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最近すっかりハマっている小田嶋隆さん。この1か月で、えーと6冊目ですか。ハマり過ぎでしょう。
だって初めて手に取った「街場の文体論」で、私が敬愛する立川談志ファンであることを明かしているので、これは、もう、贔屓にしないわけにはいかない。
というのは半分冗談、半分本気で、切れ味抜群のコラムに中毒したから。
で、今回読んだのはかなり古い作品で、1998年3月5日に第1刷発行というから、そうか私がまだ新入社員のころ。
バブル崩壊で同胞が自信喪失し、一方でインターネットが勃興し始めた時期です。
そう、本書は大半がそのことについて書かれています。天才コラムニスト小田嶋さんのコラムは当時から斬れまくっていますが、内容そのものよりも当時の時代の空気が伝わってきて郷愁を覚えました。何せ私は社会へ出たばかりで、クンクンになっていた時期ですから。
あの頃、私は若かった。
まあ、それは、さておき、最も心に残った個所をひとつ挙げろと言われれば(誰もそんなこと言ってないけど)、行司の木村庄之助さんと会った時のエピソード。
木村さんは「行司というのは、言ってみれば職人ですからね。カンを養わなければならない。だから、本当のことを言うと十五じゃ遅いんです。まだ、色気を覚えない、無垢なうちでないと、本当の土俵のカンは身につかないんです」と語っています。
しかし、現状では、児童福祉法で十五歳以下の児童の労働は禁じられている。
木村さんはそれが不服で、小田嶋さんも共感しています。
「女性は土俵に上がってはいけない」という古来の禁忌に対する進歩的な方たちからの非難に対しては、嘲笑を持って反対の意を示したそう。
小田嶋さんはこう述べます。
「文化は、文化である限りにおいて、かならず、一定の不合理を含んでいる。というよりも、ある恣意的な断定や独善を持っていないものは、文化と呼ばれる資格を持たないのである」
慧眼というべきでしょう。
「我々は、『高度経済成長』という魔法の中で、間違いなく、最も大切な何かを失ったのだ」
同感です。