを予見させるものになっている。そういう意味では、いつも通りの沢木耕太郎の本。
そして、この本のもうひとつの注目点は実はサイズにあるのだ。彼自身が言っていたことだが、どんなに魅力的でも通常の写真集というのはなんとなく眺めるのにあまりに大きすぎやしないか。いつでも気軽に開けるような写真集にしたい、とのことでふつうの単行本サイズとしてできあがったそうだ。そういえば、この後から電車で広げられる大きさの写真集が増えたような …。もし最近の写真集の形態の変化がこの本の影響なら、無意識のうちに革命的なことをやっているのだな。沢木さん。
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