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「ドラキュラ」読んでから読むと、「へぇ、あのエピソードにそんな歴史的意味が」と感心。
一粒で2度おいしく楽しめますね。
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【由来】
・図書館のマイライブラリの「テーマ一覧」の「変化する知と図書館」で。
【期待したもの】
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【要約】
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【ノート】
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1997年刊。
「テクストの勝利」という高山宏さんの『ドラキュラ』論を読んでから、極めてテクスチュアルな作品であることを知って関心を寄せている(といいつつ作品は未読…)ブラム・ストーカー作『ドラキュラ』。
本書は作品に織り込まれた後期ヴィクトリア朝世紀末英国の時代的心性を読み解いていく。
巻頭間も無く著者は「ドラキュラの話は西暦何年のことか?」という話題を提示、作品に印された痕跡から推論を行い、出だしから好奇心を擽られる。
そして、東欧からロンドンに襲い来るドラキュラは、当時英国の人々の心に潜在した外国からの侵略恐怖や、ロシアのポグロムに起因する東欧貧窮ユダヤ難民の流入に対する不安、大陸から伝染してくるコレラ恐怖(細菌恐怖)を複合的に表象したもの、という説を展開していく。
実に面白い内容だった。
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ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」をベースに、登場人物設定、物語の設定年、ドラキュラの上陸地・居住地域などからヴィクトリア期の英国及び世界の文化背景を読み解く試み。まず侵略や・米国への政治的対外的恐怖から登場人物の国籍設定が行われたことを指摘する。次に当時急激に増加していた東欧系ユダヤ人移民への恐怖(拡大(増殖)性、孤立性、上昇性、寄生性)(p.120)とドラキュラの上陸地・転々とした居住地域の共通点を示して見せ、そこに暗示されている反ユダヤ主義・ユダヤ人排除が当時の英国文化において「『「政治的無意識』が構造化」(p.158)しており、それはヒトラーやホロコーストにも共通することを指摘する。さらにユダヤ人への恐怖に感染病、特にコレラへ恐怖も重なり、その恐怖は「『文明的』世界と表彰されてきた地域が『原始的』力が侵入/侵略することで植民化されつつある不安」が外国恐怖症に他ならず(p.177)、真相に抑圧された自己の否定的イメージが外国という「無意味な」姿をとって回帰してくるものであり、「抑圧されたものの回帰」(フロイト)の一典型である」(p.219)と指摘する。
感染症の恐怖やそれらに対し排外的論調が起こることに対する怖さは、covidー19が感染拡大している現代にも見られるものであり、本項の指摘は歴史を繰り返さない警鐘にもなり得よう。
文学的テキストから文化研究を試みるとしているが、排外主義の危険を端的に指摘しており国際政治的文脈から見ても面白い。まさに著者が言うところの「学際研究」の成果物であると言える。とても知的好奇心を刺激される。出版元品切れなのが残念。再販されて欲しい一冊。
ユダヤ人や感染症に対する恐怖で、臭いに関する指摘があるのは興味深かった。映画「パラサイト」では坂や階段での格差表現の描写が指摘されていたが、「臭い」について頻繁にセリフや動作に出てきたことも格差を表していたように思う。