紙の本
今度は戦争だ!
2008/05/12 14:46
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わたなべ - この投稿者のレビュー一覧を見る
同じ外観の家が無限のように続く雪の降る街路を、一人の敗残兵が彷徨う……。1959年に発表された本作は、前作『嫉妬』が轟々たる非難を巻き起こしたのと対照的に、ロブ=グリエ作品としてはほとんど例外的な好意を持って迎え入れられた。その理由のひとつは「私(=作家)」と「兵士」との二層構造によるものがたりのわかりやすさと、戦場という主題の「わかりやすさ」にあったのだろうなあ、といまになっては理解できる。フランス人にとって二十世紀の戦争ほど陰惨で混乱したインパクトのある経験もなかったわけで、このいまだ直視できない経験を書くのに、ヌーヴォー・ロマン流の複雑な技法はむしろ最適だったのである、と思ったりした。それにしてもロブ=グリエの小説はその一行目がほとんど全体を要約するかのようなかっこいいフレーズでしびれる。
「いま私は、ここに、ひとりで、まったく安全なところにいる……」
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読むのに痛みを伴う(っていうか辛い)。でもその痛みが心地よい。小説の中の戦争の描写を違う形ではあるがある種リアルに追体験することが出来る、と言えるか?
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クロード・シモン『路面電車』を読んだ時には
「絵みたい」と思ったけど、これは本当に絵の話だった。
いろいろな境界や意識や記憶や眩暈や動くものと動かないものや
そんなものについて考えさせられる。
考え”させられる”わけではないけど、考えていた。楽しい。
すごくたくさんの紙を4mくらい上からばらばらって落としたら
こんな小説になるのかもしれない。
そういう風に見えるけど、本当は落とした紙の配置、
カラーリングやそれぞれの見え方が決められて書かれているのかな。すごい。
断片的では決してないのに、流れていくような景色は出てこない。
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何故21世紀の小説はヌーヴォーロマンの成果も無視して、伝統芸能みたくわかりやすく、人気のある手法でテクストを量産しているのかといらついていた。いざ、ヌーヴォーロマンの本家を読んでみたが、面白くない。小説読みの玄人にとっては面白いかもしれないが、一般の読者にとってはとっつきにくい。現代小説がヌーヴォーロマンを意識的に排除している原因がわかった気がした。
ただ、ヌーヴォーロマンの手法上の成果は、現代小説も取り入れている。ヌーヴォーロマンを経過した後で、どう小説を書くのか。小説の伝統芸能化に抵抗するために、どうしていくのか。問い詰める必要のある問題だ。
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読みきるのが苦痛だった。ひたすら迷路。出口のない迷路。ぐるんぐるんぐるんぐるん。それが作戦なのだろうけれども、頭が痛くなる。
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平岡先生の訳の素晴らしさ。解説も面白い。ヌーヴォー・ロマンは退屈だが、ロブ=グリエに関しては、特級のサスペンス小説だと思えば楽しく読める。
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1959年、アラン・ロブ=グリエ著。似たような風景が続く雪に塗りこめれた街を、箱を抱えた敗残兵が彷徨う。ストーリーは何度も反復回帰を繰り返し、いつの間にか視点が絵画の中に入り込んだりする。
幻想的で、非常に独特な小説だった。
まず、特徴的なのが場面の反復だ。同じ街の風景、同じ廊下、同じ部屋が何度も現れて、しかしその細部が微妙に変わっており、そのことにより少しずつストーリーが動き、若干メタ的なラストに落ちていく。
だが、その程度の小説なら腐るほどある気がする。本小説の個性は、あまりに詳細な幾何学的描写だろう。線や円だとか、グラスの置かれていた跡だとか、普通の小説なら省くであろう、些細な物体への注視(主人公の精神状態が影響しているのだろう、と推測できるので読んでいて奇を衒っているという印象はない)。そのことにより、人物と物体が対等の立場に置かれ、小説全体が一枚の静物画のように見えてくる。
雪や敗残兵といった退廃的なモチーフもあいまって、寂しげな静けさが読後に残った。
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この作品をはじめて読んだときの衝撃はいまも鮮明だ。
例えば電気スタンドとガラス製灰皿の置かれたテーブルの様子や壁紙の模様を微に入り細に入り描写する場面があるのだが、「こんな方法があったのか」と驚かずにはいられない。
ヌーヴォー・ロマンを代表する名作。
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本当に迷路のなかを彷徨っているような酩酊感。
ヌーヴォー・ロマンの醍醐味ってこの酩酊感だよな〜……それとも、これ、風邪薬のせい?w